びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/06/29(木)休「羽咋」

 道の駅のと千里浜。起床は535。トイレの後で、まず千里浜なぎさドライブウェイの状況を確認した。ダメだった。朝食後、昨日のブログを修正して、745、出発。
 8時、妙成寺(みょうじょうじ)。氷見の「みきさん」で教えてもらった。五重塔を国宝にしようとしている。ここも前田家の庇護を受けていた。日蓮宗の寺は珍しかった。
 五重塔は江戸時代前期の作りで、お勧めするだけあって素晴らしかった。その他もいろいろ建物があり、ほとんどが重要文化財だった。まるで京都の寺のような豪華さだった。
 845、氣多大社。能登一宮。門の所に茅の輪があって強制的に潜らされるのは初めて。拝殿のところでテープで参拝経路を案内していた。雰囲気ぶち壊し。それから拝殿の前にいるのに、中で掃除しないで。ここは独立してるからやりたい放題なんかな?
 920、永光寺(ようこうじ)。曹洞宗名刹。昨日の總持寺で知った。参道は森の中を歩くと、とても雰囲気がよかった。
 門からは回廊になっていた。これは總持寺と同じ。曹洞宗の特徴だろうか?受付ではおばあさんが出てきた。拝観料は300円だった。「小学生が50人くらい来て座禅するので座布団が置いてますが、間を通って下さい」と言われた。
 法堂の中を見ても特になんとも思わなかった。新しい建屋には興味ないんだよなあ。床にはたくさんの円い座布団が等間隔に並べられていた。その後方には椅子が並べられていた。
 帰ろうとして受付まで来ると、おばあさんに「小学生が来たので一緒に座禅していきますか?」と言われた。私は寺を回るようになってからいつか座禅をしたいと思っていた。まさか急にチャンスが訪れるとは。ただ身動きしないように辛抱できるか自信がなかった。それに大前提として足が座禅を組めるかどうか?すると時間は30分くらいであり、椅子に座ってもいいとのことだった。えっ、そうなの?
 小学生がたくさん受付にやってきて、次々と下駄箱に靴を入れて、法堂に上がっていった。最後に先生とカメラマンの女性が通っていった。ちょっとしてから私も法堂に入った。
 小学生たちがずらっと座布団に座っていた。袈裟を着た威風堂々としたお坊さんが小学生に正対して座り、座禅の組み方を教えていた。ゆっくりとわかりやすく話しかけていた。大事なのは座り方ではなかった。姿勢を保つこともでもなかった。腰を痛めるかもしれないので無理しないことだった。そして、心に起こる感情に逆らうのではなく、すべてを受け入れること。何かを考えるのではなく、何も考えないのでもなかった。座ってることが悟りだった。
 よくテレビで見た座禅中にお坊さんが棒でバシッと背中を叩くのは、眠気防止とのこと。寝ていると叩かれるのはもちろんだが、座禅してる人が胸の前で手を合わせてリクエストする仕組みだった。叩かれる時の姿勢もレクチャーされた。
 おりんが鳴らされて座禅がスタートした。私は椅子に座って参加した。背筋を伸ばして、手は印を組み、目線はちょっと下向き。しばらくお坊さんも一緒に座禅をしていた。ピクリとも動かず見事なものだった。小学生たちは最初は動かなかったが、すぐにくねくねしだした。先生は座禅してなかった。ここは大人として見本を見せるべきだったのでは?
 しばらくすると、お坊さんが立ち上がり、棒を持って歩き出した。すぐに一人目が叩かれた。眠いというより、記念に叩かれたのだろう。立て続けに何人かが叩かれた。そのうちに女子のおしゃべりが聞こえてきた。「やさしい」。おしゃべりするのがいることに驚いた。どうやら音が優しかったらしかった。よく聞くと、人によって音が違った。「バシッ」と痛そうな音が鳴ることもあった。その時は、場の雰囲気が「痛そう」みたいになった。
 1人で何回も叩かれる奴が出てくるんじゃないかと思ったら、お坊さんが「1人1回までです」と言った。言い忘れてたのかな?
