びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/08/16(水)年休「積丹」

 洞爺湖に面したパーキング。よく眠れたけど、やはり車が通過するところはダメなのかもしれない。4時にトイレで目が覚めて、二度寝しようとするも眠れずに4時半起床。昨日のブログを修正。
 6時、出発。8時まで時間を潰したいので、洞爺湖を反時計回りに一周することにした。洞爺湖の東半分はモヤってるなあと思ったら、雨が降っていた。景色的には何もなかった。洞爺湖はどこから見ても真ん中に島が浮いてるだけだった。
 640、サイロ展望台。洞爺湖西側の崖の上にあり、一番有名ぽかった。ここからは洞爺湖全体は見えなかったが、洞爺湖をバックに有珠山が見えた。残念ながら有珠山の頂上には雲がかかっていた。
 崖の下に降りて、7時、浮見堂公園。やはり洞爺湖の景色には面白味はなく。
 西側の崖の下の道を通った。この道は洞爺湖ギリギリをギリギリ2車線道路で通り抜けていた。なかなかよかった。
 720、有珠山噴火記念公園。洞爺湖畔にはやたら公園があるが、景色はどこも同じかと。
 一周して洞爺湖温泉に戻った。725、セイコーマート洞爺田中店。今日はいつもと違う和風ツナマヨおにぎりを買った。735、洞爺湖に面したパーキングに戻り、おにぎりを食べた。おにぎりにはポン酢が入ってるような気がした。
 755、昭和新山。昨日の夕方も来ていた。一応また昭和新山の写真を撮った。805、昭和新山資料館三松正夫記念館。ここのために時間を潰した。なのに開いてなかったorz。仕方なく近くにある有珠山ロープウェイも考えたが、上の方は明らかに雨模様だった。三松正夫記念館の後に行こうと思っていた横綱北の湖記念館は9時からだった。これ以上時間潰しネタもなかった。貴重な日が出てる時間を何もせずに待つのはイヤだった。タイミングが合わなければ、飛ばすしかない。他にもやりたいことはあるのだから。
 820、出発。昨日の続きで、胆振線廃線跡探索に戻った。国道453号線沿いに進んだ。雨が強くなってきた。最初から路盤を見失っていた。左右をキョロキョロしながら走った。ノロノロ運転だったので、後ろからガンガン追い越された。そのうち山に入って、川に沿って走ったが、路盤がどっち側かもわからなかった。
 845、蟠渓バス停。蟠渓駅跡を探したが、工事で通行止だったりして諦めた。正直、Googleマップにないと苦しかった。
 この後も路盤はまったくわからなかった。だいぶ前に廃止されてるので、自然と同化してるだろうし、夏は藪が酷くて平場もわからなくなってるだろう。もしかして、今走ってる道路が廃線跡の可能性もあるし。
 855、北湯沢駅跡。wikipedia情報の通り、ホテルの駐車場に木製の小さな柱が立っていた。文字はもう読み取れないくらいだった。前後の線形を見ても、工事で地形が変わってしまっていて、まったく線路があったなんてわからなくなっていた。
 次の優徳駅とその先の新大滝駅との間には、引き込み線の高架橋跡があるようだった。知らなかった。写真を見るととても大きな遺構なので見逃したくなかった。ただ相変わらず路盤がわからない上に場所もわからなかった。
 925、平成ふるさとの道公園。ここは新大滝駅跡だった。名前だけが駅跡をわずかに連想させるものだった。どうやら高架橋跡を過ぎてしまったらしい。路盤を逆にたどった。
 すぐに引き込み線の橋跡は見つかった。灌木が邪魔していてわかりづらかった。なぜ山の中の小さな集落に、引き込み線があり、しかもコンクリート高架橋なのか?高架橋は真ん中でちょん切られていて、左右に分かれていた。灌木のせいでいい写真は撮れなかったが、見つけられたことに満足した。
 国道276号線に入った。いよいよ川からも離れて本格的に山越えになった。峠越えは道路と路盤が離れるので追えなくなる。この後にマニアが幻の駅と呼ぶ尾路園仮乗降場があるはずだった。仮乗降場とは正式には認めてられない駅で、時刻表にも載ってない北海道独自のシステムだった。国鉄からJRになる際に、すべて駅に昇格となった。あのうるさいマニア達が幻と言うくらいだから、私にわかるはずもなく。峠の途中で道の分岐を間違えてしまって、駅どころか廃線跡を完全にロストしてしまった。戻る気も起きなかった。
 国道276号線は畑の中の道となった。ようやく北海道らしい風景となった。前方には雄大な三角形の山があった。羊蹄山だった。山頂には雲がかかっていて、よく見えなかった。今回はこんなんばっかりだなあ。。
 10時、喜茂別町中里ビューポイントパーキング。牧場の牛達を撮影した。北海道には何度も行ってるが、意外と牛を身近に撮影することはないんだよなあ。
 1015、喜茂別駅跡。小さな公園になってた。説明板がなければ路盤はわからなかったであろう。主要駅でこの有り様だった。
 京極駅跡を目指したが、京極の町に着いてもどこにあったのかわからなかった。京極からは脇方駅跡まで支線が延びていた。こういう支線は押さえなければ後悔する奴。でも、探すのはめっさ難しそうだった。なんせ起点となる京極駅の場所すらわからないし。ネットで調べると、脇方駅跡には終末処理場があり、裏には脇方小学校の跡地になってるらしかった。Googleマップでも駅跡は出てこないし、無理矢理地名を入力して向かうことにした。この道は行き止まりが約束された道だった。
