びーの独り言

どこいくの?どっか。

2025/12/04(木)年休「休養」

 なんとなく休みたくなって休んだ。元々身体的には休養充分であったし、単に気持ち的なものであった。そんなんで休むのかというのもやっぱり少しはあったが、なんだか休みたいという気持ちの方が勝った。
 行動の内容は最近の土日と同じだった。ただ平日の休みという部分だけで至福の時であった。たまにはこういうのもいいね。癖にならなきゃいいけど。

2025/12/01(月)「年賀状」

 今年の高校友人Tからの年賀状に、今年で終わりにしたいと書かれていた。これはショックだった。今後も会いそうにないので、これはもう今生の別れだった。4枚しか出してない年賀状は3枚となった。
 土曜日にいつもの大学友人Sと長電話してたら、「年賀状減らしてる」とか「毎週電話してたら書くことない」と言われた。でも、なくなると2枚になるから「出してくれ」と頼んだ。
 今日は年賀状を書こうと思っていた。大学友人Sの年賀状は向こうがそう言うのならそうするべきかと思い直していた。メールで聞くと、そうしようという話になった。
 あとはmisterと仮想妹Rだけとなった。もしかして止めたいと思われてたりして(爆)

2025/11/30(日)「年表」

 先週の高知で昔に訪れた場所ではないかという疑いがあり手結港に行ったが、よくわからなかったので昔の写真を見て検証することにした。またもう一点、宇都宮に赴任してから、やすをとの夏の東北、上野との冬の四国〜九州、やすをとの北海道と行ったのだが、正確な年がわからなくなっていた。それも確認したかった。
 地下の収納庫に行ってアルバムの入っている段ボール箱を引っ張り出した。懐かしい写真たちが出てきた。これらは昔はよく見ていたのだが、いつの間に引っ越しを繰り返すうちに段ボールの中が定位置となり、まったく振り返ることはなくなっていた。
 写真を見ていて、段々と思い出してきたが、それでも詳細についてはわからないところがあった。再び地下に行って、今度は当時の日記の入っている段ボールを引っ張り出した。日記と言っても、飛び飛びにしか書いてなかったが、確か徳島のことをまとめていたはずだった。段ボール箱がやたらと重くて、身体機能の衰えを感じたのは秘密だ。
 96年夏に大学友人Hと三加茂ドライビングスクールの合宿免許に行った。阿波池田に降りた日は不明。8/4、大学友人Hと汽車で高松駅。8/12、仮想妹R&Kと大学友人H、安田と花火。8/19、さらに松岡が加わり、徳島駅。ゲーセン+ボーリング(ゲーセンもボーリングも覚えてない)、帰りは徳島駅の一つ隣の佐古駅まで歩いたと思う(高校生はお金がない)。8/21、加茂の大クスの前で夜通し話し込む。パトカーが夜間巡回していて高校生を補導してることにびっくりした覚えがある(その話は少し前にマルナカの駐車場でだべってた時に聞いたと思う)。8/22、安田の車で仮想妹R&Kと松岡と鳴門大橋ドライブ。8/23、安田の車で明石経由で大阪に帰る。
 9/1、安田と大学友人Hと高野山ドライブ。大学友人Hの車にバックしてきた車が突っ込む。ここで来週ドライブの約束となっているが、実現したかどうかは記録がなかった。
 9/22〜23、徳島〜高知。大学友人Hの車。仮想妹R&Kと夜の桂浜。この時、大杉を見たかもしれない?おそらく帰りは南海フェリー
 12/22〜23、上野とレンタカーを借りた。免許取ってから初めての運転。まずは六甲アイランドで練習(とにかく道が広い)。千里丘の線路沿いの道で対向車のトラックとミラー接触。警察に行くものの事故証明も出ず、大いに焦る(注、初めての運転)。そこから白浜へ。進路変更して和歌山港から南海フェリーで徳島、最後大歩危(もしかしたら、かずら橋未遂はこの時かも)。レンタカー返却時、ミラー接触は大したことはないと不問になった。
 97年は就職して呉。すぐに車を買う。6/27〜30、おそらく研技の研修の時(三交代勤務では行けなかったから)、呉から瀬戸大橋を通って徳島。三加茂で仮想妹Rと待ち合わせ(彼氏が車で送ってきた)、2人で桂浜に行った後にどこかで安田と合流しでドライブ(携帯がない時代、どうやって合流したのだろう?)。その時にどこかの港で写真を撮った。写真を見ると防波堤の先の方での写真であった。こないだの月曜日には防波堤の先には行ってなかったので、手結港だったかはよくわからなかった。これは継続検討だ。新たな写真も出てきて、そこの場所も気になったり。港よりも難易度高いぞ。高知の東にある横浪半島が怪しいと思うのだが?帰りは堀江から阿賀のフェリー。
 98年の宇都宮赴任の時には6/10〜お盆までの間に東京に引っ越してきた仮想妹Rと大学友人Hと、私の車で松本にドライブした(なぜかSAで撮った写真が3枚だけ)。扉温泉に行って、松本城の前で車中泊したのを覚えている。他に何をしたかは全然覚えてない。
 98年お盆はやすをとの東北旅行。やすをが秋田に住んでたから会津若松から新潟経由で秋田に向かった。
 98年冬は上野との四国から九州旅行。計画は四国一周だったけど、八幡浜からフェリーで別府。阿蘇山を通って熊本からフェリーで雲仙。大みそかの年明け10分前に長崎で一方通行逆走により初めての検挙。
 99年のお盆前に、同期Kの車で土柱とかずら橋。なぜかスーツ姿であり、なんで行ったのかはよくわからない。もしかすると、出張で銭形を見た時かもしれない。
 99年お盆はやすをとの北海道旅行。カムイワッカの滝に行ったのはナイスプレーだった。Fさんの家に泊めてもらい、最後は宗谷岬
 それ以降はボートに明け暮れ、ジョギングにハマり、滋賀の2005/8/20の車による四国旅行まで、旅行に行くことはなかった(はず)。ずっと旅行は誰かと行くものだと思っていたが、誰も付き合ってくれなかったため。そして、このままでは旅行に行けないと思い、1人での旅行に踏み切った。この後に乗鉄がマイブームとなる。
 社会人になった頃はやることなすこと全てが初めての体験だった。我ながらよく記録に残していたなあと思う反面、もっと残しといてよというところもあった。やたら「重大事件」とか「この日を決して忘れない」みたいな大げさに銘を打つことが多かった。読んでるこっちが顔が赤くなるようなとても恥ずかしい内容も多くて、完全にエテ公だった。まったく落ち着きがなくて、刹那的な軽さと計画性のなさが目立った。そりゃ今の状態も納得ですわ。あと気づいたのは入社した頃はあまり何もしてこなかったつもりだったけど、それでもいろいろやってたんだなあということ。今の活動量がかなり落ちてるんだなあってことを強烈に思い知らされた。
 とっくに捨てたと思った物が出てきたりしてとても楽しい作業だった。段ボールは封をして再び元の地下室に戻した。退職してヒマになれば、また開けるかもしれないが、当面開けることもないだろう。

2025/11/29(土)「休養」

 やっと思いっきり寝た。5時半に起きて、朝食後に寝た。
 11時、鮨八。もうね、これも待ち焦がれていた。鮨にも中毒性があるようだ。でも、美味しいものを食べると尿酸値が上がるというジレンマ・・・。
 最近、鮨八からの帰りの国道16号線で空を見ていると、いつも晴れた青空に白い雲がふんわりと浮かんでいて、きっとこの瞬間が幸せなんだなあと思う。まっすぐ帰らずにセブンイレブンに行ってこれまたいつものガリガリ君。この余韻がまたいいんだよなあ。
 部屋に帰ると夕方まで昼寝。寝過ぎてるから眠りは浅くて、現実に近いリアルな悪夢を見るのもお約束。
 夜は中2週間で大学友人友人Sと長電話。
 好きなだけ寝て、ぼんやりして、だらだらして、それでいいと思えるようになっている。

2025/11/26(水)「好調?」

 四国に行ってる間に調子は回復した。しかし、調子がいい方が、頭は鈍くなったような?粘りがなくなり、上辺だけになった。この年になってそんなことを感じるようになるのは不思議なことだ。