 心の中にわき起こる感情をすべて受け入れるというのは不思議な体験だった。普段時間に追われる生活の中で、時間を取って自分の感情と向き合うすることはなかった。身体の動きを制限することで、すべてを感情に集中させるのは、画期的な発明だと思えた。確かにいろいろなことが次から次へと浮かんで来たが、すべてを受け入れるという指針はありがたかった。でも、身体を動かしたいという葛藤はだんだんと大きくなったけど。
 30分が過ぎて座禅は終わった。お坊さんから法話があった。「これだけは覚えておいて下さい。仏教は神様のような不確かなものを信じません。すべてのものは無常であり無我です。こんなことを言うのはおかしいですが、寺なんていらないのが理想です。寺なんて来なくていい。でも、死にたくなったら寺へ来て下さい。いきなり来てもなんとかなります」。急に小学生にする話ではなくなっていた。神様は何もしてくれないけど、曹洞宗が援助してくれるというのは、とても現実的だと思った。
 11時半、ゴーゴーカレー羽咋スポーツプラザ店。ゴーゴーカレーは金沢で有名なカレーチェーンであり、2、3回食べたことがあった。おいしさよりも量が多い印象だった。メジャーカレーエコノミー。全部のせ、ライスの量は普通350g。トッピングは、チキンカツ、ロースカツ、ソーセージ、エビフライ、ゆで卵、キャベツ。ご飯よりもトッピングがすさまじかった。今日はスパイシーでおいしいと思った。やっぱり本場だからだろうか?ソーセージがやたらうまかった。
 1220、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋。ずっと来たかった。羽咋の名前を有名にしたのはこの施設だった。ここには本物の宇宙船を中心に宇宙関係の物が展示されていた。なぜ羽咋でと思ったが、江戸時代の古文書で、よくUFOが目撃されたと書かれてるらしかった。
 私はこの施設に胡散臭い印象があったのだが、展示品はアメリカのアポロやソ連のボストークだったりマジもんだった。よくこれだけ集めたなあと思える内容だった。UFO関連もあったけど、アメリカの研究者のインタビューが中心で全部は聞かなかった。UFOしかやってなかった旧飯野町「UFOふれあい館」の方が振りきってると思った
 プラネタリウムウクライナアニメ製作会社が作った「Voyager」を見た。映像は凄かったけど、ストーリーが何をしたいのかよくわからず、途中で気持ちよく寝てしまった。もう1本別のを見ようと思っていたが、また寝てしまいそうだからパスした。
 1510、石川県西田幾太郎記念哲学館。西田幾太郎は哲学者で「哲学の道」の人である。哲学なんて難解なのに博物館があるとは!しかも、県立で5階建て。他に取り上げる人がないのかな?
 禅問答みたいな内容だった。実際、西田幾多郎はよく座禅を組んでたし、「十牛図」が気に入ってたらしい。残念なのは西田幾多郎の業績の位置付けがまったくわからなかったこと。ひたすら日本の第一人者として、他の学者や友人や弟子から慕われていたと言われても、これでは凄さが伝わらなかった。理解できないものが哲学?難しいということだけがわかった。
 1645、出発。北陸鉄道金明線の廃線跡探索をすることにした。
 1750、加賀一の宮駅跡。石川線のかつての終点であり、金名線の起点(正式には終点)。2010/9/24以来2回目。前は駅舎は放置されてぼろぼろだったが、きれいに整備されていた。草ボーボーだったホームもサイクリング道に生まれ変わっていた。
 終点の白山下駅を目指した。路盤を見ながら車を走らせた。路盤は手取川に沿っていたが、いつの間にか対岸に渡っていた。そのまま路盤を見失ったままだった。
 18時半、白山下駅跡。金名線の終点だった(正式には起点)。だいぶ山奥に入っていて、民家もあまりなかった。よくこんなとこまで延ばしたものだ。駅舎はサイクルステーションになっていた。
 帰りは行きに見失ってしまった路盤を辿った。路盤に沿って白い柵が立てられていたので、辿りやすかった。サイクリングロードには誰も走ってなかった。
 1910、手取川橋梁跡。重厚な鉄橋だったと思ったら、廃止後に建て直されたものだった。後で知ったのだが、金名線の廃止理由は、手取川橋梁の橋台が老朽化により工事が必要だったらしかった。自転車道のために鉄橋を建て直したのか?
 20時、極楽湯金沢野々市店。安定の極楽湯クオリティ。風呂上がりにブログを打った。
 2310、道の駅しらやまさん。静かそう。雨さえ降らなければ。