びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/10/17(日)「佐川美術館」

 行きたいところがなかった。滋賀に来た時、人生の目的を見失っていたところで、観光に活路を見いだしたが、行きたいところがなくなると、また人生の目的がなくなったような気がした。それでも、出かける以外にやることはなかった。今日一日は二度と来ない。12時出発。
 琵琶湖大橋を目指した。だんだん守山方面に抜けるパターンがわかってきた。事前調査にて琵琶湖大橋の直前に塩元帥があることがわかっていた。昨日の今日でやり過ぎだとは思ったが、かまうもんかと突撃。ここもまためっさ行列してた。この勢いだとあっという間に全国区になるかもしれない。
 琵琶湖大橋の手前を左折しようと思ったら、そのまま琵琶湖大橋に行きそうになった。すると、左折ができる分岐が現れた。その分岐は高架になっていた。行き先表示に「ピエリ守山」と書かれていた。まさかピエリ守山に行くことになるとは思わなかった。
 ピエリ守山は、ショッピングモールだったが、いつぞやかテナントがほとんど撤退してしまい、「生きる廃墟」と呼ばれる事態となっていた。そこでKG面子で見に行ったことがあった。空っぽのショッピングモールには今まで見たこともない衝撃的な光景が広がっていた。広い駐車場はガラガラ。中はスッカラカン。店が入っていたスペースには、ほとんどネットがかけられていた。フードコートではわずか1つの店しか開いてなかった。今すぐ潰れても不思議ではなかった。
 ピエリ守山は、完全に復活していた。職場のKクンから話は聞いていたが、ビックリした。駐車場は車で埋まり、建物にはテナントの看板がたくさん掲げられており、昔廃墟寸前だった面影はまったくなくなっていた。こんな交通不便なところなのに一体何があったのだろう?
 14時過ぎに佐川美術館。佐川急便と関わりがある。美術館の外観からして素晴らしかった。美術館の周りには浅く広く水が張られており、流れを作り出していた。水は常に形を変えながら、一時たりとも同じ姿を見せない。まるで時間の流れを現しているようであった。
 特別企画展は「スイス プチ・パレ美術館展ー珠玉のフランス近代絵画ー」。印象派からキュビズムまでの説明があり、フランス近代絵画の流れを系統的に知ることができて、とても面白かった。以下にまとめておく。
 印象派。動いている物を表現。光の描写に特徴がある。輪郭線を描かない。
 新印象派(分割派)。色をパレットで混ぜずに、原色だけで絵を構成する。点描とか線描とか。絵はぼんやりした感じになる。
 フォーヴィスム。写実より感覚を重視。色の鮮やかさを追及。輪郭線を使用。
 キュビズム。立体を平面的に描く。さまざまな視点を切り取り一枚の絵に描く。
 展示はなかったが、この後に具象から抽象になる模様。
 時代ごとの説明はあったが、一枚一枚の絵についての何がいいとかの説明はなかった。
 常設展示は、日本画家の平山郁夫と彫刻家の佐藤忠良佐藤忠良はほとんどが若い女性の裸体をモチーフとしていた。
 別館で樂吉左衛門マレーヴィチのコラボレーションをしていた。樂吉左衛門は陶芸家で茶碗を作っている。マレーヴィチはシュプレマティズム(至高主義:抽象性を徹底した絵画の一形態)の創始者として知られるらしい。2人の作品には共通する部分があるということで、同時に展示することとなった。樂吉左衛門の茶碗はどれもひたすら同じような形と模様で、マレーヴィチの絵はどれも四角形、三角形や丸が書いてるだけで、完全に落書きにしか見えなかった。抽象化したらもう理解の範疇を越えている。それとも理解しようとすることが意味がないのか?
 佐川美術館は刺激的なところだった。特別展は当たりでとても勉強になった。出発前に抱えていた憂鬱な気分はすっかり吹き飛んでいた。これに限らず、他の分野でも系統的に勉強する必要があるな。

