びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/10/09(日)「長野」

 夜は寒かったが、寝袋を掛け布団代わりに使った。意外にエアマットが優秀で、底冷えを防いでいた。朝が近くなるといよいよ冷えてきて、頭から寝袋を被って、はみ出してた足なども寝袋で覆うようにした。6時半に起床。
 すぐに出発して、国道19号線を長野方面へ行ったところにあるセブンイレブンでサンドイッチとりんごジュースを買って食べた。髭を剃って、昨日のブログを修正して、740、出発。
 今日は善光寺を目指した。善光寺はこの旅の目的の一つだった。仏像に目覚めてから善光寺の存在が気になるようになっていた。善光寺参りという言葉があるくらい特別な地位を占めている。西国、坂東、秩父の百箇所を巡った後には善光寺がゴールとなっている。善光寺は宗派に属さないので、誰でも参拝できるとされている。
 善光寺には2007年の長野マラソンで訪れたことがあった。もしかすると、それ以前にも来てたかもしれない。長野マラソンの時は参拝はしたけど、拝観はしなかった。まだ仏像に目覚める前で、宗教にはまったく関心がなかった。また2009年にも来たことがあった。それは夜でまったく人気がなかった。長野マラソンのことを思い出したのを覚えている。
 車で走ってると石畳の参道が出て来た。何度も来てるのに記憶の中のイメージと違った。時間が経っていて忘れてしまったようだ。それともあまりにもたくさんの参道を見てきたせいか?8時、参道前にある大門町パーキング。
 参道を上がっていくと、参道の両側には店が並んでいた。朝早いにも関わらず結構人がいた。さすが有名な観光地だけある。仁王門が現れた。その後もしばらく参道は続いた。大きな山門が現れた。その先に国宝の本堂が見えた。
 850、本堂の内陣に入った。ご本尊は厨子の中だった。善光寺のご本尊は絶対秘仏だった。外国から伝わったらしく、日本で一番古いらしかった。なぜそれがわかるのかはわからなかった。本尊が絶対秘仏なので、前立本尊と言われるご本尊のコピーもあるが、これも普段は秘仏だった。前立本尊は重要文化財だけど、ご本尊は何の指定もなかった。絶対秘仏だから確認できないのだろう。そもそも本当に入っているのだろうか?
 内陣の参拝には、戒壇巡りも抱き合わせになっていた。戒壇巡りとは、須弥壇の下にある真っ暗な通路を、手探りで右手を壁に沿わせながら進むと、中に仏像があり、自然と縁が結べるようになっている。実際暗闇に入ってみると、前がまったく見えなかった。非日常の体験にワクワクした。途中で後ろの人の手がぶつかってきた。前の人の携帯か何かがわずかに光っていたのはご愛敬か。最後の方で壁とは異なるドアノブのような物があったが、仏像かどうかの確信までは得られなかった。それでもきっと大丈夫なようにできてると信じたい。
 910、山門に上がった。南禅寺の山門に上った時のことを思い出した。山門の中には比較的新しく見える仏像が置かれていた。また棚には四国八十八箇所の寺ごとに対応した小さな仏像が置かれていた。山門の上からは、参道がよく見渡せた。また反対側からは本堂が俯瞰できた。面白い構図だったが、転落防止のための金網が張ってあり、写真の出来はいまいちだった。
 925、経蔵。中には八角柱の輪蔵があり、輪蔵の中にはお経が納められていた。輪蔵からは棒がいくつか突き出ていて、棒を握って輪蔵を一周回すと、お経を読んだのと同じ効果が得られる仕組み。誰が考えたのか?これまでもいろんなとこで輪蔵を見かけていても無視してきた。こないだの高野山で初めて回そうとしたら、重くてほとんど回せなくて、恥ずかしかった。今日は他の人も一緒に回してたので楽に回った。実は軽いのではないかと思ったら、次の人が一人で回そうとして「重い」と言って回せなかった。
 935、善光寺史料館。平安仏があったが、色がついててきれいで、新しく見えた。江戸時代に奉納されてた絵馬には善光寺に纏わる奇跡系の話が多く残されていた。まるでキリストのようだった。そういう話はどこにでもあるのかもしれない。
 信州そばが食べたくて参道を探した。1020、「喜多平」。天ざるを注文。そばの香りは薄く、腰は強かった。汁も薄口で、全体的に淡白だった。蕎麦湯はただのお湯かと思うくらいとろみはなかった。運悪かったようだ。
 1050、駐車場に戻り出発。毛無峠を目指すことにした。毛無峠にはかつて硫黄鉱山があったが、今は無人地帯となっていた。ネットで見かけてからずっと気になっていた。
 1115、村山橋千曲川を渡る鉄橋で、長野電鉄と道路の併用で有名だった。別に狙ったわけでなく、偶然出くわした。今は建て替えられて、鉄道と道路の併用は残されたが、道端は広くなり面白くはなかった。すると、橋を渡りきったところに昔の橋を記念した公園があった。説明書きのレリーフと鉄橋に使われていた部材を用いたモニュメントが飾られていた。
 1140、北須坂のガソリンスタンド。目の前には高い山々が見えた。あれを越えて行くのか?道はまっすぐ上って行って高山村というところに出て来た。温泉がたくさんあるようだった。高山村の先には分岐があり、万座の方へ行った。長野から万座に行けるのか?
