びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/05/04(水)祝「旅行6」

 西宮北口―梅田―なんば―林間田園都市―橋本―極楽橋―橋本―北野田―中百舌鳥―和泉中央天下茶屋―羽衣―高師浜―羽衣―貝塚水間観音貝塚泉佐野関西空港泉佐野和歌山港みさき公園多奈川みさき公園和歌山市―加太―和歌山市―和歌山。
 いつも次の日の計画は立てるのだが、今回はあまりに乗り換えが多くて計画を立てていない。でも、昨晩寝る時間を削って初めて計画を立てた。夜に和歌山に泊まりたかったのだ。けれど、今朝和歌山の「東横イン」を見ると満員だった。で、どこに行くか迷った。なぜ迷うのか?計画が立てられないのと、関西は飛び込みが難しい上にGW期間と重なっているからだ。だから、西北のネカフェが起点となってしまっている。さすがに3日風呂に入らないと頭がかゆい。行き先に迷ってもどこかに行くしかない。こうなったら走りながら考えよう。
 南海高野線は南海のターミナル難波駅から極楽橋を結び、ケーブルで高野山に上ることができる。極楽橋手前がすごい山の中と聞いていたので期待していた。途中の河内長野までは乗ったことがあった。高校の担任の先生の家があり、何度か徹マンしに行ったことを思い出す。でも、就職前の話だ。沿線を見て記憶が蘇るというよりは初めての路線という感じだった。狭山駅を通過したときに高校1年のクラブの合宿を思い出した。楽しすぎる思い出だからかあのときの様子はよく覚えている。もうあのときのユースホステルはないみたい。あったら行ってただろうな。河内長野を越えると山になってきた。JR和歌山線橋本駅と接続。ここで特急に乗り換えた。特急券500円が必要。手前の林間田園都市駅で購入した。4両編成、全ての席が埋まっていた。高野下から本格的な山上り。とんでもない山だった。角度のある側面にとりついていた。黒部峡谷鉄道かと思った。平行する道路もなかった。特急は特急らしくないゆっくりとした速度でくねくねと上って行った。運悪く山側の席で谷側が全然見えなかった。一番最初だけに味わえるワクワク感が台無しだった。もう日本でそういう場所はあまりないのに。ほとんど人がいなさそうな山の中にも関わらず駅があった。その存在を事前に知っていたが、百聞は一見に如かずとはよく行ったもので。ほとんど秘境駅。なのに駅員が配置されていてびっくりした。交換設備があったからだろうか?終点極楽橋駅は何もない山の中だった。何が極楽かさっぱりわからなかった。客はそのままケーブルカーに向かった。今回の乗り潰しではケーブルカーは無視してきたが、さすがにここは乗らざるえないと思った。しかし、ラッシュアワーみたいになってしまい、例の発作が出た。後悔を通り越し、もうケーブルカーなんて乗らないと思ったorz。上にはバス乗り場があり、客はそちらに吸い込まれていった。私はそのまま引き返した。ケーブルカーの帰りはさすがに空いていた。極楽橋からは普通電車だった。行きのいけてなさを挽回すべく谷側のかぶりつきを確保した。
 南海高野線の中百舌鳥から分岐している泉北高速鉄道に乗った。泉北ニュータウンからそのまま南海に乗り入れている。泉北ニュータウン千里ニュータウンの次にできたような町だからニューとは言っても結構歴史がある。大きな道路の真ん中が線路になっていた。ニュータウンを走る鉄道はどこもそんな感じである。大学友人Hの実家がこの辺にあり、10年くらい前にこの道路を走ったことがあった。あの頃のイメージとあまり変わらなかった。
 南海高師浜線南海本線羽衣駅からわずかに分岐している。羽衣駅はこないだのJR阪和線鳳駅から分岐した東羽衣駅と接続している。なんだかややこしい関係だ。乗ってみた感想も同じだった。あっという間に終点。地元の人にしかわからない利便性のよさがあるのだろう。
 南海本線貝塚駅からは水間鉄道が分岐していた。水間観音へのアクセス路線だ。正直水間観音って何って感じだった。WIKIによれば、水間鉄道は2005年に一度倒産している。2両編成の電車が単線を行ったり来たりしていた。アテンダントの女性が乗っているのが珍しかった。終点水間観音駅の外に出ると、駅舎がお寺風だった。インド風な?
