びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/26(金)年休「天童」

 那須高原SA。一度415にトイレに起きた。寝床の中が温かくてとても気持ちがよくて二度寝した。起床は615。SAにはとても車中泊が多かった。もしかすると、増えてるのかもしれない。朝食後、髭剃り、虫取り。
 650、出発。東北道から東北中央道へ。東北中央道は奥羽線でいうところの板谷峠。それなのに対面通行で重いトラックが道を塞いでいたorz。栗子トンネルは8972m。無料で通れるトンネルでは最長。8時半、南陽PAで戦略を練った。かみのやま温泉IC下車。
 845、セブンイレブン上山金生店。近くのスカイタワー41の写真を撮りたかった。スカイタワー41は山形の田園地帯に突如現れる高層マンション。乗り鉄の頃からインパクトのある景色で気になっていた。ネット記事によれば、住むのは便利らしかった。ここからは建物が近すぎて田園地帯であることがまったく伝わらない写真だったので、場所を変えた。近くの川の堤防から撮ると満足いく写真となった。こうやってイメージは作られていくんですね。
 910、斎藤茂吉記念館。600円。JR奥羽線斎藤茂吉記念館前駅があるため気になっていた。2022/11/3には駐車場に車を停めるところまで近づいていたが、ようやく今日念願が果たせた。建物は洗練されていた。谷口吉生の建築だった。確かこれから行くつもりの土門拳記念館も谷口吉生の建築だった。谷口吉生がどういう人かは知らないけど。
 斎藤茂吉は教科書に出ていたので知っていたが、何をした人かは忘れていた。俳句?短歌?詩人?斎藤茂吉は短歌の人だった。斎藤茂吉の短歌がこれでもかというくらいに散りばめられていてとても内容は多彩だった。斎藤茂吉正岡子規の門人である伊藤左千夫に師事した。正岡子規の流れを組むことで写生写実主義がベースとなっている。斎藤茂吉が提唱したのは実相観入である。実相観入とは表面的な写生にとどまらず、対象に自己を投入して、自己と対象とが一つになった世界を具象的に写そうとするものだそう。
 因みに斎藤茂吉は医者に養子にだされた。養父は日本で初めて民間で精神病院を建てた人である。斎藤茂吉もその跡を継いだ。学生時代から短歌を始めて、色々な文人達との交流があった。そのメンバーは森鴎外芥川龍之介石川啄木などそうそうたるものであった。斎藤茂吉の長男も次男も有名で、次男は北杜夫である。こういうのを見てると、環境って大切なんだだなと思う。
 たくさんの短歌を見てると、自分も詠めるような気がしてくるのは不思議なもんで。短歌に現代的な表現を組み込んだら新しいんじゃないかと思ったら、ロビーに短歌コンクールの結果が張ってあった。その中の小学生の作品がとても衝撃的でぶっとんだ。小学生の発想の飛躍と無垢さには誰も敵わないのかもしれない。
 11時半、出発。12時、給油。1205、山形駅東口交通センターの駐車場。「かかし」へ。2023/11/3以来何回目かわからないw。私はここのねぎ塩牛タン定食ご飯大盛が大好きだ。前回ちょっとアレっと思ったが、今回はどうだろう?うーん、やはりインパクトがなくなってきたかな?次は別のメニューにした方がいいかも。
 12時半、出発。駐車場は30分200円だった。ツルハドラッグの駐車場で戦略を立てた。1255、出発。天童に向かった。天童には昨年訪れてるが、プールに行っただけだった。ベースにあるのが2012/3/20。電車で来て、日帰り温泉を探したが、散々歩いて全滅した。今日はその悪い思い出を上書きしたかった。
 13時半、天童駅のパルテ駐車場。天童市将棋資料室。320円。将棋の歴史や駒の種類など。展示は小規模だった。もっと大々的にやればいいのに。「どうぶつしょうぎ」があったのには笑った。
 14時半、栄春堂。ここでは将棋の駒や盤を売っていた。外国人の職人さんが一心不乱に駒を彫っていた。店の中には「将棋の小さな博物館」があった。内容はだいぶ古くて資料室とも被っていた。入場料は無料なので、何か買うことにした。しかし、木駒は高かった。あまり欲しくはなかったけど、400円のシャーペンにした。シャーペンが400円?
