びーの独り言

どこいくの?どっか。

2021/08/12(木)年休「宮崎」

 起床は545。乗り鉄の朝は早い。テレビでは「前線が停滞してて、大雨が降る恐れがあります。土砂災害には充分に注意して下さい」と言っていた。何事もなければいいが?鉄道は災害に強いと自分に言い聞かせた。620にチェックアウト。外はまだ雨は降っていなかった。
 18きっぷ使用。647八幡浜行き普通。単行でトイレなし、ドアはフラップ。前後にしかドアがなく、オールロングシート。席を数えると片側32席。これこれ。これこそがJR四国。お客さんは私を含めて3人だった。
 一昨日の予土線でもそうだったが、トイレのない車両には充分に気をつけなければいけない。JR四国はほぼ全線に渡りトイレがない。列車交換の間に行ってくれという理屈のようだが、スジを引いてるわけではないのでそんなもん知るかである。
 宇和島駅を過ぎてちょっとして、小さな車両基地があった。そこには扇形機関庫があった。扇形と言っても3両分だけで、外側だけ残して朽ち果てていた。機関庫の前には転車台があった。ここにはなぜかしまんトロッコのトロッコだけ留置してあった。前の車両はどこ行ったんだ?
 2駅先の伊予吉田駅で衝撃の17分待ち。吉田は宇和島の隣の入江にあたり、昔は宇和島支藩があった。宇和島は城が建ったから栄えたけど、それまでは吉田と同じような小さな集落だったに違いない。待ち時間を利用して写真を撮った。特急と普通と立て続けに交換。
 伊予吉田駅から先は見晴らしが良く、吉田の入江が見渡せた。宇和島周辺は日本有数のリアス式海岸である。そして、リアス式海岸は鉄道の難所である。物理的に難所であるし、経営的にも沿線人口が少ない。
 卯之町駅で列車交換。しまんトロッコやんけ。こんなとこで運用入ってたんか。JR四国の涙ぐましいやりくりが目に浮かぶようだった。
 この駅では高校生が15人くらい乗ってきた。地方の電車なんて車を運転できない高校生かお年寄りしか使わない。高校生の通学にぶつかると運が悪かったと思うしかないが、向こうにとっては私こそ招かれざる客だろう。
 そんなこと書いてたらマジでお腹が痛くなってきた。しゃれならんぞ。まだ八幡浜まで14分もあるやんけ。祈るしかなかった。
 759八幡浜駅到着。腹痛が緊急でなくて助かった。田舎での予定の遅れも一応ケアして予定を組んでいるが、なるべく奥の手は使いたくないものである。ここからは港までは歩きかタクシーの二択だった。外は雨が降っていた。重い荷物を背負って、30分歩くかどうか?せっかくここまで来たのだから、頑張って歩くことにした。頭の中でS&Gの「雨にも負けぬ花」が流れた。
 前にもここを歩いたことがあった。その時はホテルまでがだいぶ遠くて、ホテルから港までも遠く感じた。途中から現れるアーケードの商店街が昭和のひなびた雰囲気で、いい感じだったのを覚えている。その商店街はまだ時間が早くてシャッター街だった。自分が思ってたよりも短かった。思い出が美化されていたかもしれない。南予地方は昭和の商店街の雰囲気を色濃く残している。大手資本が進出しないのはどうしてだろうか?採算面ではない他の理由があるような気がした。
 八幡浜港は2回目だった。前回は早朝過ぎて真っ暗だった。別府に渡って、その後小倉で大学友人Sと落ち合った。本当は熊本で落ち合う予定だったが、豊肥本線久大本線も不通だった。さて、フェリー乗り場にはすぐに臼杵行きオレンジフェリーの窓口があった。840分発だった。そんな便あったっけ?時計を見ると、849だった。何てことだ!ダラダラするんじゃなかった!次の便は1245。4時間待ち・・・?別府に行くしかない!奥にもう一つ宇和島運輸フェリーの窓口があった。こっちにも臼杵行きがあることに気づいた。940発、これが最初に予定してた便だった。ビックリしたなあもう。違う会社で同じ航路やってんのか。
 2等室は2550円だった。「15分前から乗船できます」と言われた。待合室でブログ打ってたら、いつの間にか10分前になっていた。何の乗船案内もなくてびびった。船に乗り込もうとしたら、切符切りすらいなかった。徹底した合理化だろうか?
 船内に入り、売店でじゃこめし弁当を買った。500円。透明なプラ容器に入っていた。
 2等の雑魚寝スペースでコンセントを確保して、ブログを打った。出航のアナウンスなんて当たり前のようになかった。そのうち飽きてきて船内探険した。2階があり、そこにも雑魚寝スペースがあった。南海フェリーと違ってほぼ雑魚寝スペースだった。南海フェリーよりはお客さんは多かった。
 11時過ぎにじゃこめし弁当を食べた。炊き込みご飯にじゃこが混ざってておいしかった。じゃこ天も蒲鉾も桜漬けもどれもおいしかった。製造は宇和島運輸のレストラン。こういう駅弁があれば喜んで買うんだけどなあ。
