びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/06/26(月)休「珠洲」

 道の駅のとじま。3時半に一度トイレで目が覚めた。起床は550。あまりにも快適でぐっすり眠れたのには驚いた。ホーホケキョとウグイスが啼いている以外は人間の生活音は何一つ聞こえなかった。静かであるというのはこんなに気持ちのいいものなのか?これは大きな気づきだった。
 しかし、他に1台しか停まっていない道の駅って不人気にもほどがある。どこでトイレの電気が弱々しいという情報を仕入れるのだろうか?それとももっといいところが近くにあるのかもしれない。今後は懐中電灯が必要だな。
 窓は開けっ放しにした。朝食後、昨日のブログを修正した。735、出発。
 9時に能登島の施設が開くので、それまで能登島を一周することにした。なぜか島は一周したくなるんだよなw。時計回りにぐるっと回った。時計回りだと、海側がよく見える。道は1車線しかなくて路面状況はよくなかったが、時折海が見渡せてまるで映画を見てるようだった。ドライブにはもってこいだった。
 8時半に能登島大橋を渡った。昨日、真っ暗で景色がわからなかったからだ。橋は斜張橋で、中央部は船が通るからか途中で急に上り坂になった。橋からの景色は最高だった。青い海に浮かぶ島と青い空が遠くまで見渡せた。絶好の撮影ポイントだったが、駐停車禁止でもあった。景色を記憶に焼き付けようとした。渡りきってすぐのところにある能登島大橋ロードパークに寄って、橋の全景を撮った。もう一回橋を渡って能登島に戻った。こちらでもすぐにある駐車場に寄って、今度は車道の横にある歩道から橋の写真を撮った。歩道では橋の真ん中まで行けたが、そこまではしなかった。
 9時、石川県能登島ガラス美術館。日本で唯一のガラス専門の美術館だった。最近、富山にもオープンしたので唯一ではなくなったとのこと。
 展示は4つのパートから構成されていた。展示1と2は写真も撮れた。ボヘミアガラスや中国のガラスを紹介していた。あんまり数もなくて、すぐ終わりそうだった。
 展示3は、日本の現代作家の作品だった。色のグラデーションであったり、とろけそうなガラスの質感であったり、技術がすごくて、めっさ美しくて今までに見たことのない斬新さだった。弟子入りしたいと思ったくらい!一気にテンションが上がった。
 展示4は有名芸術家がガラス屋に頼んで作ってもらった作品だった。主にダリとピカソとか。ガラスだとあんまりのような?ガラスの質感をまったく生かしてないように思えた。二次元の表現に長けていても、三次元は別物ということか?
 950、のとじま水族館。立地はまるで美ら海水族館のようだった。山の中腹から下に降りていくスタイル。水族館の向こうにはきれいな海が見えた。
 10時からイルカ・アシカショーだった。急いで中に入ると、青い縦長の巨大水槽が現れた。あまりにも美しいブルーだった。通路は水槽の周りを螺旋状に降りて行った。しかも、目玉はジンベエザメ。これはまさしく海遊館だった。
 イルカ・アシカショーはよくある感じであった。美ら海水族館でも楽しかったように、ここでも楽しかった。イルカって賢いよなあ。絶対、人間のことを理解してる。メインのお姉さんの声としゃべり方が素晴らしかった。
 改めてジンベエザメの水槽をゆっくり見た。のとじまと海遊館とどっちが先なんだろと思った。海遊館は外国のデザイナーに設計してもらったはずだから、ありきたりの構造ではないと思うのだが?提携してるのだろうか?
