びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/06/25(日)「氷見」

 道の駅氷見。寝袋に入ってなかったので、2時半くらいに寒くて目が覚めた。トイレ後二度寝。4時半くらいに、隣の車のクラクションが止まらなくなった。車中泊ではこういうリスクがある。外は明るくなり始めていた。三度寝して完全に起きたのは540だった。朝食後、昨日のブログを修正。705、出発。
 氷見で行きたいところがあったが、10時からだった。3時間も潰さなければならなかった。まずは氷見の町を探索することにした。氷見は藤子不二雄Aの生まれた町だった。商店街のあちこちにまんがのキャラクター像があった。
 商店街の中の交差点で、建物の壁一面に、プロゴルファー猿に出てくるグリーンのコマが描かれていた。そこにはゴルフボールの弾道が描かれていて、弾道の出所にはーその建物の前にはードライバーを振り切ったプロゴルファー猿の像があった。これは今まで見たことのない斬新な表現方法だった。これで一気に心を奪われてしまった。
 710、まちなかめぐり無料駐車場から隣の光禅寺。藤子不二雄Aの実家。ハットリくん、怪物くん、プロゴルファー猿、喪黒福造が横並びになった石像があった。墓石の素材で作られていてピッカピカだった。
 そこから氷見駅まで商店街を歩きながら、像の写真を撮りまくった。喪黒福造が座るベンチなどがあった。楽しい時間だった。
 8時、氷見駅氷見線の終点。2010年以来。その時の印象はなかった。すぐに折り返したのかもしれない。駅舎は中くらいの規模だった。商店街もそうだが、氷見はそこそこ大きな町だった。
 835、駐車場に戻った。1時間以上のウォーキングとなった。朝から健康的だった。まだ10時までは時間があったので、高岡の伏木に戻ることにした。
 9時、勝興寺。ここの寺のことは知らなかった。今とは場所が違うが、加賀の一向一揆の拠点になった寺だった。また前田家十一代当主が当主になる前に出家して勤めていた。本堂、式台、大広間は最近国宝に指定された。江戸時代後期でも指定されるんだな。おかげで来れたのだが。
 ここも大きな寺だった。本堂には何本も大きな柱を使っていた。詳しくはわからないけど、西本願寺と関係があるため、そういう作りのように思えた。中では、朝のお勤めで読経が行われていた。国宝というよりも現役のお寺だった。
 本堂の隣の建物は、式台と大広間になっていた。式台とはよくわからないが、畳の部屋だった。調度類が新調されていて、歴史はまったく感じなかった。大広間は式台よりも広い畳の部屋だった。これまた新しかった。偉い人を案内する部屋とのこと。昔は寺の格式により建物の構造が決まっていた。どうやら西本願寺系の建物では重要なようだった。それで国宝なのかな?
 950、高岡市万葉歴史館。高岡には万葉線が走っているが、なぜ高岡に万葉が関係あるのかというのは、ずっと不思議だった。この名前がなければ、ここに注目することもなかっただろう。万葉線はとはネーミングライツを先取りしたような名前だなあ。宣伝にはなるけど、どこかわからないw。
 万葉集には当時の都である奈良のイメージがあるが、防人の歌があるように全国の歌が掲載されていた。万葉集の編者である大伴家持は、4年間越中に赴任していた。そのため越中時代に詠んだ歌が万葉集に多く掲載されているとのこと。
 万葉集の歌をいくつも見てると、景色や文化は今とは大きく異なってるけども、いつの時代も人の心の機微というのはあまり変わらないんだなと思った。いや、もしかすると、もっと真剣に毎日を暮らしていたのかもしれない。だから、恥ずかしいくらいに情熱的な恋愛歌があったりするのだろう。
 NHKの朝ドラの影響で、牧野富太郎万葉集に関しての特別展示があった。牧野富太郎万葉集に出てきた草花の入った歌を集めてたらしかった。短歌の世界では自然科学の知識が必要だなあ。
 伏木にも重要伝統的建造物群保存地区があった。吉久集落の中を車で走ったけど、車を停める場所がなくて諦めた。
 11時半、氣多神社。越中一宮。羽咋にある氣多大社から分社されたようだ。ここからは伏木の町が見渡せた。青い空に青い海。夏の日差しでとても気持ちのいい景色だった。。
 1210、二上山に車で上った。二上山は奈良が有名だが、大伴家持のせいか高岡にも同じ名前の山があった。元の意味は2つの頂上がある山である。山頂付近の駐車場には、大伴家持像があった。有名なのかな?200m山道を上がると、12時半、二上山山頂。小さな石の灯籠があった。別に見晴らしがいいわけでもなかった。ここに大伴家持が上ったかどうかもわからなかった。
 昼食のため伏木から氷見に再び移動した。
 1250、氷見うどん海津屋。氷見うどんで一番有名な店。昨日の「みきさん」でも食べていた。さすがに20人くらい並んでいた。
 1320、天ぷらざるうどん大盛。昨日書き忘れたが、氷見うどんは普通のうどんよりは細くて、まるでひやむぎみたいだった。ここの汁にはとろろは入ってなかった。ツルツルと飲むように食べた。天ぷら盛り合わせには大きな海老が2匹も入っていた。おいしかったけど、「みきさん」の方が楽しめたなあ。
