びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/21(日)「旅行11」

 起床は5時半。初めてのPAでの車中泊。かなり寝れた。意外と疲れてたのか、それともあまり眠れなかったのか?朝食で昨日買ったあんパンを食べて、550出発。
 今日は旅行最終日。千葉まで帰らねばならなかったが、スケベ心が疼き、磐越道に入った。会津若松に入ると目の前が急に開けた。福島の中心は会津若松だ。815、会津若松IC下車。会津若松は私のお気に入りの街だった。
 825、給油。オカモト。美幌で見た神ガソリンスタンド!美幌以外でもちらほら見かけていた。全国に130店もあるらしい。他と比べたら安いような気がする。見つけたら積極的に利用しよう。
 喜多方へ移動。喜多方ラーメンは朝に食べるもの。喜多方の街に入ると、幸楽苑が目に飛び込んできた。何かの冗談かと思った。喜多方ラーメンと間違えた人はかわいそう。
 845、坂内食堂。喜多方ラーメン発祥の店。駐車場には入れられたけど、朝早くから少し行列してた。しかし、ここの行列は動くのも早いことも知っていた。今回で4回目くらい。大盛肉そばを食べた。味はいつもあっさりしすぎてて薄い。なぜ行列するのかわからない。でも、行ったら並んじゃうんだよな。935出発。
 喜多方からは日中線が分岐して、北方の熱塩までを結んでいた。以前に自転車で熱塩まで行ったことがあった。その際には途中で路盤を見失った。今回はそのリベンジをしたかった。
 喜多方から村松駅を越えたところまでは遊歩道として整備されていたので、今回はパス。川を渡ったところから路盤を見失っていた。調べると、路盤は道路になっていた。廃線跡探索で一番困るのは拡幅されて道路になることである。
 945、上三宮駅。道路の横に駅名標があった。前回はなかったから再現だろう。空き地もなくて、駅があったとは信じがたかった。会津加納駅も同じだった。
 10時、熱塩駅。日中線記念館。まさかの結婚式の写真撮影をしていた。よく日本庭園で見かけるが、廃駅とは。同業者か?廃止時に廃屋になってた駅舎はきれいに整備されていた。展示されてた資料はなかなか充実していた。1040、出発。
 1045、道の駅喜多の郷。トイレ休憩。
 道端に會津大佛の看板があった。寺巡りをするつもりはなかったが、寄り道することにした。11時、願成寺。受付のお姉さんがとても仏像に関する知識があり、話していて楽しかった。ここにはいろいろな仏像があるようだったが、公開は大仏だけ。脇侍が正座してるのが面白かった。ガラス張りになってたのがポイント低い。1150、出発。
 1215、勝常寺。国宝の仏像があった。薬師堂は修復中で、収蔵庫は鍵がかかっていた。「拝観の人は呼び出してください」との貼り紙があったので、寺の隣にあった家まで行った。呼び出すと、若い住職さんが出てきて、収蔵庫に入れてくれた。
 国宝の薬師如来坐像は、一目見てただ者ではないと思った。衣紋が深くて、こんなに深いのは初めて見た。清凉寺式と似てるような気がした。平安初期の作と言われていた。東北にも平安仏があったのか。脇侍は日光月光菩薩立像で、これもどこか外のとは雰囲気の異なるものだった。他にも見事な十一面観音立像があった。これらすべて独特の特徴があるように思えた。会津独自の仏教文化があったのかもしれない。いいものを見た。13時、出発。
 13時半、慧日寺。勝常寺の住職さんに教えてもらった。会津の中心の寺とのこと。ただし寺の跡であり、再現された山門、本堂があった。慧日寺は、徳一(とくいつ)上人が開いた。この人のことは知らなかったが、元は比叡山にいて最澄と論争を繰り広げたことで有名らしかった。空海も徳一菩薩と呼んでたらしい?
 磐梯山慧日寺資料館。慧日寺関連の資料は、周りに寺が少なかったせいかあまり残ってないようだった。東北では最古の寺とのこと。会津周辺には他にも古い寺がありそうなので、再訪したいと思った。1515、出発。
 磐越道会津若松ICから東北道。1635、黒磯PAで渋滞に備えてお茶を買った。久喜の辺りで15km90分の渋滞とのことで、渋滞を避けるために、1720、鹿沼ICで下車。
 宇都宮市内を走るのは20年ぶりくらいだった。宇都宮と言えば餃子。餃子と言えば正嗣。
 1755、正嗣岩曽店。目の前のスーパーサンユーに車を停めた。テイクアウトのみとなっていた。それでもいつもの4人前を頼んだ。スーパーに申し訳ないので、パンとジャムを買った。4人前ができて、箸とたれを入れる皿がないことに気づいた。スーパーで再び買い物。1815、出発。
 久しぶりに走る宇都宮の街はゴミゴミしてた。こんなに狭いところを走ってたのか。特に前に住んでいたアパートの近くは、本当に狭かった。いろんなとこを走って運転に自信が出てきたけど、元々宇都宮は狭かったことに今更ながらに気づいた。
 国道123号線を東に行くと、緑地の表示が見えたのでそちらに行ったら、鬼怒川を渡る古い鉄橋になった。昭和の武骨な鉄橋だった。隣には新しい橋もありいずれ取り壊されるかもしれない。
 1855、鬼怒川の堤防に車を停めて、ボンネットの上に餃子とたれを入れた皿を置いて食べた。夜の帳の中、鉄橋がぼんやり光っていて、幻想的な景色だった。旅の終わりにふさわしいシーンだったかもしれない。持ち帰りの餃子はべちゃべちゃで、まったく記憶の味とは違っていた。茨木のたこ焼きもそうだったけど、持ち帰りはダメだな。4人前にしたことを後悔した。半分食べて止めた。1905、出発。
 国道4号線のバイパスをひたすら南下した。ここは昔から信号が少なく、高速のようだった。さすがに車が多かったが、流れてはいた。1925、念のため給油。
 春日部で国道16号線に入った。わかっていたことではあったが、流れが悪くなった。野田、柏、八千代となかなか千葉が遠かった。
 22時、帰宅。車内に溜まったレジ袋に入れたゴミや荷物を外に降ろした。車庫入れがうまくいかなかった。疲れていた。部屋に帰り、洗濯、ゴミ捨て、荷物の片付けなどをした。疲れてたから、すぐに寝た。