びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/03/18(月)「炎上」

 3件同時に炎上した。乾いた笑いしか出ないわ。しばらくは残業対応でプールは無理かもしれない。
 今日は新習志野のプールは休業だった。新浦安のサイゼリヤからの独りカラオケ。泳がずにサイゼリヤ行ってたら中性脂肪が減らないんだが。マジで大ピンチかもしれない。

2024/03/17(日)「無為」

 車で出かけるつもりだったが、出遅れた上に特に行きたいところもなかった。出かけるのを止めて、敷パッドを洗濯したりした。
 車の散歩がてら、稲毛海岸のイオンに行った。散髪して春物の上着を買った。幕張PAでしうまい弁当。昨日のリベンジだった。
 今日はプールはさぼり。何もしない一日だった。

2024/03/16(土)「横浜」

 起床は6時過ぎ。北朝鮮の船が展示されてるのが気になっていたので、横浜に行くことにした。
 8時過ぎに出発。天気は快晴で春らしい日差しが気持ちよかった。東京からは東海道線。ラッシュみたいになっていた。横浜駅は2015/5/4のカルカソンヌ予選以来。京浜東北線に乗り換えて桜木町駅下車。降りるのは初めてかも?まずは腹が減った。駅構内で崎陽軒売店を発見。しうまい弁当を買った。
 降りたら臨海都市と公園の入り交じった風景。高いビルをバックに、特徴的な形の建物や観覧車があった。また桜木町からは頭上にスカイキャビンというゴンドラがひっきりなしに走っていた。西園寺のYoutubeで見たことがあった。運河パークまでは1000円。高いなあ。乗りたいなあと思ったが、まずは歩くことにした。
 1035、汽車道。海から突堤が出ていて、何ヵ所か鉄橋もあった。名前の通りここは昔の貨物線の跡であり、歩道になっていた。前々から通ってみたいと思っていた。あとで通ることにしてまずは腹ごしらえすることにした。
 しうまい弁当。しょっちゅう食べてるからいまさらなんだが、それでも横浜と言ったらこれでしょ?人気のない白いおしゃれなベンチがあり、弁当を食べてる人たちもいた。空いているベンチに座った。青空の下で食べるのは格別であった。いつもしうまいを3つ食べてから唐揚げ、蒲鉾、玉子焼き、しうまい2個、たけのこ、マグロ、紅生姜、昆布、あんずと進む。梅は食べない。唐揚げを食べたところで、一瞬バサバサと聞こえた。その刹那、弁当箱にドンッという衝撃が走った。ほんの一瞬の出来事だった、なんと死角から大きな鳥に蒲鉾を強奪されそうになった。鳥を見上げると、とんびのように見えた。蒲鉾には鳥の爪が食い込んだ跡が残っていた。そのまま気にせず食べようかとも思ったが、なんか気持ち悪いので残りはすべて捨てることにした。まだ半分も食べてなかったのに。話のネタとしてはおいしいかもしれないが、食べ物の恨(ry。
 1055、日本丸。帆船が係留されていた。横浜みなと博物館とのセット券は800円。中に入ると、昨年富山で見た海王丸とほぼ同じように思った。操舵室にいたガイドのおじいさんに「海王丸と似てますね」と聞くと「ほとんど同じです」と言われた。あとで知ったのだが、日本丸海王丸は姉妹船だった。
 1140、横浜みなと博物館。黒船来航から現代までの横浜港の展示をしていた。ペリーとの交渉のシーンが再現されていて、前にYoutubeで解説を見たことがあったのもあり興味深かった。一回ちゃんと詳細を調べてもいいかもしれない。それから井伊直弼が開港の父みたいな感じで扱われていたのが意外だった。井伊直弼と言えば、この時朝廷の許可を得ずに開港を決めたり、安政の大獄で優秀な人材を死に追いやった悪いイメージしかなかった。
 開港のあとは横浜に出島のような外国人居留地ができて、その関所があった場所が今の関内であったり、どんどん時代とともに埠頭が増えていった様子が説明されていた。港町横浜にふさわしいとても面白い展示だった。
 1355、柳原良平アートミュージアム。横浜みなと博物館の中にあった。柳原良平は寿屋(サントリー)のデザイナーで、トリスおじさんを描いた人である。白黒の三色で構成された切り絵と、大胆なデフォルメに特徴があった。最近、商業デザイナーの人の展示をよく見かけるなあ。これも時代の流れかな?
 1420、撤収。ようやく汽車道を通った。地面にはレールが埋められていた。両側は海。歩いていくと、目の前は広場になって、歩道は巨大なホテルの下を潜り抜けていた。その先には有名な赤レンガ倉庫があった。
