びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/05/05(日)「横手」

 道の駅あきた港。起床は5時半。朝食、昨日のブログの執筆、髭剃り、虫取り。
 8時半、出発。ブログを書いてたらかなり出発が遅くなってしまった。今日は横手を狙った。その道中で大曲に面白そうなところを見つけたので寄り道することにした。秋田道を秋田北ICから大曲ICまで。
 9時半、花火伝統文化継承資料館「はなび・アム」。4階建てのビルで思ってたより規模が大きかった。資料館は3階4階の部分だった。
 3階は大曲の花火大会のきっかけとなった人たちを紹介していた。東北の博物館ってやたら人物の紹介が多いんだよな。昔の人の業績を末代まで語り継いでいるんだろうな。でも、自治体がこの人たちからなんらかの資金援助してもらってて、顕彰せざる得ない面もあるのかもしれない。どうせ見ても忘れてしまいそう。なんなら忘れる自信の方があるわ。
 奥の部屋には藤城清治という影絵作家の人の作品があった。こういうのよくあるんだけど、ほとんどがいまいちなんだよな。部屋に入ってびっくりした。部屋は暗くて奥の壁一面には黒をバックにして色とりどりの花火が光っていた。絵の下には水をはっていて、水面には花火がリフレクトしていた。また絵の側面には合わせ鏡があり、側面を覗き込むと遠くまで花火が続いているように見えた。これは本当に見事だった。作品名は「大曲の花火2013」。思わず作品名をメモしたくらいだった。
 4階がメインの展示だった。大曲の花火は1910年に始まった。ここが日本で最初に始めたかどうかはわからないが、すぐに東北や三河から花火職人を招待するようになり、今や花火と言えば大曲というくらいに発展した。ただ創作花火においては土浦の方が早かったみたい。土浦の花火は2004年にHBのメンバーと観賞したことがあり、とても素晴らしかったことを覚えている。展示室には花火の作り方から種類まであらゆる説明がなされていた。花火には興味があったのでとても面白かった。10号玉で8kg、20号玉で20kg、小千谷市片貝で40号玉。もはやこれはミサイルでは?因みに片貝は通り抜けたことがあった。やたら花火推しだったが、華麗にスルーした。どこで何と繋がってるかわからないもんやね。
 1050、出発。今日の本命である横手に向かった。
 1115、後三年合戦金沢資料館。前九年と後三年の役のことを知りたかった。受付のお姉さんは年は私と同じくらいだろうか?飛びきりの笑顔で声もとてもチャーミングだった。世の中にはこういう人がいるんだなあ。100円。チケットは横手市観光文化施設共通入場券という名前で4施設が入れるようだった。
 入口に18分のビデオがあったが、先客がいたので先に展示室から見た。文字を読んでてもあんまりわからなかった。ビデオを見るとよくわかった。ビデオは大事だな。ここはビデオだけでもいいかもしれない。前九年はまだ分かりやすいのだが、後三年は清原氏家督争いで、出てくる登場人物の血縁関係が複雑過ぎる上に、名前がみんな◯衡という名前だった。これが味方になったり敵になったりするので複雑極まりなかった。最終的に源義家清原清衡(藤原清衡)が組んで、清原家衡清原武衡を滅ぼした。こないだ太子町で藤原義家のお墓を見たばかりだし、何かそういう導きのようなものを感じた。
 1205、出発。横手焼きそばを狙った。2012/3/12に四天王と言われる「食い道楽」という店に行ったが、あまり味の印象がよくなかった。今回はNo.1と思われる店に行くことにした。
 1225、藤春食堂。30人近く並んでいた。ひたすらブログを打って待った。日差しがきつく、温度は30℃を越えていて、首の後ろが焼けるようだった。首の後ろをポケットタオルで保護した。そして、すっかりブログを書き上げてしまったし、なんなら昨日のブログも修正した。それでも時間が余った。
 1345、ようやく中に入れて、席に座れた。店内はおいしそうなソースの匂いがした。すぐに給水器で水を入れて飲んだ。1350、特製やきそばを注文した。そばが2玉らしかった。ネットによれば、ここからも時間がかかるようだった。おばさんが2人いて、1人はひたすら焼いて、もう1人は接客だった。これは時間がかかるわ。「将太の寿司」8巻があったので読んだ。何度も泣きそうになった。涙もろくなったなあ。
