びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/01/02(土)祝「呼子」

 今日は予定を変更して、昨日のリベンジを果たすことにした。ここで諦めたらこの先ずっと悪いイメージを持つことになる。また廃線跡巡り自体を否定することにもなりかねない。呼子側は廃線跡が車道になっていて、車載動画Youtubeで見たことがあった。比較的たどりやすいだろうという読み。実は昨日もそれを狙ったが、その前に力尽きてしまった。グーグルマップを見ると、なんと廃線跡が載ってるではないか!しかも、屋形石からすぐのとこまで。屋形石まで行ってバスで戻ろう。
 7時半に起きた。両足のふくらはぎがバリバリ痛かった。8時に朝食。数の子、黒豆に雑煮。そうか、今日は正月だもんな。昨日、ひどいこと書いたけど、泊めてもらえただけありがたいと思わなければ。9時半、チェックアウト。フロントのおばさんに廃線跡のことを話して、グーグルマップを見せたら「こんなとこに道あったかしら」とのことだった。
 旅館の前には海側と山側の道があった。海側は景色がいいとのことだったが、山側の方が廃線跡に近いので選択。山側の道は少し上った後に下った。右手に公民館のところで路盤跡を確認できたが、そのまま下り続けた。持山交差点で巨大な橋脚が現れた。スゲー。これは呼子駅のさらに先に延伸するための橋脚。道の反対側にも巨大なコンクリートの橋脚。昨日の疲れが吹き飛んだ気がした。
 1010、先ほどの公民館のとこに戻ると、そこは呼子駅予定地だった。細長くて大きな広場。感動もんだった。廃線跡は、そのまま一車線の道路になっていて、2つほどコンクリート橋を渡り、小学校の横に着いた。道は折り返し小学校に入っていったが、廃線跡の横にも道があり、その先にはトンネルがあった。横の道に降りようとしたらちょうど梯子があった。
 トンネルは暗くて不気味だった。明らかに誰も使ってなさそうな雰囲気があった。入って見た。真っ暗で何も見えなかった。足下すら見えなくて、穴でもあったらヤバい。これは怖かった。本能が危険だと訴えかけていた。帰ろうか?十分頑張ったし。でも、きっとこの先に廃線跡がある。ここまで来て怯んでられるか。スマホでは足下を照らせなかった。デジカメで撮影して、安全を確認してから進んだ。幸いなことにすぐに出口が見えてきた。まったく、ヒヤヒヤしたぜ。
 その先は見事な廃道だった。両脇から草が侵食していて、もう車載動画を撮ることは無理だと思われた。車は無理だけど人は歩くことができた。
 現役の道を何ヵ所かオーバークロスした。また、2ヵ所でコンクリート橋が廃線跡をオーバークロス。そのコンクリート橋も廃橋。一体何がしたかったのか?
 グーグルマップで見て知ってたけど、この道にアプローチする道はなかった。草の生い茂りさからもおそらくもう誰も使う人がいないものだと思われた。さっきのトンネルも封鎖した方がいいかもしれない。
 このまままだまだ廃線跡が続くと思っていたら、あるコンクリート橋で植生が強くなり、人一人がやっと通れる感じになった。誰かが踏んだ跡はあったが、ここで撤収。このコンクリート橋の横には一般道に降りる道があり、無事に生還することができた。グーグルマップではまだまだ先に廃線跡が延びてることになっていた。
 山の中を歩きながら廃線跡を見ていると、植物に覆い尽くされてどこが廃線跡かわからない状態だった。
 1050、丸太バス停。もうすっかり満足していたが、次の唐津行きバスは3時間待ちで、呼子行きは2時間待ちだった。予定通り屋形石まで歩くことにした。
 グーグルマップで描かれている廃線跡の終点にたどり着いた。意外なことに路盤は下の方にあった。よく見ると延長線上に激やぶに覆われたトンネルがあった。この探索で初めて廃トンネルをキャッチアップすることができた。
 1148、屋形石バス停。こんな山の中の小さなバス停にまた帰ってくるとは。まだバスまで時間があり、ここには物件がありそうなので、もう少し先に進んだ。
 国道を左に曲がったところに封鎖されたトンネルがあるはずなのだが、見当たらなかった。こんなんばっかりだなと思ったら、右のやぶの遠くの山にトンネルがあった。封鎖されてなかったから狙っていたのと別のものと思われた。そうか、きっと封鎖されたトンネルは足下の崖下なんだな。パイプの手すりの階段らしきものが、崖下に延びていた。しかも新しい踏み跡もある。さすがに無料。ここで撤収。
 1233、屋形石バス停から呼子へ。即座にジャンボタクシーに乗り換え。運転手さんは昨日のおじさんだった。名護屋城博物館入口へ。
 城好きとしては名護屋城には是非行きたかった。名護屋城豊臣秀吉朝鮮出兵の拠点として築かれた。当時は大阪城に次ぐ規模だったそうだ。しかし、今ではあまり名前を聞くこともない。これこそ歴史ロマン溢れるではないか?
 13時、佐賀県名護屋城博物館。佐賀県の博物館が気合いが入ってることは知っていたが、ここもまた立派な設備で入館料は無料だった。朝鮮半島と九州との歴史的繋がりを説明していた。まさか石器時代から説明しているとは。なんとなく韓国に配慮した内容になっているような?コロナ前は、壱岐対馬は韓国からの観光客が多かったみたいだし、もしかするとここにも来てたのかもしれない。
 14時半、名護屋城天守跡。ものすごくいい景色だった。波戸岬が見渡せ、その奥には日本海。この波戸岬に所狭しと戦国武将の陣屋があったらしい。今は緑の丘が並んでるだけ。時間の流れを感じさせられた。
 15時、名護屋城博物館入口バス停。まさかの90分待ち。旅ではよくあるとはいえ、この寒さで待つのは辛い。幸いなことにセブンイレブンがあったので買い物。コンビニがあるだけでも心強い。バス停横の土産物屋は閉まっていたので、土産物屋の軒先にあるテーブルでブログを打った。若い男の子が同じく90分待ちの刑をくらっていた。
 1634、バスが来た。行きとは違う山道を通った。気持ちよくてうつらうつらしてたら、西唐津駅で降りるつもりが唐津バスセンターに着いてた。運転手さんに唐津駅が近いことを確認して降りた。すると一昨日に泊まった場所の近くだった。またここに帰ってくるとは。
 唐津駅でタッチの差で電車を逃し20分待ち。トイレに行ったら見覚えが。またここに帰ってくるとは。
 1740、唐津駅を出発。暗くて車窓はわからなかった。ひたすらブログを打っていた。
 19時過ぎ、天神駅到着。ミープル天神へ。今日がミープル天神に寄るのは最後。常連さんとかとタイムボムをやった。めっちゃ楽しかった。やっぱ人だわ。常連さんが抜けて、イッツアワンダフルワールドのノーマルバージョン。事故ってぼろぼろだった。
 23時半、撤収。そのまま常連さんともう一人鍋の時の人とウエストでうどん食べた。一度ウエストで食べてみたかった。
 24時半、リブマックス天神west。自動チェックイン。2700円は凄い。でも、やっぱ配置がいまいち。
 廃線跡探索したために唐津城に行けなかった。博多から近いしまた今度機会があれば。明日の予定はまったく決まっていないが、とりあえず睡眠優先で。