びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/14(日)「旅行4」

 寝たのは22時過ぎで、起床は5時半。最初は、外の物音、虫の羽音や虫が腕にとまっている感覚があり、1時間くらい寝付けなかった。そのうち眠りに落ちると、朝方は寒くて寝袋を掛け布団代わりとした。夜中にトイレに起きることもなく、よく寝れた。車中泊いけるやん!
 昨日、愛冠駅で買ったパンを食べた。ゴマが振りかけてあった。食べると、密度が高く、パンの風味が強かった。説明されてた通り、味が単調で単独で食べるのは難しかったので、半分は次に残した。6時、出発。
 今日は、昨日から予定が狂ってしまっていた。相生線の廃線跡を巡り、予定になかった雄別鉄道の雄別と鶴居村村営軌道の鶴居村に行くことにした。それ以上は未定だった。
 まずは相生線の探索だった。相生線は2009年に終点の北見相生駅から起点の美幌駅に抜けたことがあるが、夜だったので終点以外は探索してなかった。
 国道39号線女満別から美幌に戻った。霧が凄かった。ネットでガソリンスタンドを探すと、美幌で一軒だけ開いていた。お通じが来て、凄く焦った。620、美幌のオカモト。トイレと給油を済ました。神ガソリンスタンドだった。
 国道240号線を津別方面へ。すぐに遊歩道を見つけて、いかにも廃線跡の雰囲気だった。なかまち緑道と書かれていた。ネットで調べると、用水路を埋めたものだった。失敗。
 650、上美幌駅。場所がわからなかったので「歩鉄の達人」を見た。国道から入ったところの空き地が駅跡だった。民家のガラス戸越しに白と黒のぶちの猫が目を見開いてこちらを見ていた。私が去ろうとすると、それに合わせて首が回った。
 720、津別駅。相生線最大の街だが、あまり大きくなかった。駅跡は「歩鉄の達人」の記載通り、ほとんど痕跡がなかった。
 7時半、本岐駅。駅舎はなく公園になっていた。左側に建物があり「本岐地区多目的公園研修施設」と書かれた木の看板が掲げられていた。
 750、北見相生駅。道の駅あいおい。最初からここしか期待していなかった。1やたらと「くまやき」というのを推していた。熊の肉かと思ったら、カステラが熊の形をしてるようだった。まだ開いてなかったので食べられなかった。
 北見相生駅には2009年に来たことがあったが、夜だったためにあまりよくわからなかった。今回はそのリベンジをしたかった。車両が2つ留置されていて、ライダーズハウスになっていた。駅舎とホームはほぼ当時のままだった。ホームの奥には除雪車らしき車両と貨車が置かれていた。駅舎は喫茶店となっているらしく、まだ誰もおらず施錠されていた。外から覗くと、当時の道具などが飾られていた。駅舎の表側に回ると、記憶がよみがえってきた。
 相生線の路盤はほとんど残っておらず、人もあまり住んでいなかった。1985年頃に廃止された路線は本当に閑散としてたんだと思う。そういうところの方が廃線跡探索としては味が出る。
 815、出発。釧北峠を越えて、阿寒湖へ。阿寒湖は2000年に観光したので、特に興味はなかったが、すぐそばを通るので。
 840、阿寒湖。温泉街があった。一瞬、遊覧船乗り場から湖面を見た。そして、Uターンした。展望台の方に行くと、スキー場があり、駐車場に停めてから山登りしなければいけなさそうだった。そこまでして見たいわけでないのでスルーした。
 次は雄別を目指した。雄別には炭鉱があり、街を形成していたが、炭鉱の閉山とともに街はなくなった。炭鉱までは雄別鉄道が走っていた。
 国道240号線を南に下り、道道を西に入ってアプローチしようとしたら、この先通行止めと書かれていた。仕方ないので、もう少し国道240号線を南下してから、国道274号線を西に入った。整備が甘くアスファルトがひびだらけで凸凹してた。バイク1台とすれ違っただけだった。
 T字路になり、北に向かった。既に非常に寂しい感じだった。この先には人のいなくなった雄別しかなかった。道も段々悪くなってきて、どんどん怖くなってきた。こんな山奥によく炭鉱を見つけたなと思った。右手に大きな記念碑が現れて、いよいよ雄別かと思ったら、目の前が開けて、その先の道は通行止めのゲートで塞がれていた。こっちもか!早く言ってよ!広場にはトラ猫がちょこんと座っていた。なぜこんなとこに飼い猫が?捨てられたのか?