2021/10/16(土)「国宝」

 結局、泊まりがけと思いながら、どこも予約しなかったorz。当然、行きたいところがなかった。自分の心に問いかけると、無性に先週食べた塩元帥に行きたかった。調べると、竜王にもあった。11時半スタート。
 湖南市菩提寺地区を竜王インターに抜けることにした。このルートは国道8号線へのショートカットになるので、以前から気になっていた。行ってみると、完全に山越えだった。ぐねぐねしていて、あんまり気持ちよさはなかった。国道477号線に入り、竜王インターには三井アウトレットモールがあり、道が混んでいた。
 1215に塩元帥に到着。昼時とは言えまさかの行列。皆もおいしいと思ってるんだな。こないだほどの感動はなかったが、やはりおいしかった。惜しむべくは通うには少し遠い。
 国道8号線に出て、御上神社に行った。御上神社は三上山を御神体としており、本堂は国宝であった。三上山は標高432m、富士山に似た円錐形をしており別名近江富士と呼ばれていた。きれいな山の形は近江平野の中でも、目立つ存在だった。霊峰富士と言われるのと同様に、日本人は自然の中に聳え立つ、美しいフォルムを持った山に超自然的な天との繋がりを感じたのだろう。帰ってからピンと来て調べてみたら、やはりピラミッド説があるらしいw。
 御上神社にはいかにも古そうな楼門があった。あまりに見事だったので、しばらく国宝と勘違いして写真を撮っていたくらいだった(重要文化財)。楼門を潜ると、拝殿があり(重要文化財、調べないと呼び方がわからなかった)、その後ろに本堂があった。正直なところ、楼門、拝殿、本堂がどれもどれも立派でそのすべてに圧倒された。国宝とか重要文化財のラベルなんて、どうでもいいように思えた。それにしても、神社って寺と比べて緊張感があるのはなんでだろうか?
 次は、こないだ行きそびれた常楽寺に行った。今日は運良く開いていた。本堂と三重塔が国宝だった。本堂は少し大きかった。もう何ヵ所も見ているので、なんとも感じなかった。ここでは、そこらじゅうにセンスの欠片もない注意書きの張り紙がされていた。本堂の中に至っては、曲がり角になると昔懐かしいCRTモニターがあり、防犯カメラの映像を写し出しており、本当に興ざめだった。一時期、無住職の時代があり(国宝なのに?)、仏像の盗難被害にあったからだそうだが、参拝者をまるで犯罪予備軍のような扱いをして、一体この寺は何をしたいのか?入れ物は国宝かもしれないが、中身は腐敗していると思った。
 これでこの付近の国宝は一通り巡った。国宝巡りは15年前に滋賀に遊びに来た大学友人Sの趣味であり、それまでの私は寺社仏閣を避けていた。大学友人のエスコートにより、私もなんとなく国宝巡りをするようになった。意味もわからずに国宝だからいいものだというブランド信仰に近い感覚ではいるが、それでも唯一無二の国宝を見ていれば、日本の文化の極みがここにあり、歴史の重みを感じるような気になる。これからも肩肘張らずゆる~く国宝巡りを楽しんでいきたい。

