布団が変わるとよく眠れないのはいつものこと。毛布が暑くて蹴っ飛ばしていた。もう一日が終わったのか?あっという間に思えて悲しくなった。このままでは仕事して寝てるだけで人生が終わってしまう。
隣の人の目覚ましが鳴った。あれは起床ラッパだと思う。鳴ってはしばらく止んでを3回くらい繰り返した。朝食までには時間があったが、布団の中も飽きてきたので、6時半に起きた。空気が乾燥していて、喉が痛かった。鼻水も出ていた。
7時半に朝食。メニューは前と同じ。隣のテーブルに若い夫婦と女の子が2人。女の子がとてもかわいかった。
805出発。車を高松塚古墳のところの国営公園の駐車場に停めた。公園の中を通り抜けると、丘の間に田んぼが広がっていた。丘の中腹に上がると、のんびりした景色が広がっていた。日本の里山という感じがした。
825、鬼のせっちん。明日香の奇岩の一つ。鬼の爼(まないた)とセット。説明書きによると、古墳の石棺の蓋が落ちたものとのこと。一方の鬼の爼は石棺の底。石棺の蓋はとても大きく、どうやって落ちたのか不思議だった。
840、天武持統天皇陵。入り口に鳥居があった。宮内庁が管理。ここがお墓と言われてもピンと来なかった。
855、欽明天皇陵。地図で見ると立派な前方後円墳。水を湛えた堀があった。鳥居があるのは天武持統天皇陵と同じ。
9時、吉備姫王墓。柵の中に猿石と言われる奇岩が4つあった。江戸時代に出土したとのこと。詳細不明。
925、車で甘樫丘の駐車場に移動。945、甘樫丘展望台。橿原方面が一望できた。平地の中に天香久山、耳成山、畝傍山が独立していた。古代人もこの景色を見ていたんだと思うと、感慨深かった。
1015、豊浦宮(とゆらぐう)跡。推古天皇が最初に宮を構えた場所。今は向源寺が建っていた。初めて百済から釈迦仏が伝わった時に、蘇我稲目が寺を作った。釈迦仏は物部氏によって難波の堀江に捨てられた。寺も焼かれた。日本最古の寺を主張していた。
10時半、石神遺跡。飛鳥寺の横からは須弥山石が発掘されていた。石像からは水がぴゅーっと吹き出すようになっていて、ここには迎賓館的な施設があったと推測されていた。隣の飛鳥水落遺跡には、日本書紀に記載のある水時計があったと考えられている。
1040、明日香村埋蔵文化財展示室。猿石のレプリカなどがあった。手作り感があり温かみのある施設だった。
11時半、蘇我入鹿首塚。飛鳥寺の横にある五輪塔。別になんてこともなかった。
しばらく田んぼの中の小道を歩いた。田舎ののんびりした景色だった。
車で、12時、万葉文化館。レストランCURRYON。前に食べたプレミアム明日香野菜カレーは、今回もうまかった。
13時からはまた展示物を見て回った。前回、あんまり万葉集の展示がなかったと思ったが、実はたくさんあった。ただ万葉集の歌を紹介しててもほとんど解説がなくて、意味がわからなかった。
ミュージアムショップで万葉集の入門書を買った。少し勉強しなければ。
15時から図書コーナー。ここ入り浸りそうだな。里中満智子の古事記の漫画を見つけて読んだ。面白かったが、とにかく登場人物の名前が頭に入ってこない。なんであんなにややこしい名前をつけてるのだろう?
前回、色々説明してくれたボランティアのおじさんは今日はいないようだった。明日かな?
17時、宿に戻った。おばさんとたくさんしゃべった。「明日香は緑がきれい。だからうちも若葉って名前にした」。これはまた来ないとなあ。
今日はネタ切れするかもと思っていたが、全然そんなことなかった。明日香には見所が多い。しかも、どれも歩いて行ける。景色もすごくいい。何より観光客が少ない。静かで落ち着く。