 本館に行った。施設自体は古かったが、説明書きは新しく加えられたものであり、飽きさせないような工夫がなされていた。プロジェクションマッピングを使ったり、クラゲをライトアップしたり、いろいろ見せ方を工夫していて、とても好感が持てた。
 プールの下をトンネルで潜れるようになっていた。頭上をイルカが泳いでいた。
 イワシの巨大水槽があった。その側には旭山動物園のアザラシが通り抜けるチューブが作られていた。あいにくアザラシは外で仕事して不在だった。
 外ではアザラシのもぐもぐタイムをしていた。これも旭山動物園で見た。
 11時からはペンギンの行進。これも旭山動物園で見たなあ。
 のとじま水族館は他の人気施設のよいところをふんだんに導入しており、とても楽しかった。素晴らしい水族館だった。もっともっと流行ってもいいと思った。1125、出発。
 昨日の幸寿しに再チャレンジしようと思ったら、休みだと気づいたorz。先を急ぐことにした。
 能登島にはもう一つ大きな橋があった。ツインブリッジのと。これも斜張橋であり、橋の上からの景色は最高だった。もちろん駐停車は禁止だが。1135、橋を渡ってすぐの長浦うるおい公園。橋の全体を写真に納めた。
 穴水に向けて北上した。右手に海を見ながらのドライブとなった。晴れた空に青い海、日本海は太平洋の軽薄さと違って、奥深い美しさなんだよな。今回の旅行で礼文島と迷ったけど、こちらの海も北海道と変わらない美しさがあると思った。辺鄙さでも負けてないかも?能登に来て良かった。
 穴水の手前で大仏があったので、寄ろうと駐車場までは行ったが、大仏は平成の作だったし、日本寺のようにあんまり面白くなさそうに思えた。穴水で寿司を食べることを思いついたので、先を急いだ。
 1215、福寿司。一番人気の店だったが、臨時休業。臨時かあ。ついてないなあ。
 磯寿司。開いてたけど、誰もいなかったし、黒板に書かれたランチメニューは焼き物ばかりだった。カウンターの冷蔵ケースにも何も入ってなかったので、そのまま撤収した。
 お食事寿司高尾。閉まってた。もしかして、今日は漁が休み?昼食に寿司は断念した。
 12時半、穴水駅のと鉄道の終点だった。ここは道の駅あなみずとなっていた。穴水には、興味がわく観光スポットがなかったので、ここからのと鉄道廃線跡探索をすることにした。のと鉄道はここで分岐して、能登線蛸島までと、輪島線の輪島までを結んでいた。いずれも廃止になっていた。まずは能登線の方から。
 13時、中居駅跡。ホームが残っていて、待合室があった。待合室には鍵がかかっていて、ガラス越しに見た中には、円い時計が掛かっていた。
 1305、中居湾ふれあいパーク。ボラ待ちやぐらがあった。これは海の上で棒を何本もX型に組んだもので、能登特有の物らしかった。別に珍しいともなんとも思わなかったが、一応フレームに納めた。
 1310、比良駅跡。ホームと待合室は残っていたが、路盤には一般の民家の白いビニルハウスの倉庫があり、近づけなかった。踏み切りの跡にレールが埋まっていたのを見て興奮した。
 ここからはすべての駅を回るのは諦めた。Wikipediaで調べては面白そうかで判断した。
 国道から離れて、海沿いを進んだ。狭いぐねぐね道にたまに小さな集落が現れるのを繰り返した。一つ一つの集落にバス停があって、それで名前を知った。誰がバスに乗るのだろうか?のと鉄道の駅名になっている集落もあったが、路盤はどこを通っているのかわからなかった。きっと少し離れた山の中に駅があるのだろう。もしかすると、バス停はのと鉄道が廃止になった代替なのかもしれない。
 集落には、壁一面に板材を打ち付けた漁師の家が多かった。どれも古い一軒家ばかりだった。ほとんどカーテンは閉ざされていた。道を歩いてる人もなくてひっそりとしていた。誰かいたとしても年寄りばかりだった。店もなかった。ただ郵便局だけはあった。郵便局も大変だ。
