びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/04/20(土)「葛城」

 東横イン奈良王寺駅南口。起床は5時半。6時半から朝食。今日は葛城古道に行くことにした。葛城古道は、明日香に泊まった際に若葉のおかみさんが「お客さんで何回も葛城古道に行ってる人がいるのよ」と言うのを聞いた時からずっと気になっていた。
 和歌山線7時発高田行きは6両編成。なんでこんなに長いのか?当然ガラガラ。高田で721発和歌山行きは向かいのホーム。4両編成で真新しい電車。車内にはスイカのタッチ。初めて見たかも?放送は自動放送。そしたらハングルが!そういや前に御坊でもこんなんあったような?ハングル話者が乗ってるかわからないのに、こんな田舎で流す必要あるんか?風情も何もなかった。
 728、御所到着。駅前は寂しかった。トイレに籠ってから、近鉄御所駅へ。途中寂れまくった商店街のアーケードが出てきた。近鉄御所駅にはバス停はあったが、目的のバスはわからなかった。仕方ないので帰りにバスに乗ることにした。
 755、ようやく出発。コースは風の森バス停までの14kmだった。葛城古道までのアプローチまでは2km。早くも苦戦が予想された。天気がよかったのが救いだった。山に向かって歩いた。道はずっと軽い上り坂だった。
 810、崇道神社。早良親王のたたりを鎮めるために建てられた。京都とかあちこちにあるらしい。
 825、鴨山口神社。延喜式記載の山口社14社の中の本社とされる。鴨の名前ははこの辺りを本拠地とした鴨氏に因んでいる。
 835、六地蔵石仏。道路の歩道に大きな石があり、注連縄が掛けられていた。裏に回ると六地蔵が彫られていた。土石流で運ばれてきた石に室町時代に彫ったらしい。
 ここから葛城古道に入った。今までの街道よりもずっと細かった。くねくねして直角に曲がったり、まるで田んぼの畦道のような箇所もあり、継ぎ接ぎの道だった。これが本当に古道なのかは疑わしかった。ただ少し高台を通っていたので見張らしよく周りは長閑で、天気のよさも相まって楽しいハイキングとなった。
 9時、駒形大重神社。駒形神社と大重神社を明治時代に合祀したそうだった。大重神社は昔に地域に貢献した人を祀っていて、なかなか珍しかった。高台にある明るい緑に囲まれた静かで雰囲気のよい神社だった。
 915、九品寺。ここも静かできれいなお寺だった。裏に千体仏があったようだが、見逃した。
 925、楢原休憩所を越えたところで道は柵でとおせんぼされた。よく見ると自分で開けて閉めるスタイル。害獣よけみたい。
 9時半、綏靖天皇葛城高丘宮趾。石碑だけ。綏靖天皇は第二代天皇であり、神武天皇の三男に当たる。欠史八代の一人で実在が危ぶまれている。なぜここが葛城高丘宮なのかというような山の中にあった。
 945、葛城一言主神社。道中で唯一ずっと気になっていた場所だった。一言の願いなら叶えてくれる神社とされている。伝説によれば、雄略天皇が狩りをしてる時に同じ格好をした人に出会い「何者」かと尋ねたら神様だったということである。
 1025、長柄神社。延喜式神名帳記載の神社。最近、延喜式記載の神社はとても多いのではないかと思い始めていたり。
 10時半、郵便名柄館。旧名柄郵便局舎。ここは堺屋太一の親族が寄贈した。喫茶店になっていて開くのは11時からだった。残念。裏には郵便庭園があった。さまざまな切手の図案が飾られていて、面白かった。
 1040、中村家住宅。入れるわけでもなく、どのへんが重要文化財なのかわからなかった。
 1055、春日神社。11時、高木神社。地元の神社。
 1110、南郷遺跡群の案内板。南郷遺跡は飛鳥時代以前に活躍した葛城氏の建物跡だとされていた。ここの遺跡のことを知って葛城氏に興味を持ち、2022/4/9に葛城市歴史博物館に訪れたことがあった。実際の場所はどこが遺跡かまったくわからないくらい、田んぼや緑に覆われていた。埋め戻されたのかな?
 この辺りからにわか雲が増えてきて、少し暗くなってきた。1115、住吉神社。地元の神社。1135、極楽寺。地元の寺。
 ここからとんでもない山道となった。薄暗い森の中にひたすら木組みの上り階段が続いていた。これのどこが古道なのか?息も絶え絶えに登った。止まると虫がめちゃくちゃ凄いし、かと言って進むのもしんどいし。やらかしたなあ。森から脱出して目の前が開けると、満開の桜の木があった。極楽かと思った。
 1205、橋本院。頑張って登って来た先には知らないお寺があった。
 12時半、高天彦神社(たかまひこ)。この辺りは高天原と呼ばれていた。本家の高千穂も日本書紀に日向という記載があるから高千穂と言われてるだけで、本当は福岡説もあったりするから、まんざらこの辺りが高天原と言われてもおかしくないかもしれない。なんせ日本書紀が書かれる前から力を持っていた葛城氏の拠点だし。ここは金剛山登山の入り口でもあり、車がたくさん停まっていた。
 ここからは再び獣道のようになり強烈な下りとなった。絶対にこんなん古道じゃなくて、後付けのハイキングコースだろ?
 1320、葛城の道歴史文化館。お腹が減って併設のそば屋に期待したが、無慈悲にも売り切れorz。中に入って展示物だけ見た。残念な気持ちのせいか、あまり大したことはないように見えた。
 1345、高鴨神社。鴨神社の総本社。上賀茂神社下鴨神社も元をたどればここに至る。大きな神社だった。
 1410、風の森バス停。お腹は減り疲れていた。もう歩きたくはなかった。バスがあるか心配だったが、1時間に1本あった。ここは日本一長いローカルバスの一部だった。
 1431発高田市行きはバスにしては珍しく定刻通りやってきた。中には1人しか乗客はいなかった。途中で何人か乗り込んできた。
 1447、近鉄御所駅バス停で下車。1455、商店街のアーケードから外れたとこにあった「入船」へ。カレーうどん定食。店のおばちゃんが元気だった。
 15時半、出発。少しだけ御所の町を歩くことにした。御所の町は重要伝統的建造物群保存地区ではないが、昔ながらの町並みが残されているようだった。片鱗は感じられたが、あんまりかなと思った。JR御所駅に戻ると、回ったところはほんの端っこを掠めていただけということがわかった。でも、疲れ果ててたからもう一回行く気は起こらなかった。
 1557発の王寺行き。完全に眠っていた。
 東横イン奈良王寺駅南口にチェックイン。ベッドに寝転んでかろうじてブログを打った。
 葛城古道は最初よかったのだが、後半はgdgdだった。何度もこの道を歩こうとは思わなかった。それだったら竹内街道や山野辺の道などを歩くかな?そもそも道というのはどこからどこまで行くのか明確な目的が必要であるが、この道にはそれが感じられなかった。だからこの道は後付けでこじつけたのではないかと思われた。それにしても奈良は見るべきものが多い。寺社仏閣の数は圧倒的である。名も知らぬ神社でも歴史があるから面白い。ハイキングにはもってこいである。