2021/10/15(金)「振込」

 火曜日に岐阜に出張に行った件で、施設使用料を銀行振込しなければいけなかった。「銀行の窓口に行って下さい」と言われていたので、近くの滋賀銀行に行けばいいやと軽く考えていたら、岐阜県外の場合は都市銀以外不可と目を疑うようなことが書かれていた。またネットバンキングはできるが、領収書が出ないとふざけたことが書かれていた。領収書なしでいいなんて、そんな人いるんか?この現代社会に未だにお役所はこんな旧時代的なことを平気でやっていることに対して、周りの人からも笑われた。
 朝はフレックスにするしかなかった。おかげでいつもより少し寝る時間が伸びた。一番近い都市銀は草津駅の近くにあり、車で22分とのことだった。国道1号線国道8号線と交わるところで渋滞していた。また草津駅の近くは一方通行だらけであり、運良く目的の駐車場にたどり着けたものの、一歩間違えばグルグル何周もさせられそうだった。
 尼崎の時から思っていたが、銀行の支店が本当に少なくなった。統廃合が進んでるとは言え、こんなに不便なのはどうかと思う。なのに岐阜県は・・・。さて、窓口に振込用紙を持っていったら、しつこく何度も「ATMを使ってください」と誘導された。一体なんのための窓口だ?一般の客など営業成績に結び付かないゴミとしか思ってないんだろな。定期預金を勧める時は頭低くしてやたらしつこく絡んでくるのに。そんなんで差別するようなところに口座は作らんわな。
 1時間とガソリン代の無駄だった。こういうことやってるから、先進国で労働生産性が一番低いと言われるんだよ。

2021/10/14(木)「後輩」

 うちの課には中途入社のUクンがいる。どういうわけか私が来てから、いつも報告で火だるまになっていた。報告の仕方に問題があるものの、絶対にうまくいかないテーマに対して、難しいことをうまくこなしていると思った。
 1か月経ったけど、Uクンはよく気が利くし、フットワークが軽い。報告がうまくないけど、それは誰も普段から指導してないからに思えた。Uクンはテーマに対して、否定的であり、そこに不満があるようだった。皆ができるとは思っていないテーマなのに、誰も社長に進言することができず、実務の大部分がUクンに押し付けられている。
 Uクンを見ていると、かつての私を見ているようだった。Uクンにいろいろ話したけど、おそらく理解はしてないだろう。私にはUクンの言うことを肯定し、慰めることしかできなかった。
 こうやってうちの会社は後輩に無駄なシステムを引き継いでいく。効率化を叫びながら非効率を続ける。

2021/10/13(水)年休「外来」

 滋賀から通う初めての外来だった。これからは午後の診察にしてもらった。8時半起床。10時出発。1013石部発草津行き。1029草津加古川行き。明日に週報があり、ノートパソコンで昨日の出張結果をまとめていた。1121下車。近鉄バスでもノートパソコン。バスはよく揺れてやりにくかった。尼崎と比べると30分くらいしか変わらなかった。それ以上にノートパソコンしてたらあっという間だった。
 受付を済まし、採血。コロナワクチンのサンプル採取はなかった。なぜ診察の間隔が6週間になった?稲葉で昼食後、待合室でもノートパソコン。いつも読書してたけど、眠くなったり退屈だった。仕事してる方が暇潰しにはいいのかもしれない。
 診察はなんともなかった。8週間にしてもらおうと思ったら先生から切り出された。ワクチンの結果を聞いたらまだだと言われた。そんなことないよな。
 会計、支払い、薬局で受付して、病院に戻り住所変更。薬局に戻り、かかりつけの薬剤師さんと会うのを楽しみにしてたら休みだった。薬代は8週間で13万円。健保から3万円の補填がある。これは大きい。
 14時に終わった。尼崎の時と変わらなかった。帰りはまたもやJRが30分遅れだった。とことんついてない。草津駅で接続取れず、衝撃の30分待ち。ゴミすぎる。
 帰ってから仕事の続きをした。休みなのにこれでいいのかと思いつつ、個人事業主だよとも思いつつ。

