びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/17(水)年休「旅行7」

 起床は510。日の光とともに目覚めた。とても寒くて、長袖のシャツの上に長袖のシャツを着た。朝日がとても眩しかった。昨日のブログを修正したり。敷地の隣は浜頓別駅跡だった。2009年にバスターミナルだった建物は、多目的アリーナという名前になっていた。620に出発。
 すぐにセイコーマート。ホットシェフでおにぎりのベーコンおかか。店頭に並んだばかりだったので、ホカホカでめっさうまかった。635、再出発。
 今日は、天北線の南側を探索して、美深からは美幸線を探索して、1145に仁宇布。トロッコに乗った後は、美幸線の未成線を探索しながら、枝幸まで行き、枝幸からは興浜北線を改めて探索して、浜頓別の宿に16時半に入る予定だった。廃線探索としては2009年のコースと同じだが、時間に間に合うかが心配だった。
 まずは天北線の探索。天北線は宗谷本線の音威子府から宗谷本線の南稚内を結んでいた。途中の浜頓別で興浜北線が分岐していた。天北線は最初に稚内に開通した路線であるが、宗谷本線が開通した後にはローカル線へと転落した。元々、あまり人の住んでないところを走っており、殖民軌道的な目的があったらしい。今日は浜頓別から音威子府を探索する予定だった。
 浜頓別から国道275号線を南下すると、645、天北線の路盤を切り崩しているところに遭遇した。路盤の場所がわかったとともに、二度と撮れないインパクトのある写真が撮れた。
 7時、下頓別駅。ホームと駅名標があった。路盤跡には道路を作っていた。前述の工事の延長だった。
 715、寿公園。天北線の寿駅跡かと思ったが、違うようだった。広い敷地にSLと飛行機か置いてあった。
 725、中頓別駅。2009年にも来た。天北線メモリアルパークという名前がついていて、バスターミナルの隣に、見たことのない青く塗装された気動車が1両停まっていた。表面は塗装が剥がれていて所々穴が空いていた。直そうにもお金がないらしく、中頓別の玄関がこれでいいのか、と協力を呼び掛けていた。それは裏でやってよ。バスターミナルには天北線の資料が展示されていた。
 8時、松音知駅。2009年にも来ていた。原野の中にポツンと駅舎、ホーム、駅名標が残っていた。昔と違って個人所有になり、立入禁止で撮影禁止の貼り紙がたくさんされていた。もったいない。遠目に見ただけだった。
 812、敏音知駅。道の駅ピンネシリ。2009年にも寄った。ホームとレールと駅名標があるが、すべて再現だと思われた。
 8時半、上頓別駅。草むらだったので、正確な場所はわからなかった。
 845、小頓別駅。バスの待合室が立っていた。駅前には丹波屋旅館という和風と洋風を継ぎ足した木造の古い建物があった。
 その後、いくつかガーター橋を見つけた。2009年は路盤の位置がわからなくて見逃していたが、今回はなんとなく路盤がわかるようになっていた。
 9時、上音威子府駅。2009年の後で駅舎を見逃していたことに気づいたが、既に取り壊されていた。ホームは健在だったが、駅名標は後補だった。
 910、道の駅おといねっぷ。トイレ休憩。
 915、音威子府駅。宗谷本線の現役の駅でここから天北線が分岐していた。黒いそばで有名な音威子府そばは廃業していた。ここには天北線資料室が併設されていた。
 国道275号線音威子府から美深に向かった。ここは2009年にスピード違反で捕まった場所だった。見通しのよい長い坂道で後ろから煽られて100km/h出したら、脇の草むらの中に1台のパトカーがいて、気がついた時にはパトランプが回っていた。しばらく停まることができなかったのを覚えている。今回、違反現場がどこだったか探したが、それっぽい場所が何ヵ所かあり、よくわからなかった。因みに今回パトカーはいなかった。
 955、道の駅びふか。美幸線の情報を仕入れようと思ったが、何もなかった。
 1015、美深駅。宗谷本線現役の駅。ここには旧国鉄美幸線資料館があった。
 美深から先は美幸線の探索だった。美幸線は美深と仁宇布を結んでおり、日本一の赤字路線として知られていた。2009年にも探索したことがあった。
 道道49号線を仁宇布に向かった。
 1040、東美深駅。道道から少し入ったコンクリート橋の脇に路盤跡があったが、何にもなかった。
 次の辺渓駅を目指したが、グーグルマップに出てこず、そのまま見落としたorz。
 ここからコンクリート橋が何回も出てきた。その度に車を停めて写真を撮った。途中でトロッコの折り返し地点があり、折り返しはラケット状のループ線になっていた。
 1115、仁宇布駅。トロッコ王国。トロッコ王国は美幸線の廃線跡を利用した片道5kmのコースをトロッコを運転して楽しめるようになっていた。2009年は激しい雨が降ってきて乗るのを見送った。また機会があったらと思ったが、13年間ずっと乗らなかったことを後悔することになった。ようやく今回リベンジのチャンスが訪れた。余談だが、今回陸別丸瀬布に行ったのも行かなかったらずっと後悔しそうだったからだ。
