びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/08/08(日)「徳島」

 昨晩は3時過ぎまで、ああでもない、こうでもないとプランを練っていた。3日分の宿まで予約したところで寝た。寝ながら、本当に予約した通りこなせるのか不安になった。
 8時半起床。えぐく回るには5時起きだったが、さすがにその睡眠時間では行く気は起こらなかった。デジカメの充電とデータをパソコンに移行した。
 10時、家を出発した。外はいつもどおりカンカン照りの真夏の空だった。なるべく長く居たくない暑さだった。歩いていると、リュックは軽く感じたが、やはり吐き気と胃が痛くて。阪神杭瀬駅から1017発の普通で阪神尼崎駅。ホームの椅子に座っていると、やはり体調が良くないような気がした。これは夏バテではなく、ワクチンの何かかと。
 1029近鉄奈良行き快速急行に乗り換え。尼崎に来てから阪神なんば線に乗るのは初めてだった。特に本線と変わらない工場と住宅地が混ざった景色だった。地下区間でキキキキキーと大音量でカーブを曲がって驚いた。斜め前の方の席の窓が開いていた。コロナ対策だろう。一瞬、桜川駅で降りて、汐見橋駅から南海線に入ろうかとしたが、目的の切符が買えるかわからなかったのでスルー。大阪難波駅で下車。330円だった。
 南海なんば駅までは少し歩いた。そのうちいつものエスカレーターが見えてきた。この長いエスカレーターに乗るといかにもこれから旅行に行くぞという気がする。自販券売機で目的の切符「とくしま好きっぷ」を見つけた。この切符はわすが2200円で南海フェリーに乗って徳島港まで行くことができる。最近まで知らんかった。でも、難波まで来たのに、本当にフェリーに乗れるかは確認してなかった。もしかして、予約がいるとかないよな?最近、旅行でやらかしてるだけに慎重だった。券売機の隣の窓口で聞くと「予約はいらない」と言われた。
 なんば駅には確か駅弁があったはず。でも、よくわからなかった。元々なかったのか?改札内にむすび寿司というおにぎりを売ってる店があったので、北海ちらしを買った。この旅行には不釣り合いな弁当だった。
 1120の和歌山市駅行きの特急サザン。和歌山港駅行きではないのは、お腹に自信が持てなかったから。でも、指定だとトイレあるのかよorz。自由席に乗ったらロングシートだった。ヤバい。これでは弁当が食べられない。しかも、トイレも行けないやないか。ホームで指定券の券売機を探したが、高野線のはあるくせに本線のはなかった。なぜ?
 仕方なく行けるとこまで頑張ることに。なんば駅を出た時は空席もあったが、新今宮駅天下茶屋駅で、座席に座れない人が出てきた。特急は駅を飛ばしまくった。泉佐野駅を過ぎると、田舎っぽくなってきた。尾崎駅というどこかわからない駅を過ぎると、海が見え始めた。この線には何回か乗ったことはあるが、海が見えることは忘れていた。旅情がかき立てられた。みさき公園駅を過ぎると山越えに入った。和歌山大学前駅というなぜここに特急が停まるのかわからない山の中の駅を過ぎるとすぐに紀の川を渡り、和歌山市駅だった。ちょうど1時間の旅だった。
 和歌山市駅では45分待ちとなった。冷房の効いた待合室を探し、北海ちらしを平らげた。期待以上にうまかった。幸先のいいスタートだった。
 1405和歌山港駅行き。7番ホームという1つのホームを2つに分けた端の方に2両のロングシートが停まっていた。なぜ2両?単行の編成はないのかな?乗客は10人程度。被り席に移こうと前の車両に行くと、1人しか居ないのにそいつは被り席にいた。
 和歌山港線和歌山港の南海と南海フェリーとを接続するための路線で和歌山市駅の次は終点和歌山港駅であった。昔は中間に駅がいくつかあったり、終点の先にはまだ路線が延びていた。ここからは単線になり、本数が少なくなった。私の記憶ではここに乗るのは今回で3回目じゃないだろうか?
 電車は港のゴミゴミしたところを縫うように走った。まるで遊園地のアトラクションのようだった。高架になり川を渡ったと思ったら終点だった。昔乗った時は駅跡を食い入るように探したが、今日はまったく探してなかったことに気づいた。Youtubeだと結構わかりづらかったからだ。ここの線路は和歌山県の所有だけど、いくらで借りてるんだろう?お盆でこの人数しかいないならバスでいいのではないかと思った。終点の寂しいホームであちこち写真を撮りまくった。
 ホームの階段を降りると、海側に自動改札機があり、なんと駅員さんがいた。無人駅だったはずだが?改札の右側がフェリー乗り場までのタラップみたいになっており、 長い長いタラップを歩くと途中から動く歩道が現れた。こんなとこに?タラップは小さな待合室に繋がっていた。長椅子が数列。人が5人くらいいた。フェリーに繋がる扉には鎖がかけられていて、清掃中になっていた。
 ほどなくして鎖は外されて乗船が始まった。ここの乗船は便利だと思った。和歌山港駅から段差なしでそのまま乗船できる。途中で切符を確認された。和歌山港駅にいた駅員のような?
