びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/08/11(金)祝「栗原」

 東北道鶴巣SA。心配してた暑さは、シャツ1枚になれば、ちょうどいいくらいだった。うるさくて明るくて、断続的に目が覚めたけど、少しでも寝ておこうと思って横になり続けていた。
 615、起床。トイレに行こうと外に出ると、駐車場は満車で車が列をなしていた。車中泊が多いし、GW初日だからなあ。朝食後、昨日のブログを修正して、715、出発。
 くりはら田園鉄道廃線跡を目指した。くりはら田園鉄道東北線石越駅と細倉マインパーク前駅を結んでいた。子供の頃から気になっている場所だった。まず栗原という地名を知らなかったし、その先の細倉鉱山のことも知らなかった。GWの東北旅行で行きたかったが、タイミングが合わず見送っていた。今日はそのリベンジだった。
 東北道は流れてはいるが、スピードは出せない状態だった。若柳金成IC下車。辺り一面に田んぼが広がり、吸い込まれるような大きな空には巨大な入道雲がわいていた。素晴らしい景色だった。さすがくりはら田園鉄道と言うだけのことはあった。
 8時、若柳駅跡。ここはくりはら田園鉄道公園になっていて、木造の駅舎と、10両くらいの車両が留置されていた。なんかめっさ凄いんだけど?開くのは10時からなので、人が来るまでに写真を撮っておいて、先に終点の細倉鉱山に行こうと思っていた。駐車場の隅に一人背の高い男性がいて、こちらの方を見ていた。写真を撮っていたら話しかけられた。見た目はいかにも鉄道好きのお兄さんといった感じだった。「Nゲージ買いに来られたのですか?」。なにそれ?「こないだのテレビ番組見たんですか?」。なにそれ?親切にいろいろ話しかけてくれるのだが、なんだか空回りするのもいかにもというか?どうやら保存会の人で早目に来て不法侵入などを見張っているとのこと。ここは体験乗車会もレールバイクもやってるが、あいにく今日は違うようだった。七戸の時と違い、なぜかそんなに残念だとは思わなかった。「実は今日9時から10時の間で入れ換えするので動かすんですよ」と言われた。これは!俄然盛り上がってきた!
 とりあえず一通りの写真を撮った。駅舎は古い木造だった。車両は気動車から貨車まできれいに塗装されていた。1つずつフレームに収めた。
 835、待ち時間を利用して先に石越駅に行くことにした。
 840、石越駅。現役の東北線の駅。くりはら田園鉄道の駅跡はよくわからなかったが、駅前に石柱があった。やる気が感じられた。
 近くのセブンイレブンでトイレ。そのままwikipediaで全駅をチェックした。さっきお兄さんが言ってた内容が書かれていた。お兄さんが書いたのではないか?
 910、再び若柳駅跡。駅舎とは反対側にある公園の駐車場に停めた。小さな機関車のエンジンがかかっていたので、急いで車から降りた。お兄さんが歩いてきて「エンジンをかけたばっかりだから、まだ時間かかります」と言った。
 暑いけど、外で待つことにした。子供連れが一組いて、電車を見てはしゃいでいた。そんなに待つことなく、青い旗を持ったお兄さんが私の方に来て「動きます」と言って、電車の進路の先の方に走っていった。
 もう一人のスタッフの人が機関車に乗り込んだ。汽笛を2回鳴らしてから発車した。気動車はエンジン音をブルブル立てて白い煙を吐きながら軽快に走っていった。ポイントを行き過ぎて停まった。今度はバックして違う線に入ってきた。ホームに留置していた気動車にガチャンとタッチした。気動車を連結して、気動車のブレーキを解除して、またポイントまで走った。そして、バック運転で違う線に入った。それをもう一回別の気動車でもやった。観客は私と一組の親子連れだけ。私はずっと動画を撮っていた。これこそ僥倖だった。
 10時、若柳駅跡が開いた。人が来ないうちに写真を撮りまくった。駅舎の中は激渋だった。木造の窓口、改札、ベンチ。よくこれだけのものが残っていたものだ。島式ホームに上ると、まるで現役の駅そのままのように思えた。駅名標は毛筆の渋いやつ。痺れる~。
