びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/05/01(水)休「秋田」

 道の駅てんのう。起床は515。朝食、昨日のブログの修正、髭剃り。今日の作戦を立てた。秋田県立博物館は9時半からだったので、先に秋田城から行くことにした。天気は曇り、外はめちゃくちゃ寒かった。ダウンジャケットが大活躍だった。
 655、出発。昨日通った海沿いの県道56号線を南下。巨大な風車たちを見てると、縮尺がバグっているように見えた。そして、まるで高速道路だった。
 715、秋田城跡史跡公園。秋田城はもともとは出羽柵(いではのき)と呼ばれ最北の官衙であった。幕末に久保田城があって秋田城がないのはどうしてだろうと思っていたが、秋田城はもっと古い時代の城だった。秋田城跡はかなり広い公園になっていて、野外には門が復元されたり、建物跡があった。その中で最大の売りは水洗トイレ跡だった。トイレ跡はこれまでも時折出てきたが、水洗は初めてだった。高台にトイレがあり、そこから斜め下向けて木樋が伸びて最後は沈殿槽に至る。これは「ブラタモリ」でも紹介されたらしく、確かにインパクトがあった。
 9時、秋田市立秋田城跡歴史資料館。310円。漆神文書や木簡の展示が熱かった。こういうところから古代の組織の仕組みや生活が明らかになるから面白い。また古代に東北に築かれたいくつかの拠点にも興味が出てきた。そういうのもこれからターゲットにしていこう。水洗トイレからは、外国の使節団用のトイレだと考えられている。当時日本で食べていた鮭の寄生虫は発見されず、日本で食べていなかった豚の寄生虫が見つかったから。そんなことがわかるのか!ここの施設は展示内容が詳しくてマニアもニッコリだった。
 10時半、土崎みなと歴史伝承館。無料。前々から北前船の寄港地として紹介されている説明では、秋田ではなく土崎が挙げられていた。秋田と土崎は今でこそ秋田市だが、もともとは別の町だった。土崎は第二次世界大戦では終戦の前日に空襲にあった。これは日本石油の製油所があったから。ここの製油所は日本で9番目の規模だったが、他の製油所は原油の輸入がストップされていた。ここの製油所では秋田の原油のみを精製していたため、日本で一番の製油所になっていた。
 1110、本命である秋田県立博物館へ向けて国道7号線を北上した。秋田県博物館は12km離れていた。
 1120、たまごの樹追分店。瀧田養鶏場というところのお店のようだった。これは期待。TKGと迷って、トマトとデミグラスのWソースオムライス大盛を注文。とろっとろだったけど、ケチャップもソースもあまり主張してなかったかな?卵の味を楽しむならTKGだった。
 1215、秋田県立博物館。まさかの無料。ここでふと気づいた。私は藤田嗣治を見たかったのだが、もしかしてここではないのでは?調べると秋田県立美術館の方だったorz。ボーンヘッド!何やってんだ!全国の県立博物館を巡ってる身としては、目の前の博物館をスルーすることもできなかった。展示は6コーナーに分かれていたが、時間のかかる自然科学系はトリアージすることにした。
 最初に人文展示室。旧石器縄文弥生は正直ショボかった。県立博物館は万人受けを狙ってるから、あるあるなんだなあ。秋田には古墳がないというのは勉強になった。本当?あとは阿倍氏清原氏奥州藤原氏、安東氏、佐竹氏。この辺りの争いは興味深かった。私の最大の関心事、戊辰戦争久保田藩が新政府軍についた理由は、予想の斜め上過ぎてびっくりした。「重要ですが、簡単に結論が出せる問題ではありません」。これでは書かない方がいいのでは?
 企画展「美の交差点博覧会とあきたの工芸」。秋田県の伝統工芸品を詳しく説明していた。これは発祥や職人さんの説明までしていてとても素晴らしい展示だった。
 秋田の先覚記念室。秋田県の偉人を紹介していた。斜めに見た。気になったのはTDK創始者くらいかな?仁賀保出身だったのか。にかほに行きたくなった。
 菅江真澄資料センター。私は今まで菅江真澄のことはほんの少ししか名前を聞いたことがなかった。それなのに今回の旅ではあちこちで説明を見た。極めつけはここだった。菅江真澄は江戸時代にあちこちに旅行しては、風俗や風習を絵入りで詳細に記録した。特に秋田県では最後の28年間を過ごしたため、膨大な記録が残されていた。圧倒的な情報量だった。偉人というのはこういう人を言うんだろうな。
 15時、出発。秋田県立美術館に向かうためにまた12km秋田市内に戻った。15時半、なかいち駐車場。なかいちは地元のデパートなのかな?
 1540、秋田県立美術館。ここには藤田嗣治のコレクションがあった。特に「秋田の行事」を見たかった。藤田嗣治のことは山田五郎の「オトナの教養講座」で詳しく知った。1000円。
 入っていきなり「秋田の行事」があった。縦3.65m、横20.5m。とんでもない迫力だった。藤田はフランスで認められても日本では認められなかった。日本へ受け入れられようと頑張ったのがこの作品。藤田の作品にはどこかフランス的ななよなよしさがあり、およそ日本的ではなかった。日本とフランスでは文化というバックボーンが違うから仕方ないと思った。そのギャップが個性を産み出してるし、ある意味悲劇的でもあった。藤田の作品は他にも展示されていたが、どれも悲しい感じがした。芸術は悲しいから共感が得られるのである。
 企画展として「日本の洋画130年珠玉の名品たち」をやっていた。特に宣伝ポスターには高橋由一の「鮭」が掲載されていた。これもまた「オトナの教養講座」で解説されていた。高橋由一は日本の洋画家第一号である。高橋由一は別に洋画家を志したわけでもなく、幕府の仕事として図鑑に載せるため用に洋画を勉強した。だから2枚におろして乾燥させた鮭というおよそモチーフになり得ないものを描いている。逆にそれが強烈なインパクトを産み出すこととなった。今回「鮭」は3枚あることを知った。知らんかった。もう私は食い入るようにじっと見つめていた。ピカソの時だってこんなに見ることはなかっただろう。
 今回は「珠玉の名品」というだけあって、他の作品もどれも物凄く興味深かった。いろんな画家の中でも佐伯祐三鴨居玲は凄かった。こんなに一点一点をじっと見たのは初めてじゃないか?説明も充実していた。画家の経歴紹介、それと画商の入手した時の説明も面白くて食い入るように見てしまった。今後もっと美術に興味が持てる展示だった。
 1815、ローソン秋田寺内蛭根店。店内キッチンは売り切れてたので、普通の牛焼肉弁当。
 19時、秋田県立総合プール。プールは中2日。550円。25mと50mがあったので25mを選択。クロール30往復は1500m。
 20時半、コインランドリー「てるぼ」。寺内油田町。住所が凄い。4kg50分コースは800円。車の中でブログを打って待った。終わって洗濯物を畳んでたら、一昨日ドンキホーテで買ったタオルがあちこちで電線してた。アカンわ。
 22時、出発。2210、道の駅あきた港。今回の旅で2回目。眠れるかな?