びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/03/21(月)祝「明日香」

 今日はあんまりどこに行くか決めていなかった。8時半出発。
 835、ふらっと板蓋宮跡。前にも来たことはあるが、ちゃんと見てなかったような気がして。飛鳥宮は何度か建て替えられていて、その場所ははっきりしない。ここは板蓋宮の跡と伝わっているが、浄御原宮や岡本宮も同じ位置だったと考えられている。ほとんどが、民家や畑となっており、わずかな区画に柱の跡があっただけだった。きっと後世に発掘が進むだろう。
 9時、壷坂寺。西国三十三箇所の一つ。ここもまためっさ山奥だった。それなのに大きな寺だった。壷坂寺は現代に生きる寺、寺のテーマパークだった。すべての建物がきれいに塗られてるし、そこらじゅうに最近作った石仏がゴロゴロ。極めつけは高さ20mの大観音。寺のあちこちにいろんな趣向を凝らしていて、参拝客を楽しませるようにできていた。今回はお雛様が山のように飾られていた。中にはおもしろ雛人形が混ざってたり。雛人形カーリングしてたり、なかなかほほえましかった。郡上八幡に行った時にも店先におもしろ雛人形を飾ってたことを思い出した。室生寺長谷寺西国三十三箇所だし、西国三十三箇所ってこんなとこばっかりなのかな?
 1110、牽牛子塚(けんごしづか)古墳。先月明日香で出会った人が行こうとしてた場所。その人が行った時は公開前だった。つまりオープンしたばかり。道路を行き過ぎてしまい、山の上から見下ろすと、小高い山の上にドーム型の白い八角形が!これは思ってたのと違って大規模だった。
 臨時駐車場に車を停めて、少し歩いた。目の前に出てきた風景は、まるでよく大きな公園にある小高い丘だった。丘を上ると石室があった。これは、牽牛子塚古墳ではなく、越塚御門古墳だった。こちらは方墳。石室では3分間の説明ビデオを流していた。それによると、八角形の古墳は天皇クラスの地位の人。牽牛子塚古墳には石室が2つあり、近くに方墳がある。これは日本書紀斉明天皇と間人皇女を合葬し、大田皇女を葬った記述と合致する。たくさんの古墳がある中で牽牛子塚古墳を整備した理由がわかったような気がした。
 いよいよ牽牛子塚古墳へ。白い四角い石がタイルのように敷き詰められていた。眩しいくらいの白で、古墳ぽくなくてスノードームのようだった。石室の中は外からではあまりわからなかった。ガイドの人が他のお客さんに説明しているのを聞くと、宮内庁は、斉明天皇の墓は高取町にあるとしているらしい。宮内庁も対応が大変そうだな。
 1245、万葉文化館のCurryon。時間帯が悪く前に5組待っていた。構わず店の前の椅子に座ってブログを打った。1時間待ってようやく食べられた。美味しいものは大切。
 大体見るとこは見たので、図書室で日本書紀の漫画を見た。古事記より成立が6年遅いけど、情報量は圧倒的に多く、当時の国際情勢を年号とともに記載しているとのこと。中身は古事記とよく似ているが、細部が異なる。古事記日本書紀の位置付けが気になるところ。5巻あったが、1巻で挫折。
 こないだ読んだ里中満智子古事記をもう一度読んだ。漫画の中でところどころ指摘されているのはギリシャ神話と似ているということ。偶然の一致なのか、それともなにかしら伝わってきたのか?2回目となるとだいぶすんなり読めた。
 何度も読んでればそのうちもっと理解が深まるような気がする。もっと知りたい。
 この三連休は遊びに遊んだ。奈良以外にも行かないとなあ。