2021/10/12(火)「岐阜出張」

 岐阜出張だった。新幹線では行けなく、バスに40分乗る必要があり、4時半起きでギリギリだった。しかも、一本でも乗り遅れると次は1時間待ち。これは草津線のせいでもある。
 石部駅で先週に引き続き200円の切符を買った。まさかJRの境界でこんなに迷惑するとは。
 614石部発京都行きに乗車。早朝なのに混んでいた。お客さんはサラリーマンが多かった。草津線から京都に通うのだろうか?事情があるにせよ、私なら草津線沿線は選ばないだろう。
 草津下車。いきなり25分待ち。ホームの待合室に座ってると寝そうになった。電車で寝ようと思った。
 653草津発長浜行き。到着した電車は超満員で座れなかった。近江八幡でやっと座れた。米原まで爆睡した。
 米原下車。いつの間にか学生がわんさか乗っていた。また21分待ち。旅行なら許せるが、出張でこれは辛い。待ち時間を利用して、改札の駅員さんに「切符を買い直したい」と言うと、「みどりの窓口がまだ開いていません。新幹線窓口でご相談下さい」と言われた。その手があったか。まさか2週間連続でお世話になるとは。
 803米原発大垣行きに乗車。さすがに空いていた。県境越えだから人の移動がないのか、それとも通勤時間帯から外れたからか?
 大垣下車。乗り換えはわずか3分。今度は早すぎ。向かいのホームかと思ったら、跨線橋に上がるパターン。下車する人が多くて焦った。
 843大垣発豊橋行きに乗車。なんとか座れた。853岐阜で下車。
 乗り換え9分。急いでキオスクでみそかつサンドを買った。902ギフハブ。この路線、こないだ岐阜県博物館に行った時と同じバスだった。まさか旅行と同じバスに乗るとは。
 日野坂という停留所の辺りで、車線左側に道路に沿った不自然な空間を発見した。もしかして・・・。先に進むと、空間には太陽電池のパネルが並び始めた。間違いない。これは、名鉄美濃町線跡だった。美濃町線岐阜市街地の徹明町と新関経由で美濃町を結んでいた。前回も探したけどよくわからなかった。廃線跡ソーラーパネル西鉄津屋崎線と同じパターンだった。無機質だった出張がいきなり旅行モードとなった。
 廃線跡は結構長く道路と並行していた。現役時代そのままと思われる柵も残っていた。そのうち廃線跡ソーラーパネルの列と代わり、わかりやすく道から外れていった。
 こないだ岐阜県博物館に行った時の停留所の一つ先が目的地だった。10時待ち合わせにギリギリ間に合った。朝6時前に家を出て、これはエグかった。
 帰りは1708のバスに乗った。バスを待っている間、不自然に道の両側が広いことに気づいた。調べてみると、ここも廃線跡であり、なんなら駅跡でもあった。因みに一つ前の停留所も駅跡だった。探してたものは足下にあったわけだ。帰りのバスは窓の外を凝視するモードだった。日野坂から先はよくわからなかった。美濃町線路面電車だったので、どこかで道路に吸収されたのかもしれない。
 JRは大いにダイヤが乱れていた。次の電車は54分遅れで、ホーム上には長蛇の列ができていた。こんなに疲れてるのに無慈悲過ぎる。乗りたくないと思ったが、その次の電車は遥か遠くを走っていた。到着した電車はもちろん満員で、そこにホームの乗客が殺到した。私は満員電車が大嫌いである。そしてダイヤが乱れていたらなおさら。後ろから押されて押されて押されまくって降りることなどできなくなっていた。
 息が詰まりそうだった。コロナなんて関係なかった。早く着くことを祈るしかなかった。3駅我慢すればいいと言い聞かせた。幸いにも電車は普通の速度で走った。駅を過ぎる度に少しずつ空いていき、なんとか大垣までたどり着いた。
 大垣止まりだと思ってたら米原行きだった。そのまま乗っておこうと思ったら、行き先変更で強制的に降ろされた。米原行きのホームも長蛇の列だった。大垣から米原ってこんなに乗るのか?「電車は4両で到着します」、増結しろよ!電車が到着した。我先にと乗客が殺到した。1時間立ちっぱなしを覚悟していたが、幸運なことに席をゲットできた。
 1958米原加古川行きに乗車。2055草津発柘植行き。家に着いたのは21時半だった。4時間半は酷い。
 今日は行くのが一苦労で、出張先の仕事もやや不満足な結果で、帰りはさらにダイヤ乱れに巻き込まれる、という散々な一日だった。また行かなきゃいけないかも。これは辛い。

