びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/19(金)年休「太子」

 東横イン奈良王寺駅南口。結局、6時まで寝た。6時半からの朝食には一番乗りだった。今日は太子町を狙った。前回の古市で味をしめたのだった。
 706発、大和路線JRなんば行きで柏原まで。柏原駅からは近鉄道明寺線に乗り換え。道明寺線は2011/5/5の乗り潰し以来の乗車。まさか用事があって乗るとは思わなかった。JRのホームの端に切り欠きのホームがあり、これが道明寺線だった。ホームには改札機があり、近鉄に乗り換えるにはタッチしなければいけなかった。道明寺線は柏原から道明寺のわずか2.2kmを結んでいた。地図上で見るとなぜ存在するのかわからないような盲腸線だったが、元々は近鉄で一番古い区間だった。乗ろうとしたら学生で満員だった。wikipediaによれば、大和川を渡り藤井寺に行けるのはこのルートしかないとのこと。確かに前に乗った時も大和川の印象しかなかった。726発は、記憶通り大和川を越えた。大和川を見ると、ナイトスクープ大和川を使って通勤した人を思い出す。道明寺まではあっという間だった。
 道明寺では向かいのホームに730発河内長野行きが待っていた。隣の古市で下車。これまた向かいのホームに、739発橿原神宮前行き。電光石火の乗り換えだった。
 744、上ノ太子下車。周りに何にもない淋しい駅だった。近鉄らしい構内踏切を渡ると改札機。駅前のロータリーには智辯学園奈良のスクールバスが停まっていた。智辯学園奈良?智辯学園は五條だから別の学校か?
 目的の叡福寺までは2km先であることがわかっていた。朝も早いし歩こうかと思ったら、マイクロバスが停まっていた。バスの側面には「たいしのってこバス」と書かれていた。中には子供とお父さんが乗っていた。運転手のおじさんに「叡福寺に行きますか」と聞くと「行く行く」と言った。200円。そっからおじさんは観光マップをくれたり、見所を教えてくれた。「敏達さん」「用明さん」とか古墳のことを親しみをこめて呼ぶのが興味深かった。「太子町は宣伝が下手なんですよ」、古市でも藤井寺の宣伝が下手って言ってたなあ。でも、古市は世界遺産だから、太子町は古市よりも下手なんだと思う。だって聖徳太子の墓があるなんてつい最近まで知らなかったから。801出発。バスは下り坂をどんどん下っていった。そのうち右側にそれっぽい寺が見えた。
 809、聖徳太子御廟前下車。叡福寺は聖徳太子御廟を守るために作られた寺だった。聖徳太子の墓があるなんて最近まで知らなかった。なんで誰でも知ってるような歴史的人物なのにお墓は有名ではないんだろうか?幸運なことに8時から開門してた。外観からして威厳があった。聖徳太子御廟は天皇陵みたいな雰囲気だった。ここも宮内庁が管理してるのかもしれない。なんかわからないけど、これまでに感じたことのないとても神聖な空気を感じた。御廟の前に立つと、心の中で「手を合わせるように」という声が聞こえるようだった。その場を離れようとすると「もう少しちゃんとお参りしろ」。辺りはシーンとしていて、遠くでホトトギスの鳴き声が聞こえていた。何かこの先生まれ変わった気分で過ごせそうな、そんな気がした。パワースポットというのはこういうのを言うのだろう。
 850、西方院。蘇我馬子小野妹子物部守屋の三人の娘が聖徳太子の乳母になり、聖徳太子が亡くなった後に出家して尼となったとのこと。3人も乳母がついてたことが驚きだった。しかも、歴史上の大物の娘ばかり。乳母も家柄が重要だったのだろうか?庭の緑が美しい寺だった。
 920、用明天皇陵。聖徳太子のお父さんのお墓。太子町にここまで聖徳太子関連のスポットが多いとは思わなかった。
 935、太子町役場から竹内街道に入った。竹内街道とは、堺と飛鳥を結んでいる日本最古の官道だった。山野辺の道のような小道でところどころに凄く雰囲気があった。生駒を越える上り坂は思ったより急だった。
 950、大道旧山本家住宅。平日は休みだった。
 955、孝徳天皇陵。参道は少し山登りになった。孝徳天皇中大兄皇子に振り回された天皇で、難波宮で寂しく亡くなった。
 1005、竹内街道交流館。山本家の横にあった。近くに歴史資料館があるのになぜこれを作ったのかわからなかった。
 1015、太子町立竹内街道歴史資料館。2022/2/26、近つ飛鳥博物館に行った時に見つけていた。竹内街道のことを知ったのもその時だった。この資料館は太子町の郷土資料館のような感じだった。内容が細かすぎて、文もあまりうまくなくて、頭に入りにくかった。竹内街道、正直あまり有名じゃないよな。
 11時半、出発。小野妹子の墓を目指した。よく晴れていて気持ちよかった。この辺りは近つ飛鳥と呼ばれていたが、なんか雰囲気が奈良の遠つ飛鳥に似ているような気がした。突如、前から歩いて来た厳しそうな顔をした背の低い少し腰の曲がったおばさんに話しかけられた。「こんな天気ええ日、歩いてたら気持ちええやろ」。大阪は親しみやすいなあ。
 1155、科長神社(しなが)。太子町は東西を山に囲まれていて磯長(しなが)と呼ばれていた。神社の横に長い石段があった。上ると小野妹子墓があった。遣隋使で有名な小野妹子だが、まさか墓があるとは思わなかった。古墳のような感じだろうか?
 1220、二子塚古墳。双方墳は珍しかった。でも、全体がブルーシートに覆われていた。何事?一説には推古天皇と竹田皇子が葬られているとも?
 12時半、推古天皇陵。最古の女帝。聖徳太子を摂政にした人。わかりやすい円墳だった。
 1250、仏陀寺。有名ではない地元のお寺。閉まっていた。1255、仏陀寺古墳。古墳はどこかわからなくて仏陀寺の前に石碑があった。まさか蘇我倉石川麻呂の墓だとは。山田寺で自害したのになんでここに?
 1320、葉室公園。葉室塚古墳があるはずだったが、草ぼうぼう。管理が放棄されてるなあと思ったら、奥で何かやってる人が?職員さん?入り口で引き返した。
 1340、敏達天皇陵。欽明天皇の息子で推古天皇の旦那。参道から遥拝所まで少し距離があった。
 14時、泥掛地蔵。蓮池のお地蔵様。泥を塗ると願いが叶うと言われている。
 1425、源頼信墓。14時半、源義家墓。1435、通法寺跡。源頼義墓。河内源氏三代の墓。太子町は墓ばっかりだな。1450、壷井八幡宮。源氏の氏神
 1525、上ノ太子駅。待合室でスマホをいじってたら寝過ごした。1554発古市行き。1601発大阪阿部野橋行き。道明寺下車。1615発柏原行き。柏原でJRに乗り換えて1631発王寺行き。
 1655、王寺ラーメン。2022/7/22以来。接客は最悪だし、味もつーんとするけど、なぜか寄ってしまうんだよなあ。チャーシュー麺大盛。無愛想なじいさんがお盆からラーメンを置こうとした時に盛大にこぼした。それをそのまま出すなよ!やっぱここはダメだわ。
 125、東横イン奈良王寺駅南口。ベッドに横になってブログを打った。
 太子町はとても楽しかった。聖徳太子の墓なんてものすごいスポットのはずなのに、全然有名じゃないのが不思議だった。また有名な天皇の墓も集まってるのに。近くにはまだまだこういうフロンティアが残ってるかもしれんね。