びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/12/31(木)休「唐津」

 8時半に起床。朝食後、10時にチェックアウト。天神駅から1033の西唐津行き快速。筑肥線姪浜駅より西で徐々に田舎になり、海の景色が素晴らしかった。海の色はどんよりとしたブルーでいかにも日本海だった。虹ノ松原駅から先は高架になった。東唐津駅下車。
 今日も筑肥線廃線跡。昨日は東側の博多駅姪浜駅だったが、今日は西側の虹ノ松原駅から山本駅の10.4km。1983年3月に西側の区間と同時に廃止された。現在、筑肥線唐津に直通しているが、昔は唐津市街手前に松浦川があり、これを渡ることができずに東唐津駅スイッチバック。そのあと松浦川を遡り、山本駅で唐津線に接続した。このような大迂回を回避するために、呼子線(未成線)として建設していた路盤を活用し、唐津への直通を実現した。
 11時半、探索スタート。東唐津駅から高架沿いを虹ノ松原駅方面に向かった。ちょうど松林にぶつかったところが新旧の分岐ぽかったが、松林が強くてどうにまならなかった。なんとか松林沿いに北上するも路盤跡はわからなかった。一ヶ所松林の中に踏み込めそうなところがあったので、思いきって踏み込んでみると、怪しげな平場が現れた。平場は松林の中をずっと続いていた。おそらくこれが路盤であると考えられた。
 松浦川の横の道路を北上した。左手に松浦川、右手に松林で、松林の中を路盤が走っているものと考えられた。
 写真を撮っているうちに手袋を片方なくしてることに気づいた。どうせ帰りに通るのだからと、先に進んだ。
 1220、東唐津駅構内は機関区があったためにとても広大で、そこには大きなホテルが建っていた。その一番北のところにファミリーマートがあり、ここが駅跡だった。駅跡を示すものは何もなかった。すぐ左には松浦川を渡る長大な橋があり、向こう岸には唐津市街と半島の山の上に唐津城が見えた。
 旧筑肥線東唐津駅スイッチバックしていたので、元来た道を帰った。途中で手袋を回収した。
 車道を真っ直ぐ行くと、筑肥線の高架にぶつかった。その橋脚の間隔は、他の橋脚との間隔よりも広く、ここを旧線が通っていたことがわかった。
 廃線跡は一般道に飲み込まれ、ひたすら歩道を歩く展開だった。比較的新しい道で、ちらほらと郊外型の店があった。ファミリーマートがあったので、昼飯用にねぎとろ巻を買った。
 鏡駅には石碑があった。あと歩道がホームのように広がっていた。
 14時、唐津うまかもん市場のファーマーズレストランよってかんね。ねぎとろ巻は買ったけど、やはり地元の物を食べないと。海鮮丼を頼んだ。1000円は安かった。色とりどりの刺身の上に生エビが2匹。うまそう。生エビを食べたら生臭くて。刺身は味がしないし。結局、ほとんど残した。運動したらおいしく感じると思ってたけど、それでもこれは不味かった。
 1420、探索再開。大きな道に戻り、真っ直ぐ歩いていると、やがて道路は左カーブを描いた。廃線跡はここを真っ直ぐ突っ切っていた。そしてここに久里駅の石碑があった。道路から外れ廃線跡の方向を見ると、見渡す限り田んぼ。廃線跡の痕跡はなくなっていた。心折れそうになった。田んぼを突っ切ると、松浦川沿いに小さな集落があり、廃線跡にたどり着いた。廃線跡には倉庫が2棟建っており、歩鉄の達人を見てなかったらたどりつけなかっただろう。
 松浦川の堤防に登り、橋の痕跡を探したが見つからなかった。向こう岸に行くために遠くの橋を渡って戻ると、そこにはきれいな築堤が残っていた。これは来てよかった。路盤をたどるとわかりやすく現役線が寄ってきて、やがて合流した。
 1545、山本駅到着。これで筑肥線の付け替え区間をコンプリートした。
 16時、もう一つの探索を開始。唐津線岸嶽支線。山本駅と岸嶽駅の4.1kmを結んでおり、石炭を運ぶとともに旅客営業も行っていた。1912年1月開業、1971年8月廃止。
 ずっと山の中の車道で、歩道を歩くパターン。車もあまり通らず、おまけに薄暗くなってくるわ、冷たい風が吹きまくるわ。何してるのだろう感があった。
 途中でまもるくんが現れた。まもるくんとは警察官の格好をした人形であり、主に宮古島で有名である。実物は初めて見た。ちょっと目が違うような気がしたが?
 グーグルマップを見たら、岸嶽駅跡を過ぎていることが判明し、結構戻った。1720、岸嶽駅跡を示す看板を発見。看板があることは知らなかった。敷地は建設会社の資材置場になっていた。この線は全体的にまったく痕跡がなく、ここに路線があったとは信じがたいところだった。
 探索は終わったが、バス停は遠かった。さらに1km弱歩いた。山間に交差点があり、その周りが少し栄えていた。市民病院きたはたバス停に到着。
 1755発は最終バスだった。本当に来るのか不安だった。乗客は私だけだった。バスは廃線跡の道路とは違うところを進んだ。道理でバスを見なかったわけだ。やがてバスは廃線跡に戻った。そこではまもるくんが任務についていた。山本駅にはわずか12分で到着した。運転士のおばさんに「よいお年を」と言った。無人のバスが暗闇の中去っていった。
 1826に山本駅から唐津駅へ。たった2駅だった。唐津駅手前で高架となり、筑肥線と合流した。唐津駅は高架の立派な駅だった。
 19時、アスカホテル。なんか全館から怪しげな妖気が漂っていた。フロントがインド系の人。大浴場は予約制で、部屋に風呂あるのか聞いたら、シャワーだけという。これで5400円も取るのか?幸いにも大浴場を予約してもらった。部屋に入るより早く洗い物を洗濯機にかけた。
 部屋に入ると、本当にシャワーだけだった。トイレはセパレート。机の横にはなんと洗面台。これは初めて見た。個性的すぎる。
 19時半に大浴場。予約制なのはコロナ対策のため。もう一人いたらしいが、入って来なかった。洗濯物を乾燥機にかけた。
 部屋でねぎとろ巻を食べた。10大ニュースを選んで、ブログを書いて、明日の予習をした。2115洗濯物を回収。年越しそばを食べた。