びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/06/24(土)「高岡」

 佐久平PA。起床は510。トイレで目が覚めた。ここんとこ5時間くらいでトイレに行きたくなるんだろなあ。標高が高いからか涼しくて快適に眠れた。朝食を買い忘れたので、朝食抜きで、535、出発。
 610、松代SAで給油。北陸道に入り、子不知親不知を越えて、810、流杉PAでトイレ休憩。8時半、富山IC下車。
 岩瀬浜に向かって北上した。富山地方鉄道の線路を2回渡り、あいの風とやま鉄道の高架を潜って、途中から元国鉄富山港線であり富山ライトレールから改名した富山地方鉄道富山港線と並走した。雰囲気のある小さな木造駅舎が出てきた。東岩瀬駅だった。そのまま進んで行くと、終点の岩瀬浜駅。ここには乗り鉄で2010/9/25に来たことがあった。とりあえずスルー。
 9時、岩瀬浜海水浴場。前々から終点の岩瀬浜が気になっていた。ただ砂浜が広いだけで、防波堤があって眺望はいまいち。5分で撤収した。
 910、岩瀬浜駅。駅前はロータリーになっていて、駅はバスの停留所のような構造。路面電車のためホームは低かった。
 920、東岩瀬駅。白く塗られた木造駅舎。入り口の横には昔の青色をバックとした国鉄フォントの駅名標が掲げられていた。中にも入れた。きれいに塗装し直されていた。木造駅舎は現役ではなくて、現役線には別のホームがあった。ホームは現役線よりも高くて、昔は路面電車ではなかったことを主張していた。
 940、北前廻船問屋森家。知らなかったのだが、東岩瀬は北前船の港だった。商人の屋敷で、入り口から裏口までまっすぐ土の廊下が伸びていた。裏は船着き場になっていたらしい。広間があったり、蔵があった。江差や増毛の鰊番屋を思い出した。
 950、旧馬場家住宅。森家の隣。ここも森家と同じ商家で規模は大きかった。
 新港大橋を目指した。この道は2009年にバスで通ったことがあった。バスの時はひたすら廃線跡を探していた。今回はバスとは逆走。そして、廃線跡を探した。すると道路と並行する廃線跡を見つけた。
 1035、富山地方鉄道射水打出駅跡近く。廃線跡はわかりやすくサイクリングロードとなっていた。全線にわたりめぼしい駅跡の遺構はなさそうなので、これにて探索終了とした。
 新港大橋を渡った。これは富山新港を開削した際に、道と鉄道(射水線)が分断されたために作られた。橋がない時は渡船で連絡していた。新港大橋はとても高くて大きかった。全長3.6kmあるそう。よくこんな大きな橋を作ったし、よく港を開削したなと。
 1055、海王丸パーク。新港大橋の袂にあった。海王丸は帆船の練習船の名前。マストが4本立っていた。船の中は何度か見たことがあるが、何度見てもワクワクするねえ。いろんな機能を限られたスペースに詰め込むためにたくさんの工夫がある。写真を撮りまくった。
 1205、新湊きっときと市場。湊寿し。富山丼大盛は3050円。白えび、カニイクラ、ちょっとだけウニ。朝食抜きでお腹ペコペコだったので、とてつもなくおいしかった。いきなりこの旅のクライマックスかも?
 1255、新湊内川。前にNHK鶴瓶の家族に乾杯」で見た。川の両側に漁船が並んでいて、陸と水面の距離が近く、波は穏やかだった。岸は歩道になっていて、道に面して漁師の家が並んでいた。太鼓橋が何本か架かっていて、そこから見る景色はありそうでない美しい景色だった。日本のベニスと言われているらしかった。ベニスのことは知らんけど、きっとそうなんだろ?丹後半島の伊根もそんな感じで呼ばれてたなあと思って調べてみると、ベネツィアだった。
 1315、万葉線越ノ潟駅。終点。かつて射水線だったが、富山新港の開削で高岡側の万葉線に組み込まれた。ビックリするほど海の近くにあった記憶があったが、まさに駅前が渡船乗り場だった。2010年には渡船に乗った。その時は新港大橋を下から眺めていた。今日はその逆となった。
 氷見に行くつもりだったが、見たいものを思い出して、高岡市内に向かった。市立御旅屋駐車場に駐車。
 1410、高岡大仏。思いがけず建物の上に鎮座。大仏自体の高さは10m。思ったより小さかった。そして思ったより歴史があった。江戸時代に木造で作られていて、2回消失。銅で鋳造したらしい。奈良、鎌倉に次いで日本3大仏と言うらしいが、初めて聞いたし、さすがに比べるのはちょっと?