 仕方ないので帰ろうとした。すると、道路の表示で「雄別まで1km」と書かれていた。歩けるのでは?ここまで来て帰るのは後悔しそうな気がした。もう一度広場に戻った。さっきの猫がいた。ゲートを見ると、「関係者以外立入禁止」となっていた。やっぱり諦めた。
 1045、炭鉱と鉄道館雄鶴。ここには雄別炭鉱と鉄道の資料が展示されていた。最初、隣にある道の駅阿寒丹頂の里の中と間違えた。建物はキャンプ場の中にあり、入りづらかった。建物の中は誰もおらず、薄暗かった。しかし、資料はとても充実していた。街が賑わっていた時の写真と、自然に返ろうとしている写真の差に歴然とした。さっき入口まで来たときには、この先に街があったなんて想像もつかなかった。時の流れは恐ろしいものだ。1115、出発。
 12時、鶴居村村役場前の喫茶&焼肉「さるるん」。豚丼大盛。かなり肉厚で大きく、予想以上うまかった。山椒をかけるとうまさが増した。
 1250、鶴居村ふるさと情報館みなくる。ここには鶴居村村営軌道の資料が展示されていた。鶴居村村営軌道は釧路の新富士鶴居村を結んでいた。いきなり屋外に自走客車とガソリンカーが展示してあった。これは熱かった。説明によると、村営軌道の元は殖民軌道であり、関東大震災の後に北海道への移住を進めるために、国が北海道に作った鉄道だった。途中から会計上補助をするのはおかしいと会計検査院に指摘されたことから村に払い下げとなり、1960年代にすべてが姿を消した。13時半、出発。
 鶴居村でそれらしい痕跡を探したけど、まったくわからなかった。規模が小さく、廃止時期が早いからかもしれない。
 この後はとりあえず後述する場所に向かうことにした。釧路湿原の西側の道道を南下した。興味はなかったけど、一応釧路湿原を見ておくことにした。
 14時、釧路市湿原展望台。450円。あんまりよく見えなかった。建物が余程高くないとうまく見えないと思われた。無料で湿原を歩くコースが設定されていた。この中にまさかの殖民軌道跡を利用した道があった。知ってしまった以上、行かなければ。
 湿原の中の木道は、ひんやりして気持ちよかった。やっぱ来てよかったなと思った。その代わりとにかく虫がたくさん飛んでいた。気にしないようにするしかないが、それができたら苦労しない。絶えず手で虫を振り払いながら早足で駆け抜けた。湿原には背の低い熊笹やシダが生えていて、ジメジメしていた。軌道跡はただ草むらの中にまっすぐに延びる獣道みたいだった。よくこんなところに敷いたものだ。復路は激烈な上り階段だった。息が切れて汗だくとなった。
 国道38号線を白糠を目指した。まるで高速道路のようであった。湖西道路を思い出した。海沿いで大平洋が見渡せた。とても素晴らしい景色だった。15時半、庶路という集落の小さなガソリンスタンドで給油。暇そうなおじさんが2人出てきた。
 白糠からは白糠線を探索した。白糠線は国鉄の中でも比較的早く廃止になっていた。こういう路線は本当に変なところを通ってる可能性があり、小学校の「国鉄駅名全百科」を読んだ時から注目していた。おそらく秘境感満載の探索となることが予想された。
 国道392号線を北に向かった。先入観がそうさせるのか本当に寂しい感じだった。なんでこんなとこに鉄道を遠そうと思ったのだろう?