 1455、天童公園の舞鶴山。ここは人間将棋の会場だった。人間将棋とは人一人が一つの駒になり、広場を巨大な将棋盤に見立てて対局するイベントである。緑の原っぱの奥が高台になっていた。高台から原っぱを眺めるのだろう。高台には将棋の駒の形をした将棋供養塔があった。何を供養するのだろう?
 1520、将棋むら。別名天童タワー。国道13号線沿いに大きな将棋の駒を模した立体看板があり、見た目のインパクトがあった。中は昔ながらのドライブインだった。
 1540、天童織田の里歴史館。名前からしてあまり乗り気でなかったのだが、時間潰しで。そしたら、ここは元々、天童市立旧東村山郡役所資料館という名前であり、立派な木造の洋館が建っていた。私は江差以来郡役所の建物にひかれてるのである。俄然やる気が出てきた。220円。
 天童藩織田信長の次男信雄の子孫が統治した。幕末の戊辰戦争では、長州藩の命令により家老の吉田大八が中心となって庄内藩を攻めたが、後に奥羽越列藩同盟に参加して庄内藩と同じ陣営になることとなった。面白くない庄内藩は吉田大八を差し出せと言った。そして、天童藩は吉田大八に切腹を命じた。私はこの話を知らなかった。まるで赤報隊と同じではないかと思った。因みに私は庄内藩が好きなのだが、天童では町を焼き討ちにしただの完全に悪者扱いされていた。
 1640、山形県総合運動公園屋内プール。2023/11/4以来3回目。プールは中3日。このままだと旅行中にブクブク太りそうなので、泳ぎたくて仕方がなかった。今日は晩飯も抜くつもりだった。280円。安い!プールまでの道や更衣室やプールには見覚えがあった。泳ぐ時に身体を伸ばしてたら気持ちよく泳げたが、最後は足がつりまくった。まだ1時間泳げたが、さすがに止めた。26.5往復。休憩。28.5往復。2750m。
 12年前のリベンジで天童温泉に向かった。途中、倉津川の両岸がライトアップされていてとても美しかった。
 19時半、ほほえみの宿滝の湯。ここは日帰り温泉でネットの評判がすこぶるよかった。安くて、接客も抜群とのこと。確かに入り口のところにたくさんのスタッフがいて手厚くもてなししてるのがわかった。若い男性スタッフに「日帰り温泉ってやってます?」と聞くと、「2時に終わりました。この辺りはどこもそれくらいで終わりますね。大衆浴場なら1箇所ありますよ。確かはな駒・・・」。100点満点の素晴らしい接客だった。
 1940、天童温泉はな駒荘。350円。安い!もしかしてと思い、受付でシャンプーがあるか聞いたら、おじさんに「ある」と無愛想に言われた。ここの口コミは愛想がないだったことを思い出した。愛想を求める訳じゃないが、普通にできないもんかな?脱衣場も注意書きだらけだった。浴場はこじんまりとしていた。泉質は臭いも色もなく、温泉ぽくはなかった。温水プールの後だから、湯船に長く浸かる必要もなかった。シャンプーしたらすぐに出た。風呂上がりはソファーに座りブログを打った。こういうのって久しぶりだなあ。
 21時、出発。2110、ローソン天童糠塚店で明日の朝食のパンを買った。2115、道の駅天童温泉。広くてたくさんの車が停まっていた。
 今日回ったところは博物館としては展示はわかりにくくていまいちだった。未だに検温と消毒がセットで残ってたり、どこも一様に写真撮影禁止なのも面白くなかった。一方で斎藤茂吉記念館に行けて、天童にリベンジを果たせたのはよかった。なにより泳げたから花丸だ。