びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/29(月)祝「遊佐&にかほ」

 道の駅鳥海ふらっと。よく眠れた。1時頃にトイレ。そっからはあんまり。起床は445。びっくりするくらい県外ナンバー祭りだった。見た感じただの古い感じの道の駅だが、ここには一体何があるのだろう?朝食、昨日のブログの修正、髭剃り。
 555、出発。天気はイヤな感じで曇っていた。605、丸池様。田んぼの中の小川に沿って歩いた。小川の水はとても透明で、まるで水がなかったかのように川底が見えた。小さな橋を渡り森の中へ。少し中に入ったところで、木立の間から緑色の水面が見えた。池の直径は20m。深さは3.5m。瑠璃色という表現を使っていた。濁ってはおらず透明で着色した美しい池だった。
 625、石原莞爾墓所石原莞爾東京裁判の酒田出張法廷の際のエピソードが強烈でありずっと気になっていた。たまたまGoogleマップに出てきて知った。国道7号線から脇道に逸れると、プレハブとお墓があった。プレハブには簡単な石原莞爾の説明書きがあった。石原莞爾は最後は遊佐で自主独立の農場を作ろうとしていたらしい。お墓は大きな土饅頭の上に標柱が立っていた。
 645、旧石原莞爾墓所。元々石原莞爾の墓は別の場所にあった。そこは保安林の中にあることから今の場所に移転されたのだが、元々の方もそのまま残った。実は最初にGoogleマップを頼りに古い方からチャレンジしたのだが、行き方がわからずに失敗していた。改めてネットの力を借りてチャレンジした。ネットを見ないととてもたどり着けそうにない場所にあった。ここもまた土饅頭に標柱が立っていた。それにしても2箇所に分かれてるのは奇妙なことだった。
 715、十六羅漢岩。海岸の岩に十六羅漢彫られていた。数は30くらいあった。全部は探さなかった。これらは近くのお寺の寛海和尚が1864年から5年をかけて彫ったものだった。いい仕事をしたなあ。
 750、三崎公園展望台。日本海に突き出た岬になっており、テントを張ってる人がたくさんいた。眺望はよくなかった。その上曇っていたからなにがなんやら。奥の細道に出てくるのが売りのようだが、よく知らなかった。これが奥の細道という道があったが、ほとんど獣道だった。ほんとかな?
 805、鳥海ブルーライン鳥海山が雪を被ってたからスルーするつもりだったが、3日前に開通したらしい。全長35km、1100mまで一気に上がるとのこと。せっかくだから逝ってみた。
 いきなり「11km先凍結注意」の看板が出てきた。ノーマルタイヤだから凍ってたらイヤだな。一瞬スルーしようかと思ったが、この季節にスタッドレス履いてる車なんていないだろう。そのまま逝くことにした。
 ます霧が出てきた。下から見ても曇ってたから仕方ないか。でも、霧を抜けると晴れていた。そういうもんなんか?海の方を見ると樹海と雲海が見えた。山の裾野が伸びて、V字に切れ込んだ谷はところどころ雪が残っていた。どれもなかなか見られない景色だった。
 8時半、鳥海山鉾立。5合目で標高1100mだった。ここから上には雪がかなり残っていた。たくさんの車がいて、みんな本格的な雪山登山の格好をしていた。冬山にこんなに登ろうとする人がいるとは思わなかった。中にはスキーを持ってる人もいた。バックカントリースキーだろうか?
 840、鉾立ビジターセンター。ビジターセンターには大抵簡単な説明しかないが、ここもそういう感じだった。
 9時、大平展望台。景色は鉾立と似たようなもんだった。庄内平野と海の境目が見えたが、遠くはもやっとしていた。
 鳥海山から下りて、国道7号線を北上して象潟に向かった。この道は1998年のやすをとの東北旅行に行く前に通ってるはずだった。うっすら覚えているような?
 950、道の駅象潟ねむの丘。6階展望室。ここからは象潟、鳥海山日本海が見渡せた。象潟は奥の細道松尾芭蕉が歌に詠んだほど、松島のように海の中に島が点在する場所だったが、1804年の象潟地震で2m地面が隆起して全部陸地になってしまった。ここからの景色は正直あんまりよくなかった。どこが島だったのかわかりにくかった。玉こんにゃくを売ってたので買った。150円。
 1010、蚶満寺(かんまんじ)。こちらの方が象潟が見えるのではないかと期待。駐車場から見た象潟はどこかで見たことがある景色だった。きっとテレビか何かで見たことがあるのだろう。ネットで調べると、この寺には猫が多いらしかった。でも、2匹しかいなかった。拝観料は300円。少しなやんだが、もっと象潟が見える場所があれば後悔しそうなので入ることにした。中からは象潟は見えなかった。入らなければよかった。
 象潟の観光は期待していたが、島がわかりにくくて辛いかなと思った。郷土博物館が休みなのも痛かった。日本海沿いを北上して仁賀保へ移動した。にかほは江戸時代の鳥海山の爆発で火砕流が流れ出た場所で、そのためか家も田んぼも少なくてだいぶ寂しい雰囲気だった。にかほには都市対抗野球の影響でTDKがあることを知っていた。にかほにはあちこちにTDKの名前があり企業城下町の様相だった。
 1055、白瀬南極探検隊記念館。この施設のことは知らなかった。この時間になるととても晴れていた。辺りは湖があり、芝生が広がり、屋外には巨大な帆船や象の遊具があり、子供らがたくさん遊んでいた。遠くには白い鳥海山が鎮座していた。とても気持ちのいい場所になっていた。
 施設の中身は南極探検黎明期の苦労話が事細かに説明されていた。特に白瀬矗が子供の頃から北極探検に目標を定め、稼業のお寺を継がず軍人になったのは驚いた。偉人というのはスタートから違うものだ。また白瀬矗は最初に占守島に派遣されたメンバーだった。最初に北千島に派遣されたメンバーは、ほとんどが越冬に失敗して亡くなったことは知っていたが、まさか白瀬矗がその生き残りだったとは。あとは資金集めに奔走して、後に借金まみれになったとか、日本初の記録映画を撮っていたとかワクワクする話が盛り沢山だった。
 1320、ローソンにかほ平森店。店内キッチンのサンドイッチを食べた。玉子サンドとカツサンド。どちらもめっさおいしかった。変な話、名物とか食べるよりこういう方が安心なんだよなあ。
 TDK歴史みらい館。滅多に来れるところではないからものすごい期待していた。無慈悲な休館orz。近くにあるフェライトこども科学館も閉まっていたorz。また来なきゃいけないのか?
 1350、院内油田跡地。道の駅象潟で知った。山の中の狭いすれ違いもできない道を対向車が来ないようにひたすら祈りながら上った。すると、突然小さな小屋が現れた。
 説明にはポンピングパワー棟となっていた。中には石油を汲み出すための動力を産み出す大きな円盤が水平に設置されていた。これを回してカムにより直線運動に変換した。小屋の中は油の臭いがした。土は黒くて油が染み込んでいた。
 外の少し進んだところには櫓がたっていた。「やぐらR31」という名前がついていた。31番目の櫓という意味だそう。院内の石油は、臭津(くそうず)と言われていて、昔から路頭していたそう。平成7年まで採掘していたことに驚いた。
 日本海沿いをさらに北上した。由利本荘市に入った。ネタがなかったので、14時半、道の駅にしめで情報を集めた。何にも得られなかった。さらに北上。国道7号線は起伏が大きい丘を何度も越えた。まるで北海道のオロロン街道が劣化したような道だった。1505、道の駅岩城に寄ったが、何にも得られなかった。まさか由利本荘市で見るところがないなんて。
 1515、日本ロケット発祥記念之碑。国道から海岸の小路に入ってすぐのところにあった。昭和30年に東京大学生産技術研の糸川博士が日本初のペンシルロケットを飛ばした場所だった。目の前には砂浜があり、当時の村の名前を取って道川海岸といった。
 昼間はなるべく観光に徹して、移動を短くしたいのだが(ドライブは別)、思いがけず秋田市に到着してしまった。まさか観光資源がこんなにないとは思わなかった。
 前倒しで久保田城に行くことにした。久保田藩戊辰戦争で唯一東北の藩としては新政府軍についた。そのため庄内藩南部藩からぼこぼこにされた。久保田城では実際の戦いは起こらなかったが、秋田港には新政府軍からの援軍がたくさんやってきた。ぜひその辺りのことが知りたかった。そのキーとなるであろう佐竹資料館は長期休館中orz。計画を立てないからこうなるorz。
 16時、千秋公園のコインパーキング。千秋公園の名前は聞いたことがあったが、久保田城があった場所だとは思わなかった。久保田城は、石垣がなく、天守閣もなかったらしい。
 1610、久保田城御隅櫓。閉館の20分前。慌てて展示を見た。歴代の佐竹家の説明がされていた。今でも秋田県知事は佐竹さんである。旧幕府についた方はことごとく勢力を削がれたが、秋田は新政府軍についたからなのかもしれない。
 16時半、出発。駐車料金は100円だった。せっかく秋田に来たのだからきりたんぽを狙った。1645、駅前駐車場。
 17時、秋田きりたんぽ屋本店。開店前に5人くらい並んでいた。ギリギリ入れた。私の後ろはアウトだった。きりたんぽ小鍋、比内地鶏のもつ煮、じゅんさいいぶりがっこ。別に特段おいしいって訳じゃないんだけど、食べちゃうんだよなあ。途中で一品サービスがあったり、きりたんぽの紙芝居があったり、いろいろ工夫がされていた。紙芝居の最後は「とっぴんぱらりのぷう」で終わった。これは「めでたしめでたし」という意味とのこと。めっさ腹いっぱいになった。もうダイエットは無理だな。というか最初から破綻してたわ。会計は5555円。わざとなのかよくわからん。
 18時、撤収。1810、駐車料金は300円。腹いっぱいでプールなんてとても無理だった。温泉を探した。
 1820、天然温泉華のゆ。なんのことはない。ルートインだった。900円。風呂は清潔感があり広かった。得したような気がしたが、風呂上がりにゆっくりできるスペースがなかった。これは大きなマイナスだった。
 1910、MEGAドンキホーテ秋田店。フェイスタオルを買いたかった。プールに行ったために手持ちが足りなくなってしまった。店内はバカみたいに広くてどこにタオルがあるのかわからなかった。ドンキは宝探しみたいで面白いなんて聞いたことがあるが、冗談じゃない。ただの時間の無駄だと思う。2階になくて、1階にあった。6枚買った。
 1950、出発。道の駅に向かった。すぐにローソン秋田川尻総社町店。朝食のパンを買った。
 2015、道の駅あきた港。本当に港にあった。大きな貨物船が停泊していた。目の前にはポートタワーセリオン。高さ100m。闇夜の中に青く光っていた。展望室は無料なので上ってみた。秋田市内が見渡せた。どこがどこだかはさっぱりわからなかった。窓ガラスの一角に吉田輝星のサインが書かれていた。金足農で2018年夏の甲子園準優勝投手。ちょっとサインするには早すぎたんじゃない?