びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/27(土)「羽黒山」

 道の駅天童温泉。2時に一回トイレに起きた。どうやら明らかに膀胱がもたなくなってきている。そっから寝直したけど、今日はあんまり眠れなかった。ずっと少し寒かった。北に来たからだろうか?起きたのは515。やはりここでも車は多かった。朝食、昨日のブログの修正、髭剃り、虫取り。
 今日は羽黒山に行くことにした。ここには出羽三山神社があった。その中には国宝の五重塔も。本当は出羽三山(月山、湯殿山羽黒山)をすべて回りたかったのだが、月山神社は山頂にあり、本格的な登山になる上に、まだ雪が積もってるらしかった。行くなら夏だな。因みに98年夏のやすをとの東北旅行で出羽三山をそれぞれ回ったような気がするが、ほんとはどこに行ったのかまったく記憶がなかった。その時の写真を見るしかないなあ。
 640、出発。素直に西に行けばいいのになぜかナビは東北中央道の北進を選択。東根ICから新庄IC下車。国道47号線を西に進んだ。この国道は最上川に沿っていた。最上川は狭い山間に緑色の雄大な流れを見せていた。しかもくねくね。松尾芭蕉が俳句を詠み、斎藤茂吉は短歌を詠んだ。人を魅了するものがあるのだろう。球磨川までいかないが、江の川のようだった。そして、途中からは陸羽東線がランデブー。陸羽東線はこんな厳しい地形を走っていたのか?なぜ廃止議論にならないのだろうか不思議。
 国道47号線から南へ分岐。山間の平野を立谷沢川が流れていた。釣りキチ三平に出てきそうな穏やかな清流だった。緑の山の向こうには雪を被った白い山が見えていた。きっとあれが月山だった。あれを登るのは無理だと納得。緑色の平野はしばらく続いた。対向車は全然来なくて、2、3台の地元の軽トラしか見なかった。ただひたすら静かで自然豊かな美しい景色、ここには東北の遅い春があった。
 羽黒山有料道路料金所は400円。道路は登りとなり、825、駐車場となった。羽黒山のどこに着いたかわからなかったが、地図の看板を見ると頂上のようだった。まずはトイレ。有料だった。100円。
 少し参道を歩くと、出羽三山歴史博物館があった。開館は10時からだった。さすがに90分も待つのは辛いと思った。
 目の前が大きく開けた。そこには見たことのない形の大きな鐘楼があった。茅葺きの屋根だった。その後ろには、本殿らしき建物。この本殿も少し変わった見た目をしていた。これは三神合祭殿だった。ここには出羽三山の神様を一ヶ所にまとめて祀っていた。後で知ったのだが、鐘楼も三神合祭殿も重要文化財だった。
 国宝の五重塔を探すと、ここではなかったorz。五重塔は参道を2km下った山の麓の方にあった。あちゃー、なんで最初からそっちに行かなかったんだ?400円払う必要もなかったのに。今さら参道を下る気はまったく起きなかった。明らかに順番が逆だからだ。参道は美しい杉並木だった。めっさ雰囲気がよさそうだった。ここまで来て上らなかったら後悔するだろう。
 850、出発。車で麓に降りた。905、いでは文化記念館の駐車場に駐車。
 手ぶらでお茶も持たずに出発。説明によれば、石段は2445段だった。今までで一番多いかもしれない。まずは立派な石造りの鳥居が現れた。ここからは神様の領域であることを示していた。すぐ先には真っ赤な随神門が現れた。いよいよ参道の始まりだった。
 上りを覚悟してたのに、激しい下りだった。参道の両側には大きな杉が並んでいた。戸隠神社の杉並木よりは小ぶりだが、この大きさでも江戸に植えたのではないかと思った。石段はとてもきれいで形の整った石を使っていた。これもまた好印象だった。空気は若干ひんやりとして澄んでいてとても気持ちよかった。今までで一番よい参道かもしれないと思った。下り階段の先には小川が流れていて、赤い太鼓橋がかかっていた。右の方には糸を引くような滝があった。
 915、国宝羽黒山五重塔。杉の木立の向こうには美しい五重塔が建っていた。通常の五重塔と違い全体的に白かった。木立の間から降り注ぐ光を浴びて光り輝いていた。神秘的な景色だった。何度も写真で見た景色ではあったが、とても感動的だった。
 ここから上り階段が始まった。参道には一の坂から三の坂までがあった。ここは一の坂だった。引き返すなら今のうちだと思ったが、構わず前進した。最初あまり段差が高くなくて二段飛ばしで上っていたが、上に行くに従い傾斜が強くなったため、すぐにバテた。上り階段は若手なのだ。息が切れて、色んな人に追い抜かされた。向かいの人に「こんにちは」と言われるのはいいのだが、追い越される時に言われるのはなんとなく屈辱だった。休み休み上った。時間をかけた方がいい運動になると言い聞かせた。
 急な坂は落ち着くとしばらく平坦な道となった。しかし、平和な時間はほんのわずかだった。次に二の坂が現れた。道の脇には石の柱があり、「二の坂」と書かれていた。二の坂は上が見えなかった。完全に心を折りに来ている坂だった。一歩一歩ゆっくりと上った。汗が噴き出て上着を脱いでシャツ一枚になった。いつも思う。なぜ神社や寺は山の上にあるのだろうか?山を神様と見立てるのもあるだろうが、参道を上ってるうちに無心になるとか、息が切れることで吊り橋効果を狙ってるのではないだろうか?