 赤レンガ倉庫は2棟あり、平行して建っていた。その間にはたくさんの白いテントが立っていて、飲食物を売っていた。やたらと犬を連れてる人たちがいた。なんだろうと思ったら、網で作った簡易的な囲いがあり、何かのイベントをやっていた。私には犬を連れてる人は邪魔だった。なんでわざわざ人が多いところに犬を連れて来たがるのか?自慢したいだけにしか思えなかった。
 赤レンガ倉庫を通り過ぎると先には巨大な豪華客船が停泊していた。10階建てのビル以上の高さがあった。あまりにも巨大で圧倒された。「セレブリティ・ミレニアム」という名前でマルタ船籍だった。
 今日の目的の資料館は赤レンガ倉庫のすぐ近くにあり、想像とは違って、ものすごく華やかな場所にあった。1450、海上保安資料館横浜館。ここには平成13年12月に起きた九州南西海域工作船事件海上保安庁の船と銃撃戦を行い、自爆した北朝鮮の船があった。鉄でできた船は思ったより大きくて錆だらけだった。船の側面にはおびただしい弾痕があり、戦いの凄まじさを物語っていた。最初、これを見るまではなぜこれを公開しているのかがわからなかったが、海上保安庁の現場の人がどれだけ大変かを訴えるにはこれ以上の教材はないように思われた。船の遺留品にはたくさんの銃やロケットランチャー、通信機器、防水の地図、ハングルの書かれたピーナッツの袋などがあった。最後に銃撃戦の映像と音声が流されていた。これほど引き込まれた映像はなかった。大炎上する工作船の甲板で布をバタバタして消火しようとしてる人が映っていた。この船に乗っていた人たちはどんな気持ちだっただろう?国家のイデオロギーのため逃げ場はなく自爆するしかなかった。いつもの暮らしの裏ではこのような悲劇が起きている。決して他人事ではない。ここに来て本当によかった。
 一応、赤レンガ倉庫をチェックした。中には飲食店や雑貨の店が並んでいた。函館の金森赤レンガ倉庫や、敦賀の赤レンガと同じパターンだった。これでは張りぼてと変わんないわな。
 像の鼻パークを通って山下公園方面へ。いかにも廃線跡らしい歩道が延びていた。調べると、山下臨港線プロムナードというらしかった。ビンゴ!
 山下公園にはブログを始める少し前に来たことがあった。合コンで会った人が、私が忘れたペン(ドクターグリップ)を返したいという内容だった。その時は夜に中華街で会って、山下公園に来た。外国人の大道芸人がチェーンソーでジャグリングをしていたのを覚えている。物凄く衝撃的だった。
 今日もまた大道芸人のおじさんがいた。ここには常に大道芸人がいるのだろうか。火のついた棒をジャグリングしていた。チェーンソーには負けてるなと思った。
 16時、山下公園の先には黒っぽい船が停泊していた。日本郵船氷川丸というらしかった。閉館が近かったのでスルーした。この時点で横浜にはもう一度来なきゃいけないと考えていた。
 1610、ガンダムファクトリー横浜。期間限定なのかな?ここには実物大のガンダムベースとガンダムがあった。どうやら動くようだった。値段は1650円。長蛇の列ができており、入場規制がかかっていた。こんなん人が集まるに決まってる。なぜ期間限定なのか?大きいので外からでも見えた。外にもたくさんの人がいた。動くのを待ってたのかもしれない。私は外から写真を撮っただけで退散した。
 16時半、中華街。しうまい弁当も半分食べ損ねたし、せっかくなので何か食べて帰ることにした。とは言っても、本場の中華料理は飽きるほど食べたので、日本の中華街で食べる中華料理はどんなんだかというところに関心があった。たくさんの店がありどこに入ったらいいのかまったくわからなかった。ネットで調べて行列に並ぶつもりもなかった。中国でもこんなに賑やかなところはなかったなと思った。それにやたらと占いがあった。どうやら台湾が中心のようだった。それだと私の思ってるのとはだいぶ違うのかもしれない。
 直感で「福臨閣」という店に入った。客が一組しかおらず、失敗したと思った。お姉さんが片言の日本語で案内してくれた。台湾の人なのかな?店には中華料理屋独特の豚の生臭い臭いはなく、床も脂でベトベトすることはなかった。店員どうしが中国語でしゃべっていた。ここでは私の方がアウェイだった。店員を呼ぶ時に「フーユエン」と言ってたのを思い出した。言わなかったけど。
 黒酢スブタ定食とフカヒレ入り海鮮ギョウザのスープ。私の知ってる中華料理の鮮烈さはなかったけど、だからと言って普通よりちょっと落ちるような?まあ私は外国の料理は日本人の舌には合わないと思ってるから。なぜ来た?
 日本大通り駅からみなとみらい線で横浜。東海道線京葉線で帰った。あまり発見はないかもしれないと思っていたが、横浜のことを深く知れて、北朝鮮の船も衝撃だったし、楽しい一日だった。見きれなかったところもあるのでまた訪れたい。それにしても神戸とよく似てるんだよなあ。