 1425、やきそばがやってきた。ここまでで既に2時間が経過していた。やきそばには大きな目玉焼きと大きな肉が2枚に、横手やきそばの特徴である福神漬けがちょびっと載っていた。やきそばは茶色のソースとよく絡んでいて、つやつやしていた。食べてみると、ソースの水っけがあり、フルーティーで酸味があり、芳醇で豊かな香り。やきそばはツルッツルでソースととてもよくマッチしていた。ただのやきそばでここまでおいしくなるのかと驚いた。目玉焼きの卵を崩すことなくドンドン食べることができた。肉もおいしくて箸休めの効果があった。福神漬けはまったく関係なかったw。2時間並んだ甲斐があった。これはいい思い出になった。また来よう。
 1455、横手市ふれあいセンターかまくら館。横手と言えば、かまくらだった。ここでは本物のかまくらを体験できるようだった。横手市観光文化施設共通入場券を使用。かまくらの意味合いはかまくらの奥に水神様を祀っているところだった。遊びで作ってるわけではなかった。
 かまくら体験の部屋は二重扉になっていて、中は氷点下になっていた。ひんやりとしたが、そんなに寒いとは思わなかった。かまくらの雪は見た目シャーベットから氷のような感じになっていた。体験も何も完全に想像通りだった。
 観光案内所があり、横手やきそばの食べ方が載っていた。目玉焼きの黄身にやきそばをつけて食べるらしい。知らんかった。
 1515、出発。増田というところに移動した。
 1535、横手市増田まんが美術館。ここに来たかった。ここでは、マンガの原画を適切な環境で保管し、なおかつデジタル化して永久に残そうとしていた。そして、原画の一部が展示されていた。今まで見たマンガから忘れてるような懐かしいものまであって、夢中で追いかけた。私の人生もほとんどがマンガに彩られていただけにこれはドストライクだった。
 特別展示で「村上もとか展」をやっていた。村上もとか週刊少年サンデーの「六三四の剣」で馴染みがあったが、それ以外はほとんど読んだことはなかった。作品一つ一つの展示を見てると、ストーリーは学問的見地に基づく知的な創造物であることが伺えた。そのうちネカフェかどこかで読んでみたいと思う。
 17時半、増田の町は重要伝統的建造物群保存地区だった。そもそも増田が一体どのへんかわからなかった。地図で見ると、奥羽線から東に外れた盆地だった。こんなとこにまんが美術館を建てたのか?さて、町並みはほんの一部凄かった。重伝建指定は平成に入ってからだからそういうことだろう。一軒は重要文化財だった。
 1750、観光を終えてできるだけ千葉に近づくことにした。まずは給油。それから国道7号線をひたすら南下した。横手の南は湯沢だった。ここは2012/3/20に温泉を期待して探索したが、何もなかった。今日も何かないかと観察したが、何もなさそうに思えた。湯沢から新庄の間は山越えとなった。
 新庄の手前から東北中央道となった。1955、山形PA。休憩。明日行く場所を調べた。CDを替えようとしたら、排出されなくなったorz。20時半、無音で出発。違和感バリバリだった。思えば必ず音楽を流していた。道路とタイヤの摩擦音がシャーっと鳴るだけで、自分でなんか歌ってみてもすぐに途切れるだけだった。これでは眠気が襲ってきそうだし、明日の渋滞は耐えられないかもしれない。とりあえずブラックブラックを噛んだが、早く直さなければ。米沢北IC下車。
 2105、鷹山の湯。極楽湯グループ。頑張ってラジオをセットすることにした。昨年日本シリーズを聴きたくて頑張ったが、失敗していた。今回はうまくいった。FMの何かが入った。極楽湯は650円。安心のクオリティ。何も言うことはない。あがってからブログを打った。
 道の駅に行く途中でラジオでvtuberの歌を紹介していた。初めて聴いたが、結構アレンジが凄くて衝撃的だった。もう音楽も行くところまで行っちゃってるかもしれない。ラジオは音楽の世界を広げてくれることを思い出した。
 2250、道の駅米沢。たくさんの車が停まっていて、ざわざわしていた。今日は昼間暑かったのだが、夜も暑い。南に下がってきたからか、いつもより暑いのかはよくわからなかった。明日は最終日。ゆっくり休もう。