 南海本線泉佐野からは関西空港への枝線が伸びている。これはこないだのJR阪和線と全く同じパターン。だから感想も同じ。南海とJRはライバル関係にあり、JRは「はるか」を走らせ、南海は「ラピート」を走らせている。この「ラピート」が鉄人28号の頭のようなフォルムと青くて渋い色づかいをしていてとてもかっこいい。だからか南海の方が優勢らしい。海を渡る橋は南海とJRは共用しているが、関西空港の中ではきちんとエリアが分かれている。
 南海本線の終点は和歌山市駅だが、さらに先に南海和歌山港線はある。後述する2つの路線よりも遠くにあるのだが、1時間に1本しか走ってないので先回りした。この路線は和歌山港まで1駅しかない。元は間に3駅あったが、2005年に廃止された。和歌山港南海フェリーと接続している。乗ってみるといきなり単線になった。フェリー客に特化してるせいなのかどこか異質。やる気が感じられないというか、海沿いの変なとこを走ってるというか。まるでおまけみたいだ。着いた駅も寂しくて。ホームからフェリー乗り場が見えただけ。折り返しの客はカップルが1組しかいなかった。
 南海本線みさき公園に戻り多奈川線に行った。多奈川線は海の方に伸びている。中間駅が二つしかない寂しい路線なのだが、多奈川には小学校の頃、本家の人が住んでいるというので1回連れて行かれたことがある。多奈川には関西電力の火力発電所があり、その人もそこに勤めていたのだ。あの人が誰だったのか今でもわからないのだが、5階建ての社宅の上から海が見えたのを覚えている。多奈川駅に着いた。あのとき駅前を右に行くか左に行くか迷っていたように思う。その記憶の断片と駅前の景色が合致するような気がした。
 和歌山市駅から南海加太線に乗った。これもまた海の方に伸びている。加太にもまた思い出がある。中学校2年のとき、前川と中原で釣りに行ったのだ。たいして親しくもなく一緒に遊んでたわけでもないのに、この組み合わせでどうして行ったのか今ではよくわからない。しかも、あの当時釣りも遠出もしてなかった。加太に到着したのは夕方だった。駅前の土産物屋と喫茶店は当時もあったような気がした。今日の日程は終了したので、もう二度と来ないかもしれないので防波堤まで歩くことにした。道端にあった地図ではそれらしい場所がいくつかありよくわからなかった。ただ、「喫茶マリン」は見覚えがあったのと同時になぜか関係がなかったことを思い出した。道なりに行くと海に着いた。そのまま歩くと防波堤と付け根にパン屋が見えた。記憶の95%が合致した。このパン屋では冷凍したオキアミのブロックを買ったのを覚えている。当時は徹夜で餌がなくなった。4月から6月くらいで寒くて寒くて傘を盾にブルブル震えてたっけ。小さい自分の幻がそこを歩いているような錯覚に陥った。あれから途方もなく時間は経ったけど、加太はあの頃と変わらなかった。駅に帰る途中で銭湯「新町湯」に寄った。昔懐かしい番台が残っていた。久々の風呂は気持ちよかった。思いがけず加太に来れてよかった。
 JR和歌山駅に着いたのは21時前だった。「井出商店」に向かった。まだこないだから1か月くらいしか経ってないが、和歌山の目的はここのラーメンだった。30人くらい並んでいてびっくりした。40分くらい並んで遅い夕食にありつけた。ラーメンとともに後輩Oに勧められた早すしを食べてみた。しめさばじゃん、苦手なんだよな・・・。宿を探した。「東横イン」のキャンセル待ちを狙ったが失敗した。ネカフェも見つからず途方に暮れた。まさか夜中にさ迷うことになるとは。和歌山市駅の方に歩いたら、繁華街があった。やたらとスナックが多くて客引きが男ばかりだった。和歌山市駅近くでカプセルを見つけたのは24時だった。2890円。コンセントがなくてがっかりした。