2024/03/15(金)「引導」

 昨年の10月より気持ちは現役を引退しているのだが、名実ともにそうなりそうな予告があった。ここに残っていてももう面白味もないし、他の部署に行くつもりもない。ここまでよく頑張ったよ。早く希望退職募集しないかな?
 今日は面談で帰りが遅くなったので新浦安のサイゼリヤからの独りカラオケ。思いっきり発散しようとしたら、すぐに声がガラガラになった。

2024/03/14(木)「泳ぐ」

 19時、新習志野のプール。プールは中1日。調子よかった。流してたからかな?最後200m結構本気で行ったら息が切れる切れる。昔はこれで2時間行けてたから訓練次第かな?クロール16往復。休憩。クロール11往復。2700m。

2024/03/13(水)「都庁」

 初めて都庁に行った。食堂でうな重を選択。1200円だった。普通だったら2500円くらいするのに。しかも、まあまあおいしかった。上の方の階からの眺望は素晴らしかった。展望台にも行きたかったが、行列ができてたのでパス。また機会もあるだろう。やっぱり新宿駅で迷ったw。東京駅で久しぶりのますのすし

2024/03/12(火)「泳ぐ」

 1830、新習志野のプール。プールは中5日。流石に身体が鈍っていた。気持ち良さなんかなかった。クロール6往復。休憩。クロール16往復。休憩。クロール4.5往復。2650m。これが今の実力。こっから上げていかなきゃな。

2024/03/11(月)「戦略」

 中性脂肪を下げなければいけない。上がった原因は、泳ぐ回数が減ったのに、泳がない日に晩飯をガッツリ食べたから。それから昼食のご飯を大盛にしたから。あと関係ないかもしれないが、寝る前にパイナップル食べたり、コーラ飲んだりしてたから。対策はそれらを元に戻せばいい。きっとどこかで耐え難い空腹感に襲われるはずだが、早く寝ることでなんとか回避できれば。