 確証もなく進むのは辛い作業だった。ヒントでは途中2回橋を渡るところで橋脚跡があることだった。確かに橋はあったのだが、車の中からパッと見たところ橋脚跡はなかった。ここじゃないのか?暗い気分で前に進んだ。いよいよか細い山の中になった。ふと終末処理場で調べたらどうなるだろうかと思った。調べてみると、道の先にそれらしい施設があった。これでようやく自信がでてきた。
 11時、京極町一般廃棄物最終処分場。ひっそりと山の中に施設が立っていた。裏には小学校の門柱が2つ草木に覆われていた。多分ここだ。ネットで確認しようとしたら、電波が届かなかった。
 廃線跡の逆引きをスタートした。するとすぐのところに「鉄見橋」という橋があった。行き止は何とも思わなかったが、名前がいかにも怪しいではないか?車から降りて、橋脚を覗きこむと、橋の下に使われてない怪しげな橋脚があった。これか。やっと痕跡を見つけた。
 しばらく行くとまた橋が出てきた。「倶楽橋」という名前だった。車から降りて橋脚を確認すると、橋のすぐ下に橋脚が2つあった。ヤッター!こういうのはとても嬉しかった。
 その後は調べたけど、よくわからなかった。京極駅跡も探したが、やっぱりわからなかった。でも、難しそうな脇方駅跡を突き止めたので探索は成功だと思った。
 国道276号線を進んだ。1150、八幡ビューポイントパーキング。羊蹄山が見渡せた。頂上は見えないけど。
 1155、六郷駅跡。六郷鉄道記念公園になっていて、ホームや車両が保存されていた。やっとまともなのが出てきた。
 倶知安に入り、1210、文化福祉センター。蒸気機関車9600系79615が保存されていた。wikipedia情報だった。
 胆振線の探索は思った以上に大変だった。走ってた場所はほとんどが山の中で路盤が全然わからなかった。おそらく何年後かにリベンジするな、これは。
 胆振線の後は岩内線の探索をした。岩内線倶知安駅の隣の小沢駅から岩内を結んでいた。
 小沢駅を通り過ぎてから、路盤を探したが、まったくわからなかった。
 1250、幌似駅跡。幌似鉄道記念公園になっていて、駅舎、ホーム、車両が保存されていた。素晴らしかった。
 ここで探索を中断して、余市の柿崎商店を狙うことにした。時間は大幅ロスだが、食べ物の誘惑に負けた。
 1340、柿崎商店。2010/9/4以来、13年ぶり。おそらく今回で5回目くらい。ブログを書き始める前から訪れていたので回数がわからなかったり。30人くらいが並んでた。海鮮丼は売り切れていた。目当てのウニは時価。手を出せなかった。
 14時半、ホッケ定食。前にあまりにおいしくて感動したことがあった。今回はそこまでではなかった。一回経験してしまったからだろう。それでも脂が乗っておいしかったのだが。
 1510、出発。余市と言えば、ニッカウヰスキーだが、一回行ったし、もう酒を飲まないから寄らなかった。完全予約制になってるようだった。「マッサン」で人気が出たんだろうな?積丹半島を海沿いに回り、岩内を目指した。
 その前に、1515、給油。セルフではなかったが、184円/L。オカモトとは雲泥の差だった。オカモトってどういうわけか忘れた頃にしか現れないんだよなあ。
 いきなり最初から海の中から大きな棒のような岩が突き出ていた。あまりに細くて長いのでインパクトがあった。ローソク岩というらしかった。
 そこからすぐに豊浜トンネルとなった。以前に巨大な岩が落ちてきて通行中のバスを押し潰し、たくさんの人が亡くなった。事故後にトンネルを改修したために、トンネルの中はぐねぐねになっていた。
 途中から道は山の中となり、分岐を海沿いに向かった。ここは積丹半島に向かう道だったが、ずっと海は見えず山の中だった。海側に巨大な壁みたいに山が立ちはだかっていた。
 1620、島武意公園駐車場。ここから山に上り積丹岬のトレッキングができた。またトンネルを潜り抜けると島武意海岸に行けるようだった。
 まずは山上りから。結構傾斜がきつかった。山の上には白い灯台が立っていた。1635、積丹岬灯台展望台。海沿いの崖が見渡せた。いい景色だったけど、こういう崖は何度も見てるからなあ。
 駐車場に戻って次はトンネル。奥からたくさんの中国語が聞こえてきた。1650、島武意海岸展望台。狭い展望台には20人くらいの中国人がピーチクパーチクやっていた。中国人達は傍若無人でやりたい放題だった。景色は素晴らしかったけど、さっさと退散した。
 17時、出発。神威岬を目指した。こっからはひたすら海岸線をドライブした。ウニ丼の店があったが、お腹いっぱいなのでスルーした。神威岬に入るゲートは閉まっていたorz。16時半で閉門したらしい。残念。
 気を取り直して岩内に向かった。海岸線は美しかったが、瀬棚から江差(GW)、能登半島の北側(6月)と立て続けに見ており今さら感があった。ずっと積丹半島に来たいと思っていたが、実際はあんまりだった。行きたいと思ってるうちが華だなあ。
 岩内の町はずっと行きたかった。予想してたけど、そこそこの規模だった。瀬棚よりは大きくて都会のように思えた。
 1810、岩内駅跡。道の駅いわないのすぐ側だった。説明板がなければ駅跡だとわからなかっただろう。
 1845、出発。岩内の温泉を狙った。山の方に上がった。
 1855、岩内高原ホテル。1000円。昨日の高級ホテルの再現を狙ったが、普通だった。二匹目のドジョウはいなかった。泉質はわずかにぬるぬるしていた。風呂上がりにブログを打った。2040、出発。
 2105、道の駅いわない。トラックがエンジンをかけていた。でも、雨の方がうるさいか?