 突如坂の途中に茶屋が出てきた。945、二の坂茶屋。これは絶対寄るやつでしょ?休憩はもちろんだが、水分補給もしたかった。力餅が名物だったが、ダイエットのため、ところてんを選択。500円。外にある木製の椅子とテーブルからは鶴岡市内を一望できた。鶴岡市内は田んぼばっかりだった。庄内平野は米どころだというこを思い出した。ところてんはお酢とカラシでいただいた。ツルッとしたのど越しはひんやりしていて疲れた身体に染み渡るようだった。一緒に出てきたお茶もまた身体に吸い込まれるようだった。
 955、出発。二の坂の次は少し平坦となった。この先には三の坂が待ち受けていることがわかっていた。そして、三の坂もまた強烈だった。目の見える範囲を上り切ったら、そっからまだ先が続いてた。これもまた心を折りに来ていた。二段ロケットを上った時に、遂に赤い鳥居が見えてきた。人は終わりが見えてくると、疲れを忘れるものである。変な話、もう終わりなの?と思ったくらいだった。とても2445段には思えなかった。サバ読んでる?
 1020、出羽三山歴史博物館。今度は開いてるだろう。建物の中は電気がついてなくて開いてる雰囲気がなかった。入口の扉に貼り紙があった。「冬季休館、四月下旬の開館になります」。今は四月下旬だよな?中からおばさんが出てきたので聞いてみた。「今日やってます?」「明後日からです」。
 1035、下山開始。降りるのは得意だ。走るように降りた。1050、二の坂茶屋。もう一回ところてん。これは明らかにやりすぎた。長い人生を歩んできてそんなこともわからないのか?
 1120、下山。ところてんでお腹は減ってなかったが、名物のそばを食べたかった。「とうげの味処大川商店」。お土産屋さんの一角に飲食コーナーがあった。こういう店には入ってはいけないのだが、この辺りに他には店はなさそうだし。なめこおろし二色盛り大盛(そばと麦きり)。1250円。玉こんにゃく150円。やはりあんまりだった。余計なものを食べた。
 1220、いでは文化記念館。400円。出羽三山が現在、過去、未来を表すことがわかった。
 1315、出発。宿坊街を抜けた。お寺のような宿坊が結構たくさんあって驚いた。雰囲気は高野山ぽかった。
 1320、羽黒山正善院黄金堂。宿坊街の中にあった。重要文化財だから一応押さえで見に来た。びっくりするくらい名刹の雰囲気があった。門からして年期が入っていた。門にはたくさんの草鞋が掛けられていた。門の先には、左手に立派な閻魔様の石像、地蔵が何体も並び、右手には古くて赤いお堂。正面の黄金堂の説明では、三十三観音があるらしかった。中を覗くと、お堂の中にはたくさんの金色の仏像が。東北にこんなに仏像があるのか?びっくりした。入口には南京錠がかけられていて入れなかった。拝観希望の際には向かいの建物に連絡するようになっていた。迷ったけど、ここまで来たら行かないわけにはいかない。呼び鈴を押した。しばらくしたらおじさんが出てきた。開けてくれることになった。
 門のところで待ってると、来たのは作務衣を来たおばさんだった。門の草鞋のことを聞いたら、昔はここが羽黒山の入口で、足の悪い人が山に上れないので草鞋をここにかけて上ったことにする風習があったとか。そのうち山に上る人が実際に山の上まで草鞋を持っていってあげるようになったらしい。気さくな感じの人で「カメムシが多いので気をつけて下さい」と言われた。鍵を開けてもらって中に入ると、畳の上には見たこともないくらいカメムシがいた。おばさんはホウキとちり取りで掃除していた。
 お堂の中は暗くて、おばさんがろうそくに火をつけてくれた。すると、真ん中に3体の座像、両脇に15体ずつの立像が現れた。素晴らしかった。彫りは浅くて平安ぽかった。でも、見たことのない衣服の表現だった。顔は金色で江戸ぽかった。仏像の年代はわからないらしかった。東北に京都の例をそのまま当てはめられないからなあ。顔も江戸に改修されてるとか。