 ここからは山の中をひたすら九十九折で上って行った。不安になりそうなか細い道をひたすら上がった。なぜだか対向車もそこそこいた。万座から来てるのか?
 1215、展望台。長野の町が一望できた。相当上がってきたことがわかった。
 さらに上がっていくと毛無峠への分岐が出てきた。行き止まりと書かれていたが、構わず曲がった。因みに、万座方面はさらに道が狭くなっていた。本当に通れるのか?
 ひたすら上がっていった。毛無峠の硫黄鉱山で取れた硫黄は須坂に運んだというが、こんなとんでもないところを運んだと言うのか?、
 霧がかかってきた。霧がかかったというより、こちらから霧の中に入っていった。雲の中だったかもしれない。フロントガラスに霧の水滴が付いた。サミットにまさかの茶屋があり、やってるのかどうかわからなかった。
 サミットを越えると下りに転じた。それと同時に風が一気に強くなり霧は横殴りの雨のようになった。全てが霧に包まれて何もかも有耶無耶にした。ホワイトアウトの一歩手前だった。
 看板が出て来て「この先悪路」と書かれていた。悪路ってわざわざ予告するくらいだから相当のもんだろう。恐怖を感じずにはいられなかった。道は舗装はあるもののガタガタでダート道同然だった。道は崖に取りついており、山側には崖崩れが起きたような痕跡がいくつもあった。谷側にはデリニエーターが立ってるのみで、下は奈落の底だった。
 視界がパッと開けて、地面が黄土色のはげ山となった。広場のようなところには車が停まってるのが見えた。さらに進むと巨大な水溜まりがあり、そこを越えると遂に先には進めなくなった。
 1235、毛無峠。車の中にいても風がビュービュー凄まじい音を立てていた。外に出ると、まるで台風の中にいるようだった。おまけに凄く寒かった。
 毛無峠には群馬県の県境を示す看板が地面に設置されていて、ネットで話題になった。本当はこの先にも道は続いていたが、車で入れるのはここまでだった。なぜこんななんにもない場所までいまだに長野県が管理してるのか不思議で仕方なかった。群馬県の手前止めることが出来ないのだろうか?この究極の行き止まりに観光客が数組見受けられたのは驚きだった。
 記念撮影の順番を待ってるだけで凍えそうだった。前の中年夫婦がわざわざ県境を示す看板の横に自分の車を並べて何度も写真を撮っていた。空気読めよと思った。
 私の番になり、看板を撮った。それだけでは面白くないので看板をバックに自撮りを試みたが、風と雨があまりに強くてなかなか撮れなかった。指が冷たくて痛いくらいだった。あまりに寒くて急いで車に戻った。車の中で写真を確認すると、画面の半分は苦悶の表情であり苦闘の跡がよく表現されていた。残り半分は何が被っていてうまく撮れてなかった。
 せっかくここまで来たのだからもう一度写真を撮り直すために、看板に向かった。今度は若者4人組がいた。「写真撮ってもらえませんか」と言われたので、撮ってあげた。私が自撮りしようとしてると、逆に写真を撮ってくれた。これはありがたかった。若者の誰かが「毛無峠7℃」と言った。体感は氷点下なのだが?
 一通り堪能したので、出発すると、山の中に鉄塔がいくつも並んでいるのが見えた。インクラインの跡だった。しまった!すっかり忘れてた。Uターンしようにもなかなか広い場所が出てこなかった。
 車が停まってるところに戻り、車を降りて写真を撮ろうとしたが、霧が濃くて山の方は何にも見えなかった。やっぱり帰ろうかと思うと、また途中から鉄塔が見えた。もう一度引き返して車を停めた。風雨の中、歩いて鉄塔が見えたところまで行って、ようやく写真を撮ることができた。
 1310、今度こそ本当に撤収。霧を抜けると天気は嘘のように回復していった。
 1350、高山村のセブンイレブン。高山村の分岐の片方は「山田牧場」に向かっていた。山田牧場とは中学校2年の時のスキー修学旅行で行ったところだった。当時、山田牧場の名前を聞いたことがなかった。一応産経新聞の積雪情報には名前が書かれていたが、その後も誰かからその名を聞くことはなかった。今回の旅行でまったく行くつもりはなかったが、見つけたからにはどんなところだったのか見に行ってみることにした。
 またもや道はどんどん上がっていった。おそらく毛無峠とは隣の沢筋になると思われた。道中は温泉だらけだった。もしかすると、私は遥か昔の中学校時代にこの道を通っている可能性があった。そう考えると胸が熱くなった。こんな狭いぐねぐね道を、しかも雪道で観光バスは上ったのか?。道は標高1400mを越えて、また霧になってきた。こんな山奥に牧場なんて本当にあるのか?
 14時半、山田牧場のスキー場。何軒かロッジ風の宿があった。山は山頂の方まで続く緑のゲレンデとリフトが2本見えた。規模的にはそんなに大きくは見えなかった。車から出るとまた寒かった。景色を見ても記憶はまったく蘇らなかった。
 山田牧場の先に進んで志賀高原を目指した。すると、草原に牛がいるのを発見。規模はよくわからないが、確かに牧場があることを確認した。なぜこんなとこで牧場?
 道は手を緩めることなく上り続けた。リフトの終点を通りすぎても上り続けた。眼下に先程までいた山田牧場のロッジ群が小さく見えた。
 1450、展望台。グーグルでは展望台となっていたが、車が停められるスペースがわずかにあるだけだった。眺望もそんなにはよくなかった。
 細い道を上り続けると、意外に大きな道と合流し、志賀高原の方に向かった。志賀高原はとても有名だが、何があるのかは知らなかった。別に興味もなかったので、車で通り過ぎた。いくつか池があるようで、茅野の白樺湖と似たようなものだった。
 湯田中の方に降りて行くと途中で地獄谷の看板が出た。そういえば、そんなのあったなあ。地獄谷まで1.8kmとなっていた。すぐにどん詰まりの駐車場となった。車から係のおじさんに「どれくらい歩きます?」と聞くと「15分くらい」と言われた。それだったら行ってみようか。おじさんは次の車に「25分」と言っていた。ん?
 15時半、スタート。空は曇っていて雨が降りそうだと思ったが、傘は荷物になるので持って行かなかった。ひたすら山道を歩いた。崖の反対側は見事な杉林となっていた。タカスギのCMが思い出された。途中から残念な雨が降ってきた。
 1605、地獄谷野猿公苑。川の回りは大きな岩がゴロゴロしていて、硫黄のせいか黄色くなっていた。川の対岸には木造の古びた温泉宿があった。河原からは温泉が結構な高さまで吹き出ていた。
 そこから階段を上った先に受付があった。川を渡る橋があり、そこには猿が当たり前のようにウロウロしていた。私は高校の時に箕面の猿に追っかけられてから猿が怖かった。幸いなことに地獄谷の猿は人に慣れていて襲ってはこなかった。
 橋を渡ると、テレビでよく見た湯船があった。何匹か湯船の縁にいたが、湯船に浸かっているのはいなかった。雨の中で待つのは辛かった。こんなに寒いのに入らないのか?鳥羽水族館でぐたっとしているラッコが思い出された。人間の都合なんて猿には関係なかった。おいおい、また入らなきゃいけないのかよという声が聞こえるようだった。もう見たから帰ろうかと思ったら、一匹の勇気ある小猿が湯船に飛び込んだ。お前分かってるなあ。それを合図に皆が撮影を始めた。最終的には3匹入って、泳いだり潜水まで披露した。芸達者だなあ。日光猿軍団を思い出した。
 16時半に撤収。1650、駐車場に帰って来た。すっかりびしょびしょだった。1705、出発。
 湯田中の方向に分岐を進むと、すぐにわくわくの湯というのがあった。早く温まりたいので入った。小さな温泉だった。係の人は誰もいなかった。洗い場は3人しか座れず、地元のおじいさんがいた。2日ぶりのシャワーは気持ちよかった。車中泊では温泉の価値が高い。浴槽はまさかの露天風呂。泉質は普通の感じ。臭いもなかった。一回だけ湯の花を見たが、もしかすると、湯垢?適当に入った割りには当たりだった。脱衣場の掲示を見るとみやま温泉と書かれていた。湯田中ではなかったのか。1750、出発。
 夕食で信州サーモンを食べたかった。調べると長野駅にありそうだった。長野駅までは20km以上あった。しかも、明日の出発はこの辺なのに。でも、食べなきゃ何のために来たのか。
 道の駅北信州やまのうちがあったので、もしかしたら信州サーモンがあるかもしれないと思い寄ってみた。しかし、開いてなかった。ここにはたくさんの車が停まっていた。
 1855、長野駅東口のコインパーキング。外からは長野駅のホームに新幹線が停まっているのが見えた。長野駅の自由通路から西口へ移動した。長野駅の改札を久々に見た。
 駅ビルの3階のレストラン街はどの店も混んでいた。目的の「長寿食堂」も長蛇の列となっていた。中に入るのに30分、出てくるまでに10分。信州サーモン重イクラのせは姨捨SAと違って瑞々しくておいしかった。麹醤油がまたいい感じだった。ご飯に麦が入っていたのが残念。麦の味と食感がサーモンの良さを打ち消しているように思えた。それでもとてもおいしかった。ここまで足を運んだ甲斐があった。
 2020、コインパーキングから出庫。20時半、セブンイレブン。近くの道の駅を調べると、今朝と同じところが一番近かった。今さら北信州やまのうちまで戻る気は起きなかった。
 21時、道の駅信州新町。2日連続で同じところとは。でも、静かなのでよしとしよう。雨が降り続く中で、一生懸命ブログを打った。
 今日は善光寺の後は行き当たりばったりだった。旅は調べてない方がワクワクする。現地に行ってみたら行きたいところが出てきたりする。それで自由に行きたいところに行ける。