びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/06/28(水)休「輪島」

 輪島朝市駐車場。夜中は3時半にトイレで目が覚めた。車内はとても蒸し暑かったが、外に出ると涼しかった。窓を開けて網戸を使いたかったが、断続的に強い雨が降るので、それもできなかった。
 それよりも耳元で虫の羽音がするのがうっとうしかった。なんであいつらはわざわざ耳元で飛ぶんだろう?気づかれたら叩き潰されるかもしれないのに?それとも耳付近の血がおいしいのだろうか?今後、ベープマットがいるかもしれない。
 起床は6時半。朝方はちょっと冷えてちょうどよい暑さとなった。雨は相変わらず降ったり止んだりだった。朝食のパンを食べていると、黄色い合羽を着たおじいさんが近づいてきた。駐車場の管理人だと思われた。「朝市休み」と言われたので「知ってます」と答えた。千葉ナンバーを見て、親切にも教えてくれたんだろう。昨日のブログを修正して、835に出発。
 840、輪島塗会館。昨日に行きそびれていた。一階は漆器の販売。凄く高かった。外国人以外買わないんじゃないか?
 二階は漆器の作り方の説明と昔の作品の展示。入り口にビデオがあって、とてもわかりやすかった。作り方の展示は昨日の輪島漆芸美術館の方が詳しかったのでパス。とにかく100以上の工程を分業しているのがポイント。昔の作品の展示は、日用品ばかりで装飾的ではなかった。よくあちこちの博物館で見かける徳川家のお宝とはかけ離れていた。徳川家のものは輪島とは関係ないのかもしれない。
 935、輪島朝市駐車場。昨日、ゆべしもちを1個買ったが、せっかくなのでもう1個買うことにした。今回の旅行代金は前金でもらっているので、職場の人に還元してもいいかと。
 朝市通りの柚餅子総本家中浦屋本店輪島わいち本店。どうやら輪島で一番有名な店のようだった。丸柚餅子(中)は2200円。昨日の店より高かった(驚)。でも、買ったw。職場へのお土産用に24個入りの小さい柚餅子「玉柚餅子」も買った。見た目は完全にきびだんごだった。それから、昨日食べられなかった「えがら饅頭」を1個買った。冷凍してあるが、自然解凍すれば食べられるとのこと。夕食にしよう。
 駐車場に戻ると、たくさん車が停まっていた。どれも石川ナンバーだった。お店の人かな?その中に尾張小牧ナンバーの車を見つけた。老夫婦が降りていった。朝市はやってないのに。5分経たないうちに、2人は帰って来た。そのまますぐに車で去っていった。10時、出発。
 總持寺を目指して、海沿いを南下することにした。昨日の鴨ヶ浦を通って先に進むと、「通行止め」の看板が現れた。今回の旅では5/5に起きた地震の影響でちょこちょこ工事があった。無理して後で引き返すことになってもつまらないので、陸側の国道を通った。
 1040、総持寺の禅の里広場。車を停めて、参道を歩くことにした。参道は道幅が広くて、比較的新しかった。
 私が能登總持寺があることを知ったのは最近の「ブラタモリ」だった。総持寺という名前は地元の近くに総持寺駅があり耳馴染みがあったし、曹洞宗の本山が鶴見にあることも知っていた。でも、なぜ永平寺で有名な曹洞宗が鶴見に本山があるのか不思議に思っていた。
 1045、禅の里交流館。有料の資料室があった。資料室と総持寺の拝観料がセットで700円。「てらぱす」というスタンプ台紙をもらった。それと特典で小さなお守り。お守りってもらうと嬉しいよね。
 資料室ではスタッフのお姉さんが總持寺の説明をしてくれた。私が持ってるさまざまな疑問を私が質問するまでもなく、あまりにもわかりやすく説明してくれて、しかも見所まで教えてくれた。楽しくてずっとこのまま聞きたいくらいだった。途中の話では感動して目に涙が浮かんだくらい。この人は観音様ではないかと思った。
 それにしても、京都奈良の有名寺院は總持寺より拝観料が高いくせに、私はこのような寺全般に関する説明を聞いたことがなかった。パンフレットに書かれた内容がすべてだった。たまに説明してもらえることもあるが、大抵おじいさんがもごもご何を言ってるかわからなかったり、お姉さんがセリフ口調で一方的でまくしたてるものだった。またはテープ方式。相手を見ずに一方的に話したいことを話して、一体相手に何を伝えたいのだろうか?寺に足りないのは圧倒的に対話ではないだろうか?
 12時、能登手仕事屋。氷見の「みきさん」で参道のそば屋がおいしいと聞いていた。そば御膳大盛。汁に大根おろしとネギを入れた。そばはあまり風味はわからなかったけど、大根おろしが少し辛くてなんぼでもいけた。
 私はそばを食べるといつも、手打ちそば体験の時よりもおいしくないと思ってしまう。本当のそばは溢れんばかりの風味があって、めちゃくちゃうまいのに。お店のそばでそれを感じたことがないんだよなあ。あれは素晴らしい体験だったけど、知ってしまってからは他のそばが物足りなくなってしまった。
 1245、總持寺。資料室のお姉さんの説明によれば、總持寺はかつて永平寺と並ぶ曹洞宗の本山であった。今でこそ凄く不便な場所にあるが、かつては船を利用すると便がよかった。しかし、明治の廃藩置県で藩主であった前田家からの援助がなくなり、さらに船運から鉄道へのシフトにより廃れていった。追い討ちをかけるように明治31年にはほとんどの建物が火災で消失してしまった。再建するにあたり、交通の便がいい鶴見に移転することになった。その時、地元では大反対運動が起きたが、移転の条件として、焼けた總持寺も再建するということで決着した。そして、今は祖院と呼ばれている。
 總持寺には、山門、仏堂、法堂があり、消失しなかった建物としては経蔵などがあった。ほとんどが明治の再建ではあったが、お姉さんの説明のおかげでとても楽しく拝観できた。楽しかったなあ。
 門前の店に「氷」と書かれた小旗がはためいていた。かき氷を食べようと入ったら、店のおばさんが「食事なら今日は終わったよ」と言った。だったら閉めればいいのに。
 1310、輪島市門前交流センター。門前に市役所の支所があり、その2階で「大總持寺展」をやっていた。市役所にしてはたくさんの展示があったが、内容は資料室と被っていた。
 近くの黒島集落に移動した。ここは海に面していて、總持寺に行く人は黒島で下船していた。黒島は天領であり、今は重要伝統的建造物群保存地区であった。外壁に板材を打ち付けた家ばかりだった。
 1405、旧角海家住宅。黒島を代表する建物だった。見た目は鰊番屋のようだった。中には係のおじいさんがいた。日焼けして真っ黒だった。あんまりやる気がなさそうだし、何を言ってるのか聞き取りにくかった。建物の中も鰊番屋みたいだった。でも、鰊を取ってたのではなく、廻船問屋だった。
 14時半、黒島天領北前船資料館。おじいさんが鍵を開けてくれるシステム。資料館に歩く途中で土砂降りの雨となった。傘を持ってきてなくて、濡れるがままだった。ここは北前船資料館となっているが、お祭りの曳山置場でもあった。おじいさんがいろいろ説明してくれた。黒島は明治に入ってから北前船の衰退により、集落も衰退した。集落の人たちはそのまま船員になったとのこと。おじいさんも昔は船員だったらしい。早く終わらせたいようなおじいさんを付き合わせるわけにもいかないので展示を見ずに撤収した。
 海沿いを南下した。1510、トトロ岩。何かに似てる岩シリーズ。海から突き出した大きな岩の上部が二股になっていて、苔むして緑色になっていた。目が付いていて笑った。ゴジラ岩より手が込んでいた。
 トトロの写真を撮ろうとしたら、ちょうど工事をやっていてクレーンと被った。すると、クレーンが白いシートで覆われた大きな塊を吊り上げた。それがトトロと重なった時に、まるでトトロのお腹のように見えた。奇跡的に面白い写真が撮れた。ピンチをチャンスにってか?
 さらに南下。1525、琴が浜海水浴場。鳴き砂でできていて、歩くと音がするらしかったが、雨で濡れていたせいか音は聞こえなかった。また波の音がうるさすぎた。
 さらに南下。関の鼻。松本清張ゼロの焦点」のロケ地らしかったが、コインパーキングになっていた。もうこういうのにお金を払う気はなかった。スルー。
 1550、能登金剛ヤセの断崖。関の鼻から後述する旧福浦灯台にかけては、地形が険しくて朝鮮半島金剛山に因んで、能登金剛と呼ばれていた。その名前は今の人にはわからないから止めた方が?ヤセの断崖は思ったよりもパッとしない断崖だった。
 1605、義経の舟隠し。崖の間にある細長い入り江だった。こちらの方がよっぽど断崖だった。落ちたら確実に死にそうだったけど、柵はなかった。壱岐の猿岩を思い出した。
 ひたすら南下した。オロロン街道からの景色に似ていた。
 1640、世界一長いベンチ。木製で460.9m。1987年に作られた。ベンチは海岸沿いの砂浜に沿って作られていた。ベンチよりも景色がとてもよかった。ベンチの長さは世界一かもしれないが、座ってる人は誰もいなかった。
 巌門。国道から下り坂を降りていくと、遊覧船乗り場と土産物屋が出てきた。どこも閉まっていた。なんか不気味だったのでスルーした。近くの高台から海蝕洞が見えた。多分あれだろう。
 1725、旧福浦灯台。日本最古の木造灯台灯台は白い板を打ち付けてあり背は低くて時計台のようだった。静かな漁村に佇んでいて、とても風情があった。
 南下して羽咋市に入った。1805、長手島。岬の先が島になっていた。隣は砂浜になっていてたくさんのサーファーが波乗りをしていた。場違いなのでさっさと撤収した。
 まだ明るかったので、千里浜なぎさドライブウェイに行こうとした。ここは砂浜を車で走ることができ、昔から気になっている場所だった。すると交差した高速道路の電光表示に「千里浜なぎさドライブウェイは通行できません」となっていた。
 1825、千里浜なぎさドライブウェイ千里浜北口。当たり前だけど、通行止めだった。調べてみると、波の高い日は通行止めになるようだった。昨年は100日も通行止めだったらしい。これでは明日も難しいかもなあ。
 千里浜ではどこまでも砂浜が続いていた。波しぶきで遠くは霞んでいた。圧巻の景色だった。ここを走ったら気持ちいいだろうな。
 1850、道の駅のと千里浜。トイレ休憩。
 1910、羽咋駅擬音の石彫オブジェ。漫画の擬音のような石像があった。アイディア勝ち。
 里湯ちりはま。なぜか休みだった。
 1950、宝湯。地元の銭湯だった。
 2050、コインランドリーザブーン羽咋。洗いと乾燥で1100円。待ち時間に今朝輪島で買った「えがら饅頭」を食べた。こし餡が入っていたが、皮の味がしなかった。冷凍だったからかなあ?洗濯は50分で終了。
 2215、道の駅のと千里浜。今日はブログを書くのがしんどかった。そろそろ疲れが溜まってきたかも。一日くらい何にも考えずにゆっくり休みたいなあ。