 道を挟んだところには、くりでんミュージアムがあった。500円。ここには車庫が2つあり、中には気動車が入っていた。車庫は昭和のボロボロの奴で、めっさ油の臭いがした。旋盤とか重厚なゴリゴリの工作機械がたくさんあった。足りない道具や部品は鉄を溶かすところから作ったそう。しゅごい(@_@)。
 資料の展示も面白かった。くりはら田園鉄道奥州街道の宿場町として栄えた栗駒が、東北線の経路から外れたことから誕生した。この経緯は知らなかった。まるで神原鉄道のよう。その後に第二次世界大戦の国策のため細倉鉱山まで延伸して、三菱マテリアル傘下となった。途中で気分が悪くなった。ずっと立てなくなってるのかな?頑張って最後まで見た。全線を再現したジオラマは圧巻だった。
 外の自販機でお茶を買って飲んだ。最後にもう一度若柳駅に戻って、写真を撮った。
 1125、出発。ここからは廃線跡巡りをすることにした。お兄さんによれば、全線にレールは残っているそう。なんでも、亜鉛を運んでいたから土地の二次利用ができないとのこと。そういえば、小坂鉄道もレール残ってたなあ。
 1135、沢辺駅跡。駅舎はなくホームとレールが残っていた。駅前広場があり、「沢辺タクシー」と書かれていた。駅を中心として発展したんだろうな。
 12時、栗駒駅跡。小さな町。ここも駅舎はなくてホームとレールが残っていた。いかにも駅があったと思わせる駅前広場には観光案内の看板があった。
 1235、鴬沢工業高校前駅跡。ホームがないどころか高校もどこにあるかわからなかった。Googleマップがなければ、駅跡とは思わなかったであろう。
 細倉に移動した。1240、だるま屋。映画「東京タワーオカンと僕と時々オトン」で出てきたらしい。見てないけどw。名物のカラチャーシューメン大盛。ネットで辛くないと書いてた通りだった。量がものすごく多かった。
 1325、細倉マインパーク前駅跡。だるま屋のすぐ横だった。駅舎がきれいなまま残されていた。その横には機関車と貨車があった。ホームもよく残っていた。周りに家は見当たらず、これは廃線になるわなと思わせるものがあった。
 1340、細倉マインパーク。細倉鉱山は見学できるようになっていた。
 まずは細倉鉱山資料展示室。わかっていたけど、鉱石だらけだった。そろそろ主要な鉱石を覚えないとな、ということで、説明を写真に撮った。
 1425、観光坑道。40分トイレにいけないのが心配だった。しかも、辛い物をお腹一杯食べてるし。それはその時で入った。500円。思った以上に寒かった。中はまるで鍾乳洞のようだった。定番の人形とかトロッコがあったり。お腹のことはすっかり忘れていた。最奥に砂金採りコーナーがあった。20分500円。たくさんの子供がざるで砂をジャバジャバやっていた。私はスルーした。係の人はトイレ大変そう?
 1510、出発。時間が中途半端になってしまった。栗駒山の方に行くことにした。
 1525、栗駒山ジオパークビジターセンター。栗駒山全般について説明していた。メインは、2008年岩手宮城内陸地震で起きた荒砥沢地滑りについてだった。この地滑りでは、タモリ倶楽部に出ていた鉄道マニアの方が土石流に巻き込まれて亡くなっていた。
 1555、出発。荒砥沢地滑りを見に行くことにした。山をどんどん上った。対向車はいなかった。ロックフィルダムが現れた。荒砥沢ダムだった。上っていくと、ダム湖に出た。
 1615、藍染湖ふれあい公園。ダム湖の向こうに地滑りが見えるはずだったが、だいぶ遠くで手前の木が邪魔でいまいちだった。ダム湖の方はきれいだった。堤体の下からも写真を撮った。
 1635、出発。次の場所の花巻に移動することにした。一関ICから東北道。お腹が痛くなった。1725、中尊寺PAでトイレ休憩。1740、出発。花巻IC下車。
 1840、花巻南温泉郷大沢温泉湯治屋。木造の古めかしい宿だった。宮沢賢治とも関係があるみたい。700円。3つの湯船に入れるようだった。洗い場のある豊沢の湯を選択。熱くてぬるぬるだった。1940、出発。
 20時、道の駅はなまき西南。駐車場は結構一杯だった。ブログを打った。エアコンを切ってると結構暑かった。トイレに行くと、トイレの前は待合室になっていて、机と椅子がたくさんあった。ポスターで高村光太郎宮沢賢治の関係について説明していた。道の駅にこういうのがあるのはありがたい。