 フェリーの中には座席がたくさんあって正面に大きな液晶テレビがあった。また、雑魚寝スペース、自習室にある机もあった。私は一番端の机に陣取った。ここからは窓越しに海が見渡せた。机にはコンセントがあり、フリーWi-Fiが飛んでいた。
 このフェリーにはM2の頃に2回は乗ったことがあった。しかし、船が違うのか中がどうだったのかは思い出せなかった。ただ景色はほとんど変わってないような気がした。私はM2の夏、徳島から帰ってくる時に、船上から紀伊半島の方を写るんですで撮った。当時、写るんですの1枚は貴重だった。人が入らない写真を撮ることもなかった。写るんですだからピンぼけだったけど、それはいい思い出となっている。
 せっかくだから甲板に出てみた。風が強くて帽子が飛ばされそうだった。洋上からの景色は、真っ青な海に、よく晴れた空。遠く陸地の上には入道雲がもくもくとわいていた。きっとこの景色はずっと変わってないのだろう。私が変わっても、ここの景色は変わらなかった。
 16時ちょうどに徳島港に着いた。2時間20分の船旅だった。1615発JR徳島駅行きの市営バスに乗った。乗客は5人だけだった。お盆なのに寂し過ぎる。16時半過ぎにJR徳島駅に到着。210円。
 徳島はM2の時に阿波池田の近くの三加茂に合宿免許を取りに行って以来、お気に入りの地である。JR徳島駅の思い出は2つある。一つは合宿免許の時に、地元の女子高生2人と仲良くなりJR徳島駅まで遊びに来たことだ。高校生はおこづかいがないので隣の佐古駅で降りて、JR徳島駅まで歩いた(薩摩守)。皆で記念撮影した写真が残っている。もう一つは会社の連中と阿波おどりを見に来た時。途中で頭に来て別れて、一晩徳島駅の前で過ごすはめになった。イヤな記憶で上書きされたままになっていた。
 17時、東横イン徳島駅前にチェックイン。駅前なのに空いてるから変だとは思ったんだが、全然駅前ではなかった。
 17時半、駅に近かった麺王へ。今日の一番の目的は徳島ラーメンだった。徳島ラーメンはご当地ラーメンで最後に発見されたもので、豚バラ肉が入っているのが特徴である。これは日ハムの工場があったからと言われている。昔はそんなにお店はなかったように思うのだが、阿波おどりで来た時はいっぱいラーメン屋が出来ていた。一度、名物として紹介されると店がボコボコ出来るんだよな。
 麺王スペシャルラーメンを注文。これはおいしかった。醤油豚骨が豚の脂で甘くてまろやか。神坐の甘さと似ていた。豚バラ肉は甘辛く煮てあってこげ茶色だった。これがポイントなんだろうな。豚骨の旨味だけを残して、いくら食べてもギトギトしつこさが来なかった。大満足だった。
 薬を忘れたのでホテルに戻り、薬を飲んでから再び外出した。
 阿波おどり会館阿波おどりの実演があるようだったが、閉まっていたorz。
 1830眉山ロープウェイ。眉山展望台には社会人一年目に工場の連中と来たことがあった。当時、旅行に目覚めてたわけでなく、六甲山の夜景を当たり前に見てたから、ショボいと思ったのを覚えている。その眉山徳島駅からすぐの所にあるとは知らなかった。
 ロープウェイは2つのゴンドラが一組で動くという見たことのないタイプだった。ロープウェイは上に上がっていく時が一番面白い。地上がどんどん小さくなり、町全体が徐々にその姿を表す。最近ロープウェイによく乗るような気がする。
 眉山展望台からは徳島市内が見渡せた。徳島市内は扇形に広がり、上方は太平洋になっていた。左下の方から吉野川がやって来て太平洋に注いでいた。まだ明るかったので、暗くなるまでブログを打ちながら待機した。函館山と同じように段々薄暗くなって行き、空が青っぽくなってきた。凄くきれいだった。でも、函館山のような席の取り合いにはならず、皆、少し見ては帰っていった。場所が違うと価値が違うのだろうか?空が黒くなるまで粘った。
 1945のロープウェイで下山した。帰り道は行きとは違い、新町川沿いを歩いた。ここは阿波おどりの時に歩いた。橋がLEDライトで変光されていてきれいだった。中之島図書館の橋とよく似ていた。2010頃にホテルに戻った。
 風呂に入って、ブログを仕上げて、明日の電車を改めて検討した。
 今日は、徳島ラーメンを食べるだけの予定が、思いがけず眉山に上ることができた。昔はショボいと思った夜景も今はキレイに思えた。最近の旅行では、飲みに行かなくなり、夜をもて余していた。夜景は一つのアイディアかもしれない。徳島にはいい思い出も苦い思い出もあるけれど、また思い出を一つ重ねることができた。