2021/10/10(日)「石部宿」

 11時スタート。湯の山温泉を目指した。国道1号線で土山の方へ。しかし、途中で雨が降ってきた。これでは鈴鹿スカイラインの眺望が楽しめない。途中で引き返した。道端の看板に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と書いてあった。峠だと天気が悪いのかもな?
 同じ道を引き返すのは芸がないので、青看が示す甲賀駅の方に行った。草津線がどこだかわからないまま、山の中に突入した。なんか見覚えのある道だった。15年前に忍者村に行く時に通ったような?そのうち野洲川にぶつかり安心した。
 12時半過ぎに水口のサイゼリヤ。赤ん坊が2組ギャン泣きしててうるさかった。サイゼリヤって低価格だからか、金のなさそうな学生や品のない家族連れがいるよね。
 晴れてきたから土山に再チャレンジしたが、前方の鈴鹿の山は濃いもやがかかっており、明らかに雨模様だった。再度引き返した。
 3週間前に失敗した水口城資料館に行こうとしたが、城の前の橋に見覚えのあるバリケードがあったのでそのままスルー。緊急事態宣言が解除されても、開ける気がないらしい。
 城の一本隣の道に、少しだけ商店がある雰囲気のある通りがあった。さて、水口で気になっている場所に、15年前に見た廃墟となったアーケード商店街があった。アーケードとは言っても50mくらいの極めて短いものだった。当時、夜中に適当にジョギングしてたので、どこだったのかがわからなかった。もしかすると、雰囲気のある通りは廃墟商店街と関係があるかもしれない。探索してみることにした。
 通りは近江鉄道水口城南駅の北側に伸びていた。駅近くに工事中の怪しげな空間があったが、商店街跡との確証は得られなかった。なんせ15年前のことである。もう再開発されてるのかもしれなかった。線路の踏切の手前に伝統的建造物群保存地区によく置かれている交流館があった。昔の町並みが残っているからか?踏切を渡るとフォーク型の三叉路になった。適当にそのうち一つを選択。するといつものよく知ってる道に出た。
 帰ってからGoogleで地図を調べると、私が通った道は東海道であり、踏切の横にあった駅は水口石橋駅だった。水口城南駅の隣は水口駅だと思っていたので、水口石橋駅の存在自体知らなかった。Googleアースでアーケードを探したが見つからなかった。アーケードを検索すると、写真が出てきた。どうやら撤去されたようだった。でも、記憶とは違ってアーケードは長かった。また、どこにあったのかを調べたが、はっきりしなかった。撤去日もわからなかった。一度、徒歩で探索する必要があるな。
 15時、東海道石部宿歴史民俗資料館に行った。雨山運動公園という車でしか行けないような山の上にあった。3週間前、公園の門は閉まっていたが、今度は開いていた。資料館を外から見ると、昔の茅葺き屋根の家屋が見えた。しかし、閑散としていて、受付も閉まっていた。「チケットは管理事務所まで」となっていた。止めようかと一瞬思ったが、一応管理事務所に行ってみた。3人くらいの職員がいて驚いた。思わず「資料館やってますか」と言ってしまった。開いてるとのことだった。
 茅葺きの家屋は農家を移築したものだった。ほとんど説明はなかった。たくさんの農機具や調度品が無造作に置いてあった。ワイルドな展示だった。
 隣は商家で、その隣は茶屋で、そのまた隣は旅籠だった。農家と同じような感じだった。
 資料館の建物。入り口に大きな石碑があり、今は亡き「石部町」と書かれていた。おそらくかつて石部町肝いりの施設だったのだろう。建物は立派だったが、長年使ってないような埃臭さがあった。
 石部宿は東海道51番目の宿場町で、京都から36km離れていることから、最初に泊まる宿場町ということだった。明治元年明治天皇が東京から京都に帰ってくる際に本陣に宿泊したとのこと。その時の総勢がなんと3200人で、その人数が分散して宿泊したとのこと。当時、石部宿には63軒の旅籠があった。今からは想像がつかない。宿泊者の中には大久保利通大隈重信の名前もあった。
 宿場町の構造は今までも何度か勉強する機会があったが、ここの資料館はとても詳しくてマニアックだった。ほとんど需要はないと思えるが、強い郷土愛を感じた。この辺りには、草津、水口、土山があることから、東海道を徹底的に回ってみるのも面白いかもしれない。
 今日は三週間前と同じでで撮れ高が悪かったが、最後になんとか挽回できた。東海道に興味が出てきたのがよかった。