 内陣の周りをぐるっと回れた。元々羽黒山にあった仏像を神仏分離の際にはここに移したとか。これってもの凄いお宝ではないか?門の入口の閻魔様も元々赤い橋の前にあった。そして川は三途の川を表していたとか。ここには五重塔の中の仏像があった。国宝の中の仏像は国宝でないのか?なぜここにひっそりと?他にも印象的な大黒天が二体。これってみうらじゅんが見たら歓喜しそうな奴だなあ。どれも物凄く価値がありそうなものばかりだった。
 おばさんとの会話は楽しかった。比叡山の横川の話や、おたけ大日如来の話など、ためになる話ばかりだった。まさかまったく期待してないところでこんな生きた地元の話を聞けるなんて。僥倖以外の何物でもなかった。旅はこれだから面白い。
 1520、出発。元々土門拳記念館に行くつもりだったがすっかり遅くなってしまった。それでも一応行ってみることにした。場所が南の鶴岡か北の酒田かを気にしてなかったので、酒田だったのには焦った。まだ鶴岡を見てないのに。
 1610、土門拳記念館。飯森山公園という大きな公園の一角にあった。展示のボリュームがありそうなので、明日に先送りすることにした。
 1620、南洲神社。偶然飯森山公園の一角にあった。戊辰戦争で敗れた庄内藩は、新政府の西郷隆盛から厳しい処分が下されると覚悟したが、寛大な処置で済んだため西郷隆盛を祀るようになった。菅実秀と西郷隆盛が向い合わせで座っている像が印象的だった。
 1635、山居倉庫。ここは米穀倉庫であり、酒田のシンボルでもある。明治に建てられた10棟の蔵が連続して並んでいた。ここには2014/1/4にも訪れていた。ずっと再訪したかった。今日は中にも入ることができた。中の一部は土産物屋さんになっていた。裏手の欅並木を楽しみにしていたが、期待どおりに美しかった。
 1720、出発。酒田はラーメンが有名だった。月系ラーメンというらしく、店の名前には「月」がついた(流石に「らあめん花月嵐」は違うだろうが)。前は「満月」というラーメンを並んで食べたことがあった。味は覚えてなかった。今日は「満月」は閉まっていたので、17時半、「花鳥風月」。花鳥風月ラーメン大盛。醤油ベースにアゴだしを感じた。スープは薄くて、アゴだしはあんまり好きじゃない。前に村上で食べた「ちくら」の方が尖ってたかな?具はチャーシュー、シナチク、普通のワンタンと海老ワンタン、半熟卵。海老ワンタンが特徴でおいしかった。これはもっと流行らすべき。
 1820、出発。プールに行こうかと思ったが、お腹いっぱいだった(行く気ないだろ)。夕日がきれいだったので湯野浜温泉に行くことにした。でも、途中で日は沈んでしまった。日本海東北道を酒田ICから庄内空港ICまで。一区間かい!
 1850、山形県県民の海・プールスパール。1時間しかなかったのでスルーした。
 19時、奥湯野浜温泉龍乃湯。高級旅館でイヤな予感がした。やはり2時で日帰り入浴は終わったらしかった。このパターン多いなあ。
 近くに鶴岡市湯野浜下区公衆浴場があったので行ってみた。すると、明らかに駅名標が。もしかして、駅跡?車を降りて写真を撮った。駅跡の確信はなかったが、サイクリングロードになっていた。後で調べると山形交通湯野浜線の湯野浜温泉駅跡だった。予期せずに駅跡に遭遇することがあるんだなあ。
 公衆浴場は渋い見た目をしていたが、駐車場の場所がわからなくて散々迷って撤収したorz。
 数%を求めて鶴岡市内へ。暗闇の田んぼは漆黒の闇であり、まるで海のようだった。
 1950、庄内おばこの里こまぎ天然温泉こまぎの湯。600円。温泉らしいけど、まったくそんな雰囲気はなかった。入浴後はブログを打った。
 2055、出発。21時半、道の駅月山あさひ博物村。真っ暗で静かでびっくりした。疲れたので、ブログを書かずに寝ることにした。