 なぜここに集落があるのか?いつもそんなことを思う。じっくり考えるには時間がないし、考えても仕方がないことだ。どこも寂しい寒村という言葉がぴったりだった。そして、どこも限界集落だった。
 13時半、寄り道パーキング鹿波。能登には道路沿いにパーキングがあって寄り道パーキングという名前がつけられていた。軽トラのおじさんが荷台にカヌーを載せようとしていた。車を停めると変な目で見られた。ここからは海が見渡せた。
 1345、甲駅。少し大きめの集落。駅舎がしっかりと残っていた。急行停車駅らしく、廃止路線にしてはホームが長いことに気づいた。かつては長い編成のディーゼルが来たのだろう。
 1410、鵜川駅跡。駅舎が残っていた。あんまり覚えてない・・・。
 1420、七見駅跡。ここでは路盤は国道の脇に並走しており、駅舎は小さなバス停になっていた。看板には「七見駅」と書かれていた。
 1425、矢波駅跡。寄るつもりはなかったが、国道沿いに見えた。ホームは突堤の上にある、上るための階段があった。階段を上ると、のと鉄道の看板があり、「奥能登の未来を築くのと鉄道」と書かれていた。こういうのを見ると切なくなる。
 1440、波並駅跡。矢波駅跡と同じで国道沿いでホームは突堤上にあった。ここには待合室と駅名標があった。待合室の引戸は開いていた。中にはポスターが張っていた。平成の高校生が調査したのと鉄道の廃駅の状況が書かれていた。これを見ると、かなりの駅が何かしらの痕跡があることが示されていた。これはこれで回るのが大変なんだよなあ。本文は整備して観光に生かすべきだというようなことが書かれていた。鉄オタがいたのかな?
 1455、宇出津駅跡。宇出津は久々に出てきた町だった。駅跡は巨大な観光施設になっていた。施設の脇には芝生の上に線路を型どった道があり、駅名標が再現されていた。すぐ先はトンネルになっていた。
 1505、宇出津港いやさか広場。宇出津は「ごいた」発祥の地であり、ここにはモニュメントがあった。モニュメントは将棋の駒で、赤字で「し」と書かれていた。これはごいたでいうところの将棋の「歩」の代わりだった。
 また近くにはごいたの館があった。ここには日本ごいた協会があり、ごいたの資料があったり、実際に遊んだりしていた。入り口は閉ざされていたが、中は電気が付いていて、人の気配がした。
 ノックする前に喉が乾いたので、隣の方にあったガソリンスタンドで、爽健美茶を買って飲んだ。
 ごいたの館に戻ると電気が消えていた。入り口の鍵も閉まっていた。なんということだ!チャンスを逃した!諦めきれずにネットで連絡先を調べて、見学させて欲しいとメールした。さすがにすぐには無理だと思われた。
 宇出津を離れる時に、さっきのガソリンスタンドで給油した。店員さんにごいたの館のことを聞いた。「いつも開いてるわけではなくて、たまに集まっては、4時くらいに終わってますね。うちの社長が会員で鍵を持ってるみたいだから取りに来ますよ。他県から遊びに来る場合は、あらかじめ連絡して集まるようにしてるみたいです」。遊べなかったのは残念だけど、貴重な話を聞くことができた。1550、出発。
 1605、九十九湾小木駅跡。きれいな洋館のような駅舎が突堤上に残っていた。
 16時半、松波駅跡。コンクリート製の背の低い平べったい駅舎が突堤上にあった。
 1645、恋路海岸。子供の頃に見た「国鉄駅名全百科」で恋路駅を知ってから、ずっと気になっていた。なんの変哲もない小さな海岸だったが、旅館が2軒あった。ネーミングの勝利だな。
 1650、恋路駅跡。国道脇の小路を行くと、高い突堤の上にホームがあるのが見えた。ホームには駅名標と「恋路歓迎」の看板が見えた。これはテンションが上がった。