2024/03/10(日)「京都」

 東横インあべの天王寺。3時半頃にトイレ。そっからはあまり眠れなかった。気がついたら7時。寝過ぎでもなく、あんまり寝たような感じでもなく、スッキリしなかった。
 735、出発。中之島公会堂の写真が撮りたかったので、御堂筋線で動物園前から淀屋橋まで。中之島は久しぶりだった。階段を上がると土佐堀川の向こうに大阪市役所があった。ここは広くて元々気持ちのいい場所だと思っているが、そう思っている以上に気持ちいい場所だった。
 905、中之島公会堂。何度来てもここは素晴らしい。しかも、今日は雲一つない晴天。日差しは少し暖かく、風は少しピリッとしていた。周りは近代的なビルが立ち並ぶのに中之島だけはゆったりしてる。そして、公会堂は赤レンガ。そんなに古さを感じさせないのは、よく手入れされてるからだろう。あとで前に来たのはいつだろうかと調べると2020/9/20以来だった。その前はブログ以前。もっと来てるような気がしたが?
 最初、梅田まで歩こうと思っていたが、川沿いを堺筋線まで歩くのもいいかと思った。そしたら、目の前に京阪のなにわ橋駅が現れた。そうか京阪があったか!岩清水八幡宮に行こう!階段を地下に降りて行った。淀屋橋の次の駅かなと思ってたら、中之島線やんけorz。お前誰がこんなん乗るねん?京橋からやったら座られへんねんぞ!みんな淀屋橋から乗るやろ?都会の中の秘境駅だと思った。いや、卑怯だろ?
 こうなったら二度と来ることのないこの駅を味わい尽くすだけだった。駅はやたらと地下深かった。上りエスカレーターはあるのに下りはなかった。エスカレーターは本来下りの方が必要とされるのに。この辺りから既に京阪のやる気のなさが垣間見られた。階段もホームも真新しかった。お客はいないのにまっさら。廃駅の逆やな?
 次の天満橋京阪本線に乗り換えることができた。ホームは別だった。不便!やってきた特急にはちらほら空席があった。無理矢理空席を探して座った。枚方市で準急に乗り換え。岩清水八幡宮へ。
 岩清水八幡宮にはたまやん会の初詣で来たことがあった。確かたまやんが免許取り立てのタイミング。少なくともブログには記載がなかった。当時は夜中だし、神社にも興味はなかった。ケーブルカーで登って、歩いて降りたような気がする。
 岩清水八幡宮参道ケーブル。前は男山ケーブルって名前だったような?ケーブル八幡宮駅1015発。アナウンスによると、岩清水八幡宮は鳩の彫刻が有名で、京阪電車の鳩のマークの由来となっていた。へー。
 岩清水八幡宮の門は工事中でシートが被せられていた。門を潜り抜けると国宝の本殿があった。本殿は起伏が少なく、真ん中にだけ庇が出っぱっていた。私は他の神社とは格が違うように思った。裏には摂社や末社があり、さりげに重要文化財だった。最後にお参りした。いつもお祈りすることを迷うが、今回は一択だった。「痩せますように」、告白することで気持ちを少しでもラクにする効果があるのかもしれない。
 1050、石翠亭。山菜うどん。山菜が惜しげもなくたくさんあって素晴らしかった。
 1140、展望台。とてもよい眺望だった。眺望では3本の川が合流して淀川となっていた。まるで戦国大名の気分だった。
 ケーブル八幡宮山上12時発。岩清水八幡宮1209発準急で三条まで。
 13時、ミープル。イナさん、Mさん、Uさんでアグリコラ。カードの効用を間違えて撃沈。結構あるよなあ。出遅れが酷すぎてわずか35点。
 donpaと前回から加わったバイトの女性を入れて、タイムボム、ごきぶりポーカー、キャプテンリノ巨大版、ジャストワン、スカルキング、ドブル。スカルキングでは初めてスカルキングを決めた。しかも、2回も。
 1910、撤収。いつものルートで20時の新幹線。遅れていてドキッとしたが、8分遅れだった。帰宅は2350。
 今回の遠征は、中性脂肪がすべてだった。仕事もボロボロ。これ以上悪くなることはないだろうというくらい悪かった。しばらくは性根を入れ換えて一日一日頑張ろう。