 2009年には駅舎を使っていたが、今回は新しい建物ができていた。受付をして出発するまでの間、そばの大盛を食べた。
 1150、黄色いテント下に集合。トロッコの説明を受けた。トロッコは自分で運転する必要があり、エンジンで動くので免許が必要だった。ペダルはアクセルとブレーキだけで、配置はAT車と同じだった。スピードは20km/hくらいしか出せないようになっていた。今までのトロッコはほとんどが足漕ぎか乗ってるだけだったので、今回のスタイルは新しかった。また踏切はトロッコではなく渡る人優先だった。
 12時、出発。アクセルを踏むと急発進した。ブレーキは効きが悪くなかなか停まることができなかった。トロッコは森の中をガタンゴトンと進んだ。森の中は少しひんやりしたような気がした。たまに踏切があり、たまにコンクリート橋となった。現役当時の雰囲気に思いを馳せた。手放しで運転して写真や動画撮影した。いい思い出になるだろう。長年の念願を叶えることができて、すっかり満足した。
 1245、仁宇布を出発。道道を枝幸へと向かった。ここは美幸線の未成線区間だった。美幸線は元々仁宇布から枝幸まで伸ばす予定だった。工事は着工し路盤の75%は完成していたと言われている。2009年に通った際には何も見つけることができなかった。今回「歩鉄の達人」を参考とした。
 最初はまったく路盤を見つけることができなかった。1310、天の川トンネル。未成線のトンネルを拡張して道路に転用した。2009年に写真を撮らなかったことを後悔していた。今回、その無念を晴らすことができた。
 トンネル以降はまた路盤がわからなくなった。1340、突然ボックスカルバートが現れた。「歩鉄の達人」に書かれている通りだった。これで路盤を追跡できるようになった。
 歌登は内陸にありながらそこそこの街だった。どうしてここに街ができたのだろうか?ここには殖民軌道があった。天北線の小頓別駅と結んでいたが、美幸線の建設が決まって廃止された。それなのに、美幸線が来ることはなかった。今回、殖民軌道のことはまったくフォローできなかった。いつかまた来る日はあるのだろうか?14時、歌登のセイコーマートでトイレ休憩。
 枝幸に向かうと「歩鉄の達人」にもあったコンクリート橋やトンネルが出てきた。トンネルは結構な山の上にあった。
 枝幸に出て、ここからは昨日に引き続き浜頓別まで興浜北線の探索をした。
 1445、問牧駅。空地だった。
 1450、目梨泊駅。空地だった。そもそも場所もよくわからなかった。
 15時、北見神威岬公園。昨日とはうって変わって、よく晴れていた。オホーツク海は手前が明るい水色で、沖合いは深い青色だった。昨日のどんよりした色とはまったく違った。まるで太平洋と同じ明るさだった。水平線で接する空も海とは違った空色だった。見たかった景色があった。昨日轢いたかもしれない鹿はいなかった。岬の道は誰も通らないと思っていたら、何台かすれ違った。最後にパトカーとすれ違ったのはかなりビックリした。
 1520、斜内駅。2009年に確認済み。小さなかわいらしいプレハブのような駅舎だった。ネットによれば個人所有だったので近づかなかった。
 1535、豊牛駅。斜内駅の駅舎の構造は同じと思われた。こちらはボロボロだった。
 浜頓別に近づくと風力発電の風車があった。2009年にはなかった。浜頓別で給油。明日に備えたかった。
 クッチャロ湖。めちゃくちゃ湖面は青くて波がなく静かで美しい湖だった。昨日の道の駅からは目と鼻の先にあったのに2009年にも気づいてなかった。
 今日の宿は「トシカの宿」だった。とほ宿に泊まるのは7年ぶりくらい?この宿のことは前々から気になっていた。中からはおじさんが出てきて、その後いろいろしゃべった。実は常連さんだったw。
 近くの温泉「浜頓別温泉ウイング」に行った。湯がぬるぬるしていた。最初、手にシャンプーがついてるのかなと思ったくらいだった。何が入ってるんだろう?滑って転びそうだった。
 クッチャロ湖に夕日が沈もうとしていた。うっすらと赤く染まり、湖面には光の道ができた。写真を撮ろうとするととても眩しかった。とても北海道らしい景色だった。
 宿ではジンギスカンが出てきた。美味しくてご飯をおかわりした。
 食後は対面に座ったお兄さんと話した。ここに泊まる人は北海道好きな旅人だった。
 久しぶりのとほ宿での交流は楽しかった。あの時誰々と話したよなあというのは凄く印象に残るものだ。また新しい情報とかも教えてもらえる。道北道東の宿はエアコンないから車中泊と変わらないんだなあ。
 今日も結局頑張った。2009年を越える探索ができた。WikipediaGoogleマップがとても便利で、探索がうまくなってると思う。