びーの独り言

どこいくの?どっか。

2015/10/02(金)半休「血液」

 今の先生になってから中性脂肪の項目がなくなり、生活習慣について言われることはなくなった。今回は遂に事前調整しなかったが、検査の結果は特に変わりなく、徐々に貧血が進んでいるだけだった。
 いろいろと質問したいことがあった。わからないことが不安感に繋がっていたが、病気に関することは先生に質問するしかない。昔の先生が携帯を教えてくれたのが今思えばすごくいい先生に思えてきた。
 「この先に起こることの時間感覚を知っておきたいのですが、輸血などはいつからでしょうか?」「半年から1年くらいです」。そんな早いのかということに震えた。「それはヘモグロビンが7.0くらいになるのが目安ですか?」「微熱が続くとか動悸が酷いとかの自覚症状が出てきます」。自覚症状が先だとは思ってなかった。こんな基本的なことが今頃わかるなんて。この先生とのコミュニケーションに不安を覚えた。
 「自覚症状が出るとMRIとか骨髄検査とか一度詳しく検査する必要があります。そして虎ノ門病院でセカンドオピニオンを受けた方がいいでしょう。検査結果を見て骨髄移植の検討など今後の方針が決まります」。この病院では骨髄移植はできない。虎ノ門病院と提携しており、骨髄移植はそちらで判断する。果たしてそれをセカンドオピニオンと呼ぶのだろうか?私の認識ではセカンドオピニオンとは一軒目とまったく関係のない病院で検査して判断することだと思っていたが?セカンドオピニオンが流行りだして、セカンドオピニオンの意味を都合のいいように曲解してるのかもしれない。
 「輸血は2週間に1回、多い人は1週間に1回、少ない人は1ヶ月に1回になります」。その後については先生の歯切れは悪かった。そんな先のことはわからないといった感じだった。もしかするとほとんどが骨髄移植になるのかもしれない。その代わり、リスクについて説明された。先生は専門書をめくりあるページの表を指差した。「この病気は詳細に分類されていて、それによりリスクが変わります。テストのスコアを詳細にみないとわかりませんが、おそらくintermediate-2です」。intermediate-2は下から2番目のレベルだった。それが何を意味するのかまったくわからなかったし、質問する気も湧かなかった。「医学的見地に基づき正当に判断しています」という主張が聞こえてきそうだった。先生は命に関わる病気の判断をしているのに、私たちの義務はここまでで後は知りませんみたいな冷たさだった。これが医者の限界なのだろう。
 前回「親族を連れてきてください」と言われたので、「東京には親族がいないので大阪に行くことを考えている」と伝えると、軽く「そうした方がいい」と言われた。強く言われなかったのは客を失うからだろうか?それとも個人の問題だからだろうか?問題はタイミングだった。「会社は異動には半年待ってくれと言ってるが、半年後でも大丈夫でしょうか」と聞くと、もはや明確な答えは返ってこなかった。選ぶのは私ということだろう。
 「相談するところとかありますか?」と聞いたら、「不安はなんですか?」と返された。言葉は事務的であり、少し棘を感じた。頭が白くなりしどろもどろになった。すぐに出てこないということは、不安などなかったのかもしれない。
 部屋に帰ると、母親から葉書が届いていた。一昨日の父親は水木に帰ってこいと言ってたが、土日に帰ってくればいいとなっていた。心底頭にきた。またか。あの2人の言うことはいつも違う。だから信用をなくすのだ。生き死にの話をしていてまだこれか?手術に家族全員の立ち会いがいるなんてウソだとしか思えなかった。すぐに電話したい衝動にかられた。しかし、思いとどまった。もう会社には休むと言ってしまっているし、もしかすると母親には告知されてないのかもしれない。それよりも今後私が入院したときには父親に面倒みてもらう可能性が高く、ここで関係を悪くしてる場合ではなかった。耐えがたきを耐えだ。
 どうしようもないことは考えても仕方がない。酒でも飲まなきゃやってられなかった。暗い気分で「百萬石」。よくしゃべる常連さんがいた。しゃべっていたらとても楽しかった。イヤな気分も吹き飛んでいた。こんなに酒に慰められたのは初めてだ。これから酒量が増えそうだな。