2021/10/09(土)「琵琶湖一周」

 10時半スタート。琵琶湖大橋に向かった。守山市内は混んでいた。仕方ないか。琵琶湖大橋はKG面子でピエリ守山に行った時に通った。あの時は映画「幻の湖」を思い出した。
 料金所では100円で済んだ。琵琶湖大橋からの景色は素晴らしかった。琵琶湖が遠くまで見渡せて、琵琶湖が山に囲まれていることがよくわかった。これで100円は安すぎると思った。ちょうどミスチルの「蘇生」がかかっていてサビの部分が流れた。「何度でも何度でも僕は生まれ変わっていける」、景色と曲が一体となり、まるでテレビのワンシーンのようだった。
 琵琶湖大橋を渡ると、真っ直ぐ湖西の山を登った。不安になるくらい奥に進むと国道367号と合流した。国道に入ると、途中という地名が見えた。15年前の記憶が甦ってきた。出張で来た同期Tが鯖街道に行きたいというので通ったことがあった。
 鯖街道は山奥にありながらとても走りやすい道だった。15年前は山深い印象だけだったが、今回は近くに迫る大きな山が大迫力で素晴らしいと思った。途中から道は川に沿うようになった。自転車がいたり、バイクがいたり、ドライブという感じだった。
 12時半、道の駅「くつき新本陣」に寄った。ここは15年前に同期Tが鯖寿司を買った場所である。当時、私は鯖には興味がなかったが、同期Tがあまりにもうまいうまいと食べていたので、後日チャレンジしてすっかり鯖寿司好きとなっていた。今回、私はここで焼き鯖寿司を買うつもりだった。
 焼き鯖寿司は弁当しかなかった。作り置きの焼き鯖寿司って、脂が悪くて美味しくないんだよな。近くにお店があったから行こうとしたら、テイクアウトしかやってないようだった。仕方がないので弁当を買った。作った人の名前が書いてあるので、今までと違って新鮮なのではないか?
 道の駅の隣に観光案内所があり、そこに休憩スペースがあった。弁当を開けて食べることにした。焼き鯖寿司は昔ながらの竹の皮で包まれてて、外側全体がラップされていた。一口食べたら、普通にうまかった。やはり新鮮だったようだ。これで今日の目的はほぼ達成された。
 もう一つの目的地は白髭神社だった。山を下り、国道161号を南に戻った。国道161号はほとんどが高架になっており、まるで高速道路のようだった。国道161号が琵琶湖沿いを走るようになると、しばらくして琵琶湖の中に鳥居が見えた。ここが滋賀の厳島神社と言われる白髭神社だった。
 鳥居と神社の間にはがっつり国道161号が通っており、横断も禁止されていた。鳥居の前だけ写真用にかガードレールが途切れていたが、そこにはバリケードが置かれており「横断禁止」と看板が立っていた。写真を撮ってもイマイチだった。これが滋賀の人気観光スポット?よくこんなの紹介したなあ。がっかりスポットだった。
 今度は国道161号を北上した。まるで高速道路だった。右手に琵琶湖、左手には山、とても気持ちのいい道だった。
 マキノピックランド。ここもまた15年前に来たことがあった。道の駅みたいだが、そうでもなくて、なぜか人がたくさんいるところだった。一応ジェラートを食べた。
 ここの前の道はメタセコイヤ並木になっていた。記憶になかったが、年代からして前も通ったみたいだった。確かに珍しいものだったが、函館のトラピスト修道院や日光の杉並木を見ているため、ふーんという感じだった。
 国道303号線を通って、琵琶湖の北端を東に進んだ。塩津の藤ケ崎トンネルの手前で琵琶湖の方に向かうと琵琶湖沿いの道となった。遠くまで琵琶湖が見渡せて素晴らしい景色だった。やっぱり琵琶湖は湖北から見るもんだ。
 余呉湖を一周した。ここも15年前に来た。水辺だったことは覚えていたが、一車線というのはすっかり忘れていた。対向車が来たらヤバかった。とんでもないとこに入っちゃったなと思った。景色は素晴らしかったけど、早く脱出したいという気持ちの方が強かった。
 湖岸道路に行った。さざなみ街道という名前がついていた。ここからの眺めも素晴らしかった。しばらくドライブを楽しんだ。
 16時、長浜で黒壁スクエアに行った。あまりいい印象はなかったのだが、こないだ隊長が「何回も行ってるけど、長浜の町並みっていいよね」というのが引っ掛かっていた。車を停めるのが大変だった。なんとかちょっと離れているけど、コインパーキングを見つけた。長浜の町並みは確かに昔のながらの雰囲気を残していた。しかし、重要伝統的建造物保存地区と比べるとあんまりだし、観光客狙いになっているように思えた。黒壁スクエアに至っては、思ってたよりも酷かった。明治の黒漆喰の建物だそうだが、塗り直されているのかピカピカだった。これでは雰囲気も何もあったもんじゃなかった。そもそも壁が黒いから珍しいというのが納得いかなかった。
 帰りは国道8号線から帰った。途中、東近江でラーメン「塩元帥」に行った。塩元帥はTさんお勧めのラーメン屋で、滋賀でちょくちょく見かけていた。塩つけ麺にチャーハン餃子のセットにした。つけ麺はうまかった。つけ麺の塩ベースは初めてだったが、スープが麺に負けてなかった。思わず「つけ麺さとう」を思い出した。あれは甘かったが、麺自体の味が似ていると思った。同じ?スープにゆずの風味がすると聞いていたが、まったく感じなかった。これは楽しみな店が増えた。チャーハンと餃子はやりすぎw。
 結局、琵琶湖一周した。単純にドライブとして楽しかった。いつもはただの移動であり、めんどくさいと思っていたが、ドライブがストレス解消になると思ったのは初めてだった。今日いろんなとこに行ってしまった。もうあんまり滋賀で車に乗って行くとこはないかも?雪が降る前に泊りがけで遠くに行っときたいな。

2021/10/08(金)「激務」

 昨日は一日中打ち合わせだった。今日、そのうち一つの打ち合わせに対して、急に部長からMさんに「議事録を書きなさい」と指示が来たので、そのまま私に丸投げされた。もしかしたら、書くのかなとも思っていたから、やっぱりという感じだった。
 これで午前中の予定がぶっ飛んだ。そのせいで午後からはとんでもなく忙しくなった。やることが山のように溜まっており、優先順位はすべて優先だった。
 昨日の会議は、下っぱの私は横で黙って聞いてる他なく、実にダラダラしたものだった。私が会議に出てしまうと、手を動かして実験しているのはTクンだけになる。さらに議事録も私が書くと、もっと実験が止まってしまう。絶対このあと実験がボトルネックになる。次からは会議には出ないようにしよう。
 夕方、本社から議事録が出てきた。時間返せ!