2024/03/09(土)「古市&富田林」

 東横インあべの天王寺。起床は7時前。いつまでも寝ていたかった。今日も昨日の続きで古市に行くつもりだった。大本命の羽曳野市文化財展示室の開館時間を調べると、月曜日になっていた。しまったあああ。今さらこんなミスをするなんて!なんで昨日行かなかったんだ!行きたいとこから行くのは鉄則だろうに!しかし、今さら予定を変えるのも中途半端だった。今回は縁がなかったということで。酸っぱい葡萄・・・。朝食後、740に出発。
 近鉄大阪阿部野橋駅801発藤井寺行き普通に乗った。今日は藤井寺下車。
 835、藤井寺球場記念モニュメント。子供の頃からよく野球を見ていたが、藤井寺球場がどこかわからなかった。昨日人生で初めて藤井寺を訪れたが、肝心の球場を見るのを忘れていた。藤井寺駅から線路沿いを西に進むと、すぐのところに四天王寺東高校という高校があった。その前に藤井寺球場があったことを示すモニュメントがあった。モニュメントは子供の像だった。ネットでは野球小僧と書かれていたが、碑文にはそんなことは書かれていなかった。
 藤井寺駅から隣の土師ノ里駅へ。180円。駅前には古墳があった。さすがだ。後回しにしてまずは北上。
 855、允恭天皇陵古墳。大きかった。堀は空で遠くまで続いていた。
 910、志貴縣主(しきあがたぬし)神社。河内国府とともに創建したらしい。式内社
 南に戻り、920、国府(こう)遺跡。旧石器、縄文、弥生の複合遺跡。地名から河内国府跡ではないかと言われてるが、証拠になるものは出てきてないらしい。
 土師ノ里駅に戻り駅前にあった古墳。945、鍋塚古墳。仲姫命陵古墳の陪冢。上まで登れた。すぐ近くに仲姫命陵古墳の森が見えた。
 950、仲姫命陵古墳。お姫様にしては巨大な古墳。年代的に仲哀天皇陵ではないかという説があるらしい。
 1005、古室山古墳。はげ山の前方後円墳。奥の方に行くと梅が咲いていた。写真を撮っているおじさんがいるなあと思ったら話しかけられた。やたら古墳に詳しかった。「登ったらいいですよ」と言われて、その気はなかったけど一緒に登ってみた。「ご存じかもしれませんが、石が落ちてるのは葺石です」。上からの眺めはとてもよかった。周りの古墳が大体見渡せ、おじさんは一つ一つ説明してくれた。「なんでそんなに詳しいんですか」と聞くと「地元で造園をやっててよく古墳を整備するからです。それから道明寺で氏子やってて、世界遺産登録の時に市に協力してました」と言われた。昨日のおじいさんと同じく太子町を薦められた。そんなにいいのか?他にも藤井寺市の1/4の面積は古墳、近つ飛鳥博物館の場所はわかりにくい、高槻の今城塚古墳は素晴らしい、道明寺は土師氏が建てて5代後が菅原道真、興味深い話のオンパレードだった。同じ趣味を持つ人は凄い楽しいなあ。千葉にもいないかなあ?
 昨日から思うに、古市は歴史のマニアにとって見るべきところがたくさんある。それなのに中心となるべき近つ飛鳥博物館が遠くに離れ過ぎている。近つ飛鳥博物館に行った時には古墳の話ばかりで驚いたものだった。古市は宣伝もへたくそである。私でもどこから見たらいいのかさっぱりわからなかった。「観光難易度A級シティフジイデラ」というポスターがちらほら貼ってあった。私は笑えたけど、歴史好きではない一般人には何のことかわからないだろう。古墳時代は学術的にどの天皇の墓でとかが確定してないので突っ込んでアピールしにくいものなのかもしれない。その割には立看板には突っ込んで書いてるんだけどなあ。
 1105、赤面山古墳。ここはデイリーポータルZで紹介されていた。小室山古墳のすぐ側で西名阪自動車道の真下にある。ここだけ橋脚のスパンが長くなっていた。また生活道路は古墳を避けて回り込んでいた。
 大鳥塚古墳。ここも前方後円墳。古室山古墳と雰囲気が似ていた。
 応神天皇陵古墳。全国で2番目の大きさ。やたらと土の量は1位とうたっていた。二番で悔しかったのだろうか?遥拝所も他の天皇陵よりも大きかった。近くの外堀はウソみたいに幅が広くてビックリした。遠くまで畑になっていた。
 11時半、餃子の王将外環藤井寺店。
 1235、はざみ山古墳。水堀に鳥がたくさんいた。
 1245、野中宮山古墳。神社や公園になっていた。
 13時、墓山古墳。大きかった。陪冢が4つあった。その一つが向墓山古墳。
 1310、誉田白鳥埴輪製作遺跡。小さな公園。説明板があるだけだった。
 1320、誉田八幡宮応神天皇陵に隣接しており、敷地は大きかった。よく考えれば、八幡宮応神天皇を祀っていた。そういう意味ではここは大本であるように思えたが、始まりは宇佐なんだよなあ?応神天皇と結びつけたから、後からここにできたのかもしれない?拝殿は工事中でネットで覆われていた。土曜日の13時から16時まで拝観庫を見学できた。ラッキー!400円。神社の若い人が倉の閂を開けた。ここには国宝の金銅製透彫鞍金具と塵地螺鈿金銅装神輿があった。金銅製透彫鞍金具は応神天皇陵の陪冢である誉田丸山古墳から出土した。思ったより大きくて見事だった。塵地螺鈿金銅装神輿は源頼朝が寄進した神輿だった。他に置いてあった重要文化財螺鈿細工も見事だった。
 東高野街道を北上した。風情のある道だった。いつか街道を歩き通すのもいいかもしれない。
 1405、道明寺。ここは土師氏の寺で土師寺と呼んでいたが、5代後の菅原道真が幼少期に道明と呼ばれていたので道明寺となった。国宝十一面観音像は毎月18日と25日が御開帳であった。また来たい。
 1420、道明寺天満宮。道明寺は寺だと思っていたら実は神社の方がメインだった。そもそも菅原道真天満宮に祀られているので、ここが天満宮の始まりとも言える。明治の神仏分離では道明寺の場所が変わった。神社の人に宝物館がやってるか聞いたら閉まっていた。
 1435、埴輪窯跡復元。小室山古墳で出会ったおじさんが作ったと言っていた。
 これで大体のところは回った。時間が余ったので、最近ずっと行きたいと思っていた富田林に行くことにした。道明寺駅から1452発河内長野行き。富田林西口駅下車。富田林駅から先は単線だった。
 降りたらすぐ左手にPLの塔が見えた。これが一番見たかった。白くて高くて奇妙で芸術的なフォルム。まるで異世界アニメに出てきそうな景色だった。前は景観を損ねてると思っていたが、今は富田林の個性のような気もする。
 富田林に来た理由はここには重要伝統的建造物群保存地区の地内町があったからだった。
 1520、旧杉山家住宅。重要文化財。地内町で一番古い建物だった。400円。たくさんの観光客がいた。とにかく寒かった。
 1545、地内町センター。杉山家の前にあった。寒過ぎて、オニオンスープを買って飲んだ。
 城之門筋を北上した。白壁の家が並びなかなか風情のある景色だった。平成9年の登録だからあんまり期待してなかったが、とてもいい感じだった。ならまちまちや橿原の今井町を思い浮かべた。
 16時、じないまち交流館。ぜんざいをふるまっていた。食べたかったけど、売ってるわけではなかった。
 1610、興正寺別院。地内町はこの寺が中心となって宗教自治都市を形成していた。町の周囲には壁があったらしい。天理教の長屋を思い浮べた。
 近鉄富田林駅まで歩き、大阪阿部野橋駅まで。
 17時半、東横インあべの天王寺。カールうす味を食べて休憩。まだ時間が早かったので思いきって難波まで行くことにした。前々から心斎橋のグリコの看板の写真が撮りたかった。
 1820、出発。阪神高速の高架を越えると、すぐにジャンジャン横丁になった。名前は知ってるが、通るのは初めてかも?狭いアーケードに所狭しと飲み屋が並んでいた。中には射的や弓的も。縁日?とても活気があった。こんなにベタベタなところがあったんだな。
 道の先に見える通天閣の写真を撮った。外国人観光客がたくさんいてみんな写真を撮っていた。夜空に光る通天閣、道の両側には飲み屋の看板の灯り。ここの風景はとても大阪らしくて好きだ。
 通天閣の下を通り、阪神高速を越えて、でんでんタウンへ。すっかり寂れていた。あんだけうるさかったソフマップもなかった。オタロードに行くと、少し活気があった。客引きのコスプレしたメイドばっかりでうんざりした。
 なんば花月から「わなか」を通り抜けた。
 1905、自由軒難波本店。もう一つの自由軒は食べたことはあるが、本家を標榜しているこちらは初めてだった。だいぶ前にチャレンジしようとしたことがあったが、大行列で諦めていた。今日は並ばずに入れた。名物カレー大。生卵が2つ乗っていた。味は薄くて、もう一つの店とは明らかに違うような?飛び抜けておいしいわけではなく所詮はB級やね。ソースをかけるとおいしくなった。
 戎橋に行って、念願のグリコの看板を写した。外国人観光客が多くて、みんなグリコのポーズをしていた。戎橋は日本で一番混んでるのではないかというくらい混雑してた。
 そのまま道頓堀を歩いた。昔の道頓堀のイメージではなく、へんてこな立体看板だらけになっていた。餃子、たこ焼き、寿司を握る手、なんかの顔とかも。かに道楽のカニくいだおれ太郎も健在だった。やり過ぎやろ?
 若い人だらけだった。すごくにぎやかでパワーがあった。若い時にこういうところで遊んでおくべきだったかも。気がつけばこんなに年をとってしまった。
 御堂筋線なんばから動物園前まで。動物園前の方が天王寺よりもホテルが近かった。名前が悪いわ。
 2010、東横インあべの天王寺。今日もめっさ頑張った。今を頑張らなければいけないと思った。なんばなんていつでも行けるって思ってたら、結局行かないような気がした。あの時こうすればよかったなんて思わないように精一杯生きていこう。