 まるで神社のような苔むした暗い階段を上ると、ホームがあった。線路が敷かれていたのは、トロッコをやっていたから。でも、トロッコは休業中のようだった。上り側はトンネルになっていた。駅名標は本物ぽくて興奮したが、後で実在しないトロッコの駅名が書かれていて再現ということに気づいた。ホームからは海が見えて美しかった。
 1715、見附島。砂浜の海の中から突如岩が突き出していた。奥能登のシンボルらしかった。ここには空海の伝説があった。確かに珍しいけど、どこにでもあるような?ここで10人くらいの中国人がやってきた。ものすごいピーチクパーチク騒いでいた。風情も何もあったもんじゃなかった。さっさと撤収。
 17時半、鵜飼駅跡。喫茶店になってるはずだったが、漁業関連の施設になっていた。対向式ホームになっていた。
 1745、珠洲駅跡。珠洲は市政を敷いてることもあって、町になっていた。穴水以来のコンビニも現れた。駅舎は松波駅のようにのっぺりとしたコンクリートの駅舎だったが、建て替えられていて道の駅すずなりになっていた。ホームは残っていたが、長さが足りないような?電光掲示の吊り下げ式の駅名標が残っていた。これは嬉しかった。
 1805、正院駅跡。松波駅のようなコンクリートののっぺりした駅舎が残っていた。ホームもよく残っていた。
 1810、蛸島駅跡。60kmにも及んだ廃線区間の終点。子供心に「蛸島」というインパクトある名前がずっと気になっていた。ようやくたどり着いた。ここも松波駅、正院駅のようなのっぺりとしたコンクリート駅舎だった。駅舎の前にはボロボロの自販機があった。記念品を売っていたが、どれも売り切れの赤いランプがついていた。なぜ電気が通ってるんだ?
 ホームも残っていた。レールの最後は車止めになっていた。その先の上の方に派手なラブホテルのようなネオンサインが出ていた。興ざめだと思った。ネオンサインは「Something Else is Possible」となっていた。車止めのところに小さな説明書きがあった。「他に何ができる」奥能登国際芸術祭の作品だった。
 1820、新蛸島駅。蛸島駅跡では気動車の動態保存をしていたが、いつからか車両が放置されていた。その場所のことを新蛸島駅と読んでいた。田んぼの向こうの草ぼうぼうの突堤の上に1両の車両が放置されていた。衝撃の景色だった。なぜか周りには足場が組まれていて、車両は白くペイントされていた。
 新蛸島駅と蛸島駅の間には意図的に作られたオブジェがあった。芸術祭と関係があると思われた。説明書きを読むと、車止めにあった作品の一部だった。
 さすがに昼食抜きでお腹がペコペコだった。珠洲市街に戻って店を探した。宿ばかりで店はなかった。結局、鵜飼駅跡まで戻ったけど、目当ての店は臨時休業だった。
 19時、道の駅すずなりの隣のファミマ。狙っていたうどん屋が休みと知った。外食は諦めてミートソーススパゲッティを買った。
 道の駅すずなりの珠洲駅ホーム上でミートソーススパゲッティを食べた。アイディア次第でいい思い出となる。
 1950、珠洲温泉海浜あみだ湯。海の見える銭湯を謳っていた。待合室で店のおばあさんと客のおばあさんが大声で話していた。浴室はタイル張りで古かったけど、最低限のものは揃っていた。おじいさんばかりだった。風呂から上がったら1人増えていた。さすがにうるさくてここでブログを打つのは諦めた。
 道の駅すずなりは国道に面しているため、明るくてうるさそうだった。20時半、珠洲市役所前の駐車スペース。飯田わくわく広場。ここには公衆トイレがあった。少し明るいけど、静かだったのでマシそうに思えた。ひたすらブログを打った。
 今日はだいぶ先を急いでしまった。ほとんど観光せずに廃線を駆け足で回った。思いがけず蛸島までたどり着けたので、この先の旅程がだいぶラクになった。