びーの独り言

どこいくの?どっか。

2020/12/13(日)「西脇」

 起床は6時。朝食は6時半。レストランには昨日のおばさんがいた。さすがに貸し切りではなかった。おばさんと話してたら、15年前に水害に見舞われたそう。一瞬、佐用の時かなと思ったが、後で調べるとそれより前だった。どこで水害が起きてるなんてわからないものだなあ。
 715、廃線跡探索スタート。自転車が借りられないので、徒歩で13.2km。これは今回のシリーズで最長。どこまでいけるだろうか?因みにこのコースは、東京の同僚だったNさんが踏破済みであり、帰りはバスがあるとのことだった。昨日の中断箇所まで戻ったら、そこは1.0km地点だった。
 国鉄鍛冶屋線は、加古川線西脇市と鍛冶屋の13.2kmを結んでいた。1913年8月に市原まで開通。1923年5月に終点鍛冶屋まで開通。1987年2月に廃止。西脇市駅は元々野村駅であり、鍛冶屋線に西脇駅があった。加古川線の終点谷川行きよりも西脇行きの方が乗降客は多かったが、鍛冶屋線全体では成績が悪かったため廃止されてしまった。
 朝は山間部だからか肌寒かった。いつもはリュックサックにダウンジャケットだが、これにマフラーが加わった。廃線跡は遊歩道になっておりイージーだと思われたが、道路に吸収されてしまった。広い歩道を歩いた。やがて、前が広くなっていて、右手に西脇ロイヤルホテルが現れた。ここがかつて西脇駅があった場所。ホテルからは大阪行きの高速バスが発着しており、今も西脇市の中心であることがうかがえた。
 さらに歩いていった。バス停が出てきたので帰りのバスを見てみた。すると、土日は運休となっていた。マジで!それでは計画が破綻する!でも、事前調べだとあったはずなんだが?ネットで調べると、神姫バスが出ていた。よかったあ。バス停はコミュニティバスのものだった。
 廃線跡はずっと道路の歩道だった。面白味はなかった。道路の歩道を歩く時には、廃線跡がどこかわからなくなる。厳密には、右側か左側か真ん中か?大して違いがないように思うが、頭の中で電車が走ってる姿を想像する時に、この微妙な差が気持ちに影響する。
 815、4.0km地点通過。1時間で3km。写真撮りながらだからそんなもんだろう。
 8時半、市原駅に到着。ここには鍛冶屋線資料館が建っていた。しかし、早すぎて開いてなかったorz。隣には二輌連結されたディーゼルカー。連結は珍しい。ホームとレールの位置が変だったので、後から作り直したものかもしれない。
 先に進むと大きな交差点にぶつかった。左に曲がろうとして、待てよとグーグルマップで確認すると、まだまだ真っ直ぐだった。交差点にあったセブンイレブンでコーヒーを補給。
 交差点を直進すると果てしなく真っ直ぐだった。割りと新し目で、周りにはなんもなかった。ずっとトボトボ歩いた。この道で合ってるのかなと疑問がわいたので、歩鉄の達人を見た。すると位置は合ってそうだが、写真が全然違う。なぜ?付近を捜索してもそれらしき痕跡は見当たらなかった。その時、ちょうど手前からおじさんが歩いてきた。そういえばこの辺りの人は皆すれ違い様に挨拶をする。聞いてみようか?廃線跡探索でインタビューするのは初めてだった。予想通りおじさんが挨拶してきた。ここがチャンスとばかり、廃線跡がどこか尋ねた。おじさんは優しく教えてくれた。やはりこの道が正解だった。数年前まで遊歩道だったのが、拡張されたとのこと。そっか、来るのが遅かったか。
 940、羽安駅跡。行程の半分らしい。これは結構、早く終わるかも?
 1010、曽我井駅跡。公園になっていておじさんが犬を散歩していた。写真を撮りまくっている私はどう思われただろう?
 歩道にはえんじ色がついてて、これが廃線跡を示していると思われた。ずっとたどっていったが、とにかく何にもなかった。道沿いには家もない。どうやらこの道の隣にもう一本道があって、そちらにバンバン車が走っていた。だったらなんでこの道路を作る必要があったのだろうか?
