びーの独り言

どこいくの?どっか。

2016/07/22(金)年休「血液&高槻」

 病院は午前中で終わる予定だったが、いつものように後ろにずれるとは思ってた。でも、9時に採血したのに診察が14時半て。正直待ってる間に輸血すると思ってた。いつまで経っても始まらないから、事故ったかと思ったくらい。いつもいつも時間読みできないのはどうにかならんのか?お金は仕方ないとして、時間が取られるのが無駄すぎるわ。特に今日はIと会う約束してたからイライラしてた。
 先生からこないだの精密検査の結果を聞いた。骨髄検査では骨髄の線維化が進んでいた。予告通り線維化しててうまく取れなかったらしい。取る意味あるのだろうか?染色体検査は問題なし。そういやそんなんあったな。滋賀のときに染色体写真見たわ。骨髄シンチでは正常とのこと。骨ほねロックな写真が見えた。放射性物質のマーカーは骨に集まっていると。異常だと脾臓や肝臓にも集まるらしい。腰椎のMRIでは所見はまだ出てなかった。腰椎を見てたのか?なぜ腰椎?おそらく線維化しているでしょうとのこと。推測でモノを言わない先生が初めて推測でモノを言っていた。CTでは2013年と比較して画像を見せられた。あのときなぜCTを取るのかと思ったが、こういうことだったのかと。予想通りに脾臓が肥大していると言われた。だからってそれがどうなのかは私にはわからなかった。肝臓も肥大してると言われた。これには何のコメントもなかった。そういうもんなのだろうか?身体が何かに一生懸命だということはわかった。
 先生は専門書を出してきて、病気のレベルを説明しだした。病院の便箋に走り書きをしだした。血小板増加症からの線維化は症例が少なすぎてよくわからないらしく、いきなり線維化した人のケースではあるがと前置きがあった。専門書の中の論文では、余命の中間値が9.6年となっていた。えっ、まだそんなにあるの?だいぶ心が軽くなった。これは本当に世界が広がったような気がした。引っ越しせずに済むし、買ったばかりのエアコンもしばらく使える。先生との温度差を感じてたのは、勝手に私が暗い方に考えてただけかもしれない。それにしても10年前に通い始めた頃にも余命10年と言われたのだが?あのときと同じ論文にも見えたのだが?専門書にはもう少し新しい論文が挙がっていて、そっちの余命では6.5年となっていた。なんでそんなに差があるのか?とにかく長いということを言えればいいんだろうな。先生は最後に便箋へのサインを求めてきた。便箋は複写紙だった。余命の説明義務があるのだろうか?
 「それで今後どうするかということですが、セカンドオピニオン受けてみますか」と言われた。それは前回からのお約束だった。虎ノ門の先生は「悪くなったら来い」と言ってた。輸血が始まったからそろそろかなと思っていたが、体調が悪いわけではない。むしろ思ったより症状がよさそう。一瞬先伸ばしにしようかとも思ったが、何か新しい情報が得られてなにより精神的に落ち着くかもしれない。「せっかくなので受けます」と答えた。すると「この病気なら虎ノ門より順天堂の本院の方がいいです。虎ノ門は骨髄移植の数は日本一ですが、白血病ばかりです。」と言われた。