 14時半、高岡市藤子・F・不二雄ふるさとギャラリー。藤子・F・不二雄とは藤子不二雄の藤本先生の方。高岡の出身だそう。前々から行ってみたかった。高岡市立美術館の2階にあった。おっさん一人で恥ずかしいことになりやしないかと思ったが、大人ばっかりだった。子供の頃は藤子不二雄にはまった。懐かしい作品が紹介されていて、無理矢理子供の頃を思い出さされた。「オバケのQ太郎」「ドラえもん」「パーマン」「21エモン」「ウメ星デンカ」「エスパー魔美」、特に「みきおとミキオ」は超懐かしかった。すっかり存在を忘れていたわ。因みに、我孫子先生の方の「怪物くん」「忍者ハットリくん」「プロゴルファー猿」は出てこなかった。こちらは氷見にいろいろあるようだった。
 1545、瑞龍寺。第二代前田利長の菩提を弔うために建立された。ここのことは全然知らなかったが、山門、仏殿、法堂が国宝だった。禅宗様式。地方にこんな大規模で美しい寺があるなんて。緑の芝生が印象的で、回廊が廻ってる寺は珍しかった。仏殿の屋根は肘木が2段になっていて見たことがなかった。地方には他にもこういう面白いところが潜んでるかもしれない。ビックリした。
 1635、山町筋重要伝統的建造物群保存地区。グレーの壁の蔵が並んでいた。高岡は歴史ある町なんだな。
 17時、金屋町重要伝統的建造物群保存地区。こっちは石畳と木造家屋の格子が印象的だった。
 雨晴海岸に向かった。2010年に氷見線雨晴駅で降りたことがあった。
 1735、雨晴松太枝浜。ここも岩瀬浜と同じで、防波堤があり、あまり見晴らしがよくなかった。
 1740、雨晴駅。一応駅の写真を撮った。
 1755、道の駅雨晴。ここには義経岩があった。天気がよければ富山市側の海の向こうに大迫力の立山連峰が見えるはずだった。あいにく曇っていて、山々はぼんやりしていて普通の景色だった。能登半島側の海岸線には砂浜が伸びていた。海面が夕日に照らされ白く反射していて美しかった。
 氷見に行って氷見うどんを狙った。有名店は午後で閉まってるようだった。なんとか一か所見つけた。
 1830、みきさん。お客さんはいなくて、おじさんがいた。ヤバそうな店に見えた。氷見相盛り(海津屋、高岡屋)。思いがけず、氷見うどんを食べ比べることができた。
 なぜか揚げてるなあと思ってたら、天ぷらがたくさんついてきた。汁にはとろろが入っていた。そういうものなのかな?薬味はネギとわさび。高岡屋は繊細で、海津屋はつるっとしていた。海津屋の方が少し太かった。おじさんによれば、高岡屋にはデンプンが入ってるらしかった。うどんはもちろんだが、天ぷらも絶品だった。
 おじさんがいろいろ能登半島の観光名所を教えてくれた。とても楽しかった。サービスのコーヒーまで出てきた。思い出に残る素晴らしいお店だった。また来たい!
 19時半、道の駅氷見に車を停めて、隣にある氷見温泉郷総湯に行った。茶色の湯で粘土みたいな臭いがした。こういうのは初めてかも?シャワーの出が特に悪かったw。湯船のお湯が熱かった。
 湯上がりにひたすらブログを打った。今日はがんばったからなあ。久しぶりに旅の楽しさを思い出したような気がする。最近、気分が晴れなかったのだが、そんなことはどうでもいいように思えた。調子が悪い時は日常から離れて視点を変えることが大切だなと。
 22時、道の駅氷見に戻った。一旦車で近くのローソンに朝食のパンを買いに行った。そしてまた道の駅氷見へ。ここは物凄く広くて車もまばらで静かだった。