 ずっとエンジンをふかす音が山から聞こえていた。こんな山奥にもアホな奴らがいるんだなと思ったが、一向に収まらない。なんか普通じゃないな?山でも攻めてるのか?はっきり言って不快だった。こちらは歩いてるからずっと聞かされていた。田舎の気分を味わいたいのに完全に台無しだった。もしかしてサーキットがあるのか?帰ってから調べると、やっぱりセントラルサーキットというのがあるようだった。あんなんアカンやろ?
 多可町に入って、ようやくコメリが出てきた。ただそれだけ。やがて中村町駅跡。ここまで来たらあと一駅。
 えんじ色の歩道は途絶えて、車輌侵入禁止の自転車道になった。これこれ、これを待っていた。廃線ムード満天。杉原川の橋を渡り、赤十字病院を抜けると、舗装工事中で通行禁止orz。迂回することになった。迂回した道はメインストリートで、しばらく行ってから廃線跡に戻った。ほどなくして公園が現れた。そして、車輌と駅舎。1120、ついに終点鍛冶屋駅跡に到着した。
 隣に神姫バスの営業所があり、何台もバスが停まっていたので、バス停でバスの時間を見てみた。1147だった。その次は2時間後。急いで駅舎や車輌の写真を撮りまくった。駅舎の中の展示スペースには鍵がかかっていて入れなかった。駅名標があった。すごく錆びていた。本物かどうかわからないが、フォントといい錆び具合といい本物っぽい味があった。鍛冶屋駅にたどり着いたことは、日中線の熱塩駅にたどり着いた時のような感動があった。道中が過酷であればあるほど感動するんだなあ。
 そのうちアジア系外国人が2人やってきた。観光か?いや、バスに乗るんだろうか?バスの営業所の中には人気がなかった。本当にバスがあるのだろうか?なかったら死ねるのだが?バスは違うところから来た。よかったあ。バスには既にお客が乗っていた。それも外国人風情で。バスは廃線跡の一つ隣の道、先ほど歩いたメインストリートの方を走った。その後、バスは西脇市でもメインストリートを走った。どうやら廃線跡の周りだけが寂しかったことがわかった。外国人は西脇駅の近くのエディオンで降りていった。もしかすると、何かの研修生なのかもしれない。12時半、西脇市駅に到着。バスでも40分かかるのか。あんなとこに住んでたら車がないととても生きていけないなあ。
 1245、加古川線加古川行き。粟生駅で下車。
 1309、北条鉄道北条鉄道も昨日の三木鉄道と同じで国鉄から第三セクターに転換した。これで加古川線の枝線を三つとも制覇。北条鉄道に乗るのは2回目。ローカル線風情たっぷりの路線という記憶。車輌はディーゼルの1輌。鍛冶屋線も走ってたらこんな感じだったのかなと思いながら乗っていた。同業者がわいてたのは興醒め。
 13時半、北条町で同業者たちは折り返して行った。以前の私もあっち側だった。今日は爪痕を残すために北条町で昼食を取ることに決めていた。はま寿司w。はま寿司は四大回転寿司チェーンの一つだが、食べたことはなかった。寿司好きとしては見過ごせず。うーん、可もなく不可もなく。そこそこかな。くら寿司には勝るが、スシローには敵わない。地域共通クーポンを使った。
 1439、北条町からの復路。今度は登山のジジババが大量にわいてた。同業者の方がまだマシ。
 1510、粟生から神戸電鉄。昨日、書き忘れたが、神戸電鉄粟生線は廃止危惧路線である。JRでも帰れたが、わざわざ粟生線に乗った。粟生線に乗るのは、昨日を除いて2回目。昨日は内装がまるで阪急みたいなのが走っていた。神戸電鉄は阪急の子会社だから多分そうなんだろう。北神急行(今年から神戸市営地下鉄になった)にも同じの走ってたもんなあ。阪急グループとは思えない山岳路線で(能勢電は除く)、勾配と急カーブの連続。ギーキー、プシュープシュー。阪急のエレガントさは皆無。知ってはいたが、何度見ても鈴蘭台から新開地への勾配は狂気でしかなかった。
 新開地で阪急特急に飛び乗り、三宮でJRに乗り換え。新快速で尼崎。17時、サイゼリヤ
 今回の旅は、鍛冶屋線をどうするかがすべてだったが、万事うまくいった。13kmを歩けたことは自信になった。廃線跡に限らず、歩くことはアリだと思った。