 1350、再びまちなかめぐり駐車場に車を停めて、藤子不二雄Aまんがワールド氷見市潮風ギャラリー藤子不二雄Aアートコレクション。氷見で行きたかった場所だった。
 昨日の藤子・F・不二雄がひたすら子供向けだったのに対して、藤子不二雄Aは子供向けからブラックユーモアまで、幅広いジャンルを扱っていた。藤子・F・不二雄藤子不二雄Aもお互いによきライバル関係だったのかもしれない。
 1450、出発。ようやく七尾に向かって先に進んだ。国道160号線からの景色は素晴らしかった。海は深い青色で、空は澄み渡る水色だった。いい景色にいい天気。まさに絶好のドライブ日和だった。
 途中で国道を外れて海沿いに進んだ。小さな漁港を過ぎて、どん詰まりへ。1550、観音崎灯台。小さな灯台だった。ここからは七尾湾が見渡せた。前方には能登島があった。美しい景色だった。
 七尾市内に入り、1615、給油。174円/L。高岡と比べると10円以上高かった。
 1645、七尾城跡。山城。尾根に沿って曲輪が張り巡らされていた。7つの尾根があったから七尾という町の名前になった。本丸跡からの見晴らしは最高だった。七尾湾がパノラマで見渡せた。上杉謙信も絶賛したとか。これは一生の思い出となりそう。
 七尾市内に戻った。会社のおばさんが教えてくれた寿司屋に行った。ネットのコメント欄も見たことがないくらい絶賛されていた。今日はただこの店に行くためだけに存在していると言っても過言ではなかった。舌は完全に寿司モードになっていた。
 1720、幸寿し。張り紙があった。「本日は予約で満員です」。がっかり感は半端なかった。一生のトラウマになりそうだった。
 失意の中、和倉温泉に向かった。和倉温泉には大きなホテルがたくさんあった。そんなに有名なのか?
 1740、ゆったりパーク。ここからは海が見渡せた。ここでふと七尾に戻って、別の寿司屋に行くことを思いついた。トラウマになるくらいなら、上書きしてしまえ!調べると、他にも評価の高い寿司屋はたくさんあった。七尾は寿司の町だったのか?
 18時、繁寿司。町の外れ。中は団体の客がたくさんいて騒いでいた。大将は「今日はシャリが終わって」と言った。そんなことあるか?引戸を閉めたら中からカウンターの客と大将の笑い声が聞こえた。とても感じが悪い店だった。
 1815、能登寿司。ここもまた町の外れだった。満員かと思ったら、カウンターに強面の兄さんが一人いただけだった。しまった、ミスった、と思った。強面の兄さんは、話しかけられたら優しい感じだった。大将はオール阪神春風亭小朝を精悍にした感じだった。黒板におすすめはあるけど、寿司の値段がなかった。大将に話しかけられておまかせにした。
 15巻はどれも小ぶりだった。アジ、タイ、アオリイカ、コハダ、甘エビ、サーモン、タコ、ウナギ、穴子、赤身、中トロ、バイ貝、アカニシ貝、ウニ、イクラ。あとはだし巻き玉子と岩海苔の味噌汁。この中で知らないのはアカニシ貝だった。アカニシ貝は能登の名産で昨日の「みきさん」のおじさんによれば、天皇陛下がおかわりをしたという伝説の貝だった。コリコリしていたけど、バイ貝とあまり変わらないような?
 基本的においしかった。ただし、驚くほどでもなく。私の舌が海鮮に対してバカになっているためかも。お通し、烏龍茶を付けて、4100円。多分おまかせは3500円かと。トラウマの上書きには失敗したorz。
 再び和倉温泉に戻った。1915、和倉温泉総湯。施設は立派できれいな割に安かった。衣服を脱いで入浴前にトイレに行こうとしたら、誰かが入っていた。中からはずっと水が流れる音がチョロチョロ聞こえていた。何?なかなか出てこなかった。もうスッポンポンだから待つしかなかった。そのうち見知らぬおじさんが浴場から上がってきて、「この時間にずっと入ってる奴がいるんだよな」と言われた。なんかヤバい奴がいるのか?そしたら、水を流す音がして、若い男が手をパタパタさせながら出てきた。基地外だった。
 浴場の洗い場にも基地外はいた。座椅子があるのに座らずに蹲踞の姿勢だった。怖かった。ここの泉質には温泉感は皆無だった。浴場を出るときも基地外はまだ洗い場で何かをしていた。
 畳の休憩室でブログをうった。近くの道の駅を探すと、明日行く予定の能登島の中にあった。21時前に撤収。
 2115、道の駅のとじま。まさかの真っ暗で車が停まってなかった。施設の電気は消えていた。自販機はあったが、トイレが見当たらなかった。辺りはあまりにも静かで、自分の鼻息以外はしんしんとしていた。夜空にはたくさんの星が見えた。こんなに星が見えたのは久しぶりだった。
 ネットで調べると、隣にも駐車場があるようだった。そちらに行くと、暗いトイレがあった。駐車場の奥には光の消えた車が停まっていた。トイレに行って見ると、最低限だけ電気がついていて、スイッチはわからなかった。
 暗闇の中でブログを打った。寝る時は静かな環境を望んでいたが、ここまで静かだと不気味だった。世界には誰もいないような気がした。防犯上でもよくないと思えた。無事に朝を迎えられるだろうか?
 今日はちょっとしか前に進めなかったけども、確実に謎を解いていった。寿司屋は残念だったが、それもまた旅である。海鮮はもういいかな、なんてね。