 白糠線はコンクリート橋がたくさんあることで有名だった。山の中を比較的高規格でぶち抜いていた。1610頃から橋が連続しだした。最初は感動したけど、その後イヤになるくらい出てきた。
 1645、上茶路駅。はこくろさんのツイッターに写真が挙げられた時は衝撃的だった。どこにあるかすぐにわからなかった。グーグルマップを見てようやくわかるほどだった。駅への道には道道のヘキサが立っていたが、すっかり植物に囲まれていた。激薮になっていたのだ、近づくのを止めた。
 上茶路駅でも大概な無人地帯であったが、終点の北進駅まではどうしてここに線路を通そうとしたか笑っちゃうくらい山奥だった。思わず五新線探索を思い出した。
 下北進駅へのアプローチも激薮で断念した。
 1720、北進駅。地名は「二股」だったが、線路が足寄まで延びることを期待して北進という名前になった。小学校の「国鉄駅名全百科」の時から駅以外に何もない駅と書かれていた。当然無人地帯だと思っていたら郵便局があり大いに驚いた。脇道に入ると、道端にしわくちゃのおばあちゃんがいた。ずっとこっちを見ていた。グーグルマップを見ながら、駅へのアプローチを探した。駅へ繋がる道に繋がる道だったのに、激薮だったorz。上茶路駅と同様に入るのは諦めた。おばあちゃんがずっとこっちを見てたので、話しかけた。激薮の向こうを降りたところに駅はあったらしかった。見に来る人は年に2、3人とのこと。「好きだねえ」と言われた。「元気でね。来年も来てね」と言われた。17時半、出発。
 国道392号線で本別を目指した。十勝線の予定ルートでもあった。ずっと山の中で家なんてなかった。
 本別では岡女堂駅と再開した。夕日に照らされて、また違った顔を見せていた。本別から道東自動車道に乗った。あんまり高速の必要を感じなかったが、後述の理由で急いでいた。対面通行だった。片側2車線になることはあるのだろうか?池田で降りて、470円だった。高い!池田のセイコーマートがある交差点から国道38号線に入り、帯広に向かった。
 帯広に戻り、19時半、ばんえい十勝。ずっとずっと来たかった。もうばんえい競馬はここしか残っていなかった。すべてが夢の世界だった。競馬場らしくおっちゃんも多かった。JRAの設備の新しさはなく、昭和の雰囲気があった。
 11レースが始まるところで、パドックに馬がいた。その後、スタートゲートに入るために、目の前を通りすぎて行った。馬場には大きな山が2つあった。
 レースは緩く始まった。馬が坂道を上ると一気だった。後ろで「いけー」とおっさんの野太い叫び声が聞こえた。そのまま何人かはゴールの方まで走って追いかけていった。
 4番がなかなか坂を越えられず座り込んでしまった。まるでお盆に来たお客さんに一秒でも長く楽しんでもらおうとしたみたい。騎手と係の人が引っ張っても無理で、最後は橇を外されて競争除外となった。
 記念のつもりで馬番連単で3-6を500円買ったが、結果は6-3だった。惜しい!
 せっかくなので12レースも買った。馬番連単で3-6を500円。まさかの当たりで2250円つけた。払い戻しは11250円で、トータル10250円勝ち!完全にビギナーズラックだった。21時終了。
 2110、出発。今日も車中泊だったが、泊まる場所を決めてなかった。帯広から北に10kmのところにある道の駅にした。途中でセイコーマートで晩飯用のおにぎりおかかを買った。
 2130、道の駅おとふけ。副題でなつぞらのふる里。非常に広くて、非常にたくさんの車が停まっていた。トイレもとてもきれいで最近できた施設なのかもしれない。晩飯のおにぎりを食べたらすぐにブログを打った。心折れそうなくらい欠くことが多かった。
 今日もまたなんだかんだで頑張った。雄別鉄道や鶴居村関連に行けてよかった。また白糠線は思ってた通り強烈だった。ばんえい競馬も素晴らしい体験だった。何やっても楽しい!