 1150、下船の自動放送が流れ始めた。さすがにこれは省略できないか。
 1205、下船。徒歩の客は2人だけ。さすがに切符は回収され・・・ないじゃん。外は大雨だった。ワンチャン観光タクシーで国宝の磨崖仏を見に行こうかと思っていたが、この雨ではやる気が削がれた。まあ2時間4500円では最初から無理だったが。で、こんな時に限って普通のタクシーがいなかった。特急の時間も近づいてるので、徒歩10分とされるJR臼杵駅まで歩くことにした。
 港の周辺は倉庫や工場しかない殺風景な場所であった。途中で対向車が巨大な水溜まりを跳ねた。とっさのところで傘でガードした。酷くないか?それからは車が通る度に水跳ねに警戒せねばならなかった。すっかり雨に負けそうな自分がいた。臼杵はなんて荒っぽい歓迎をしてくれるんだ。I Don't Believe Buddaというフレーズがジョン・レノンの何て曲か思い出せなかった。臼杵駅に着いた時には、鞄の中までびしょ濡れだった。予定の特急は15分遅れとのアナウンスがあった。
 臼杵からは延岡までの特急に乗るつもりだった。この先、佐伯から延岡の間は宗太郎越えと呼ばれていて、日豊本線最大の難所と言われていた。普通電車も早朝の1本しかなく、18きっぷは使えなかった。乗車券1680円、自由席特急券950円。
 特急は待てども待てども来なかった。びしょびしょでいつ来るかわからない特急を待つのは辛かった。遅れはどんどん広がるばかりだった。そのうちに女性の駅員さんがやって来て「お客様はどこまで行かれますか?」と聞かれた。「宮崎です。でも、延岡で降りて普通に乗りたいんですが」と言うと、「この状況だと普通が走るかどうかもわかりませんね」と言われた。結局、1237予定の特急にちりん9号宮崎空港行きは、1時間遅れの発車となった。
 特急の車両はつばめ号の車両を転用したものだった。灰色を基調とした重厚なデザインは外国の特急みたいでかっこよかった。荷物置きは飛行機のようだった。この特急に乗れたことは嬉しかった。
 車掌さんが検札に回ってきた。車掌さんに延岡からの普通について聞くと、「私はこの列車のことしかわかりません」と言われた。普通電車は諦めてこのまま確実に宮崎まで行くことにした。追加料金として、乗車券1620円、自由席特急券460円を払った。
 宗太郎越えは山の中だった。ここは通過に1時間くらいかかる。わくわくしながら車窓を見てたら、途中で寝てしまって、宗太郎駅は過ぎていた。
 それ以降は地形的には平地が続く穏やかなものだった。日向市駅を過ぎてから、ふと右側を見ると、鉄道総合研究所と書かれた建物があった。そっからは高架線が続いていた。昔のリニアの実験線だった。私はここを何回か通ってるはずなんだが、実験線の存在を知らなかった。実験線はすぐに線路をオーバークロスして、海側を並走しだした。私はずっと目で追った。やがて実験線の上にはソーラーパネルが並ぶようになった。異常な光景に思えた。一体誰が設置したのだろうか?
 1613、宮崎駅到着。別に宮崎を観光するつもりはなかったが、観光案内所。グリーンホテルがめっさ遠いことを知った。お勧めの鳥料理のお店を教えてもらった。
 駅から繁華街までは少し離れていてそこまで歩いた。雨は降ったり止んだりだった。お勧めの一番手のぐんけい隠蔵は予約でいっぱいだった。
 お勧め二番目の焼鳥九万。入れたけど、カウンターが狭かった。「鳥もも肉の炭火焼き専門店ですが、いいですか?」と言われた。いろんな鳥料理を楽しみたかったから少し趣旨が違った。炭火焼きは香ばしくてうまかった。中はレアだった。そういうもんなのだろう。ちょっと単品としては量が多かった。狭くて居心地が悪いのでさっさと出た。
 炭火焼きだけでは満足できなかったので、昔、行ったことのある酔仙という店に行った。もう一度駅まで戻った。予約でいっぱいだった。
 諦めてグリーンホテルまで歩いた。繁華街まで遠いのにその二倍以上の距離だった。こんなに遠いホテルは記憶になかった。
 1840、グリーンホテルにチェックイン。3700円。じゃらんで宮崎県3位らしかった。でも、遠い。フロントで鳥の店を聞いた。以前に宮崎の鳥はどこで食べても美味しいと聞いていたからだ。
 1850宗玄。焼鳥を食べた。レバー、ぼんじり、ねぎま、つくね。ちょっと高かったけど、炭火焼きよりもおいしいと思った。
 ホテルに帰って、靴の中や鞄の中を乾かした。昨日洗濯した洗濯物は全部濡れてしまっていた。ランドリーで乾燥した。
 明日の天気予報を見て暗い気分になった。前線が停滞していて、しばらく大雨が続くらしかった。これでは帰れないではないか?すでにホテルや船の予約は完了している。どうすればいいのか悩ましすぎる。もう旅行気分は吹き飛んでしまい、どうやって帰るかの戦いとなっていた。