びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/10/10(月)祝「戸隠」

 夜は雨が降っていて車の屋根を叩く音が一晩中断続的に聞こえていた。車中泊でないと味わえない体験だった。昨日同様に朝方は寒かった。そして、外が明るくなって目覚めた。615、起床。
 風情のある雨も起きた時にも降ってると、雨だから面白いと思うよりも、どこにも行きたくないという気分の方が強かった。
 車に乗ったままで寝床を片付けた。まるでゲームをやってるようで楽しかった。自動販売機で温かいコーヒーを買おうとしたら、モーニングショットがあった。何をもって朝専用なんか未だにわからないが、これが一番ふさわしいと思った。昨日買ったパンケーキを食べて、ブログを修正して、815、出発。
 今日は戸隠神社に行くつもりだった。一昨日までまったく頭に浮かんでなかった。戸隠という名前はどうやら天岩戸が飛んできて開山したらしい。これは由緒のある神社に違いない。掲載された写真にも心奪われた。いい写真が撮れそう。
 国道19号線を長野方面に向かい、戸隠へショートカットするためにナビは県道86号線を指定した。これが一車線の生活道路でひたすら九十九折で上って行った。前々から山の上の方にある集落ってどうなってるのだろうと思っていた。遠くに見える山にも山の上の方まで田んぼや集落があった。きっと向こうからこちらを見ると同じように見えただろう。
 やがて道は日の当たらない森の中に突入した。路面にはたくさんの落ち葉があり、アスファルトが見えないくらいだった。タイヤの跡がなく車が通った痕跡がなかった。大丈夫か、この道?頑張って進むとナビが「この先10km道なりです」と言った。10km?途中で崖が崩れてるかもしれないし、パンクするかもしれない。怖じ気づいて、引き返そうとUターンしようとしたら、道幅が狭くてどうにもならかった。そのまま前進しているうちに地元の車を追い抜いた。一応通れるのか?さらに対向車が来た。これで通れることが確定した。と思ったら、対向車は私を追い抜かした後でなぜか停まった。なんだ?不安になりつつも、そのままやり過ごした。
 道路は高度を上げ続けた。どこまで上がるのだろうか?道路にはたくさんの栗のいがが落ちていた。こんなにもたくさんの栗を見たのは初めてだった。栗でパンクすることはないが、栗に隠れて落石が怖かった。注意深く進んだ。
 やがて地蔵峠という看板のあるちょっと視界の開けた場所に出た。どこからかの道が合流していたが、使われてる様子はまったくなかった。淋しいサミットだった。
 峠を境に道路は下りに入った。栗が落ちているのは相変わらずだったが、少し恐怖が和らいだ。通り抜けれるのではないかと希望がわいてきた。
 遂に大きな木造の日本家屋が出てきた。おじいさんが何か作業していた。その傍らには薪が積まれていた。奥の方にも家があり、おじいさんがいた。車が通るのが珍しいのかこちらを見ていた。この家にも薪が積まれていた。
 そこからはまた山の中に入った。さっきの家屋はなんだったのか?炭焼き小屋か何かの作業小屋だったのだろうか?
 谷まで降りてくると川が流れていた。ようやく険道を突破した。戸隠の表示も出て来て、これでもうすぐ到着かなと思ったら、また上り始めた。長野ではこういうのが普通なのかもしれない。
 915、戸隠神社宝光社駐車場。宝光社が何か知らないが、とりあえず停めることにした。そこの看板によれば、戸隠神社には宝光社、火之御子社、中社、九頭竜社、奥社の五社が点在しており、五社巡りというのがあるらしかった。宝光社は一番低いところにあり、順番に段々と高くなっていった。五社のうち、特に宝光社、中社、奥社の三社が重要とされていた。
 宝光社はいきなり雰囲気満点だった。鳥居を潜ったところから天まで届くような心折れそうな石段が待っていた。初っぱなから足を消耗させられた。935、戸隠神社宝光社。木造の古い建物だが、江戸時代のものだった。
 そこから次の火之御子社に向けて神道(かんどう)と呼ばれる山道を歩いた。山道ではあるが、軽自動車が一台通れそうな幅がある砂利道だった。ずっと上っていてしんどかった。途中からは吐き気がしてきた。
 955、火之御子社。木造の建物のみで、訪れる人も少なくひっそりとしていた。
 車道を歩いて車まで戻った。ずっと下りだった。気がついたら行き過ぎていて、再び上る羽目になった。1025、宝光社駐車場に到着。
 車で移動して、1035、中社駐車場。駐車場の横には近道の西参道があったが、歩いて大鳥居へ。やはり正面から入りたかった。ここの階段はそんなでもなく優しかった。1045、中社。立派な木造の建物だった。建物はよくわからないので書けない。
 1055、中社駐車場に戻り、車で、1105、奥社駐車場。たくさんの車が停まっていた。奥社だけ参拝する人も多いのだろう。ここだけ有料。車でしかアクセスできないのにそれはないだろう。奥社には片道40分歩くので、先に昼食にした。「奥社の茶屋」。とろろざるそばを食べた。昨日のそばと違い、そばの風味がして、つゆもおいしかった。とろろを入れると余計旨さが引き立った。とろろ自体もおいしかったと思われた。蕎麦湯はとろみがあり、蕎麦湯単独でもおいしかった。この店、内装が素晴らしかった。壁がガラス張りになっていて、森の中にいるようだった。観光地の店なんて大抵ショボいのだが、ここはとてもよかった。
 1135、出発。奥社への参道は幅が広くてまっすぐ森を貫いていた。多くの人が傘の花を咲かせていた。黙々と砂利道を歩いた。
 立派な門が現れた。随神門というらしかった。少し普通の門とは形が変わっていてどこか中国風に思えた。屋根には雑草がボーボーだった。
 ここから杉並木が始まった。ここが戸隠神社最大の見所であり、印象的な写真が撮れる場所だった。杉は幹が太くて真っ直ぐに天を目指していた。江戸時代に植えられたらしかったが、こんなにも成長するものなのか?
 杉並木を過ぎると、石段が現れて心を折りに来た。この石段は正直きつかった。何度も休憩した。今のうちに来てよかった。きっと年をとってからでは難しかっただろう。建物が見えた時は本当に嬉しかった。
 1215、九頭竜社。九頭竜社は小さ目の建物で、その奥の一段高い所に奥社があった。奥社はまさかのコンクリートだった。九頭竜社の方が神社ぽかった。ここまで苦労して来たのに、このオチは残念だった。1235、出発。
 1315、奥社駐車場に戻った。休憩したかった。どこに行くか調べたりした。13時半、出発。
 上田に移動するつもりで、上信越道信濃IC。走ってると上田に行っても時間的に中途半端に思えた。それに雨で濡れていたので温泉に行きたかった。1420、小布施PA。そのままPAにあるスマートインターを降りた。
 1450、おぶせ温泉あけびの湯。浴室に入ると強い硫化水素臭がした。温泉ぽいけど、硫化水素の卵の腐った臭いはノーサンキューだった。湯には白い粉がたくさん漂っていた。湯の花だった。あんまりきれいには見えなかった。ただ浴室からの景色は抜群で、北信五岳が大パノラマで見渡せた。1550、出発。
 渋滞を避けるために少しだけ小布施を観光することにした。MBのKさんが小布施がいいと言ってたのが、ずっと気になっていた。16時、東町駐車場。たくさんの老舗和菓子屋があり栗のいい匂いがしていた。
 16時、北斎館。葛飾北斎に興味があった。葛飾北斎は晩年小布施に4回来たらしい。それだけで箱物になるのか?葛飾北斎は、富嶽三十六景と百景が有名であるが、その他にも山のように作品を残していた。葛飾北斎の生涯は絵を描くだけだった。まるで手塚治虫のようであった。
 街を探索した。古い町並みを意識した今風のおしゃれな店が並んでいたが、バックボーンとなるべき古い町並みが見当たらず、中途半端で何がしたいのかわからなかった。今まで見てきた古い町並みとはまったく比べ物にならなかった。こんなんだったらどこでもある。
 1710、駐車場から出庫。給油後、1720に出発。上信越道の小布施スマートインターから乗った。
 1740、松代SA。ヘッドレストをつけ忘れてた。お茶とロングライフのカレーパンを買った。1755、出発。
 1845、横川SA。おぎのやに支配されていた。峠の釜飯を食べようかと思ったが、おいしくないのでローストビーフ丼。うまくなかったorz。SAで食べるのは止めた方がいいな。1940、出発。
 2015、寄居PA。渋滞しそうだからトイレへ。2020、出発。渋滞はなかった。2055、三芳SA。給油。外環で高谷JC、東関東道へ。2210、帰宅。
 今日は戸隠神社だけで終わった。神社はあまり好きじゃないけど、戸隠神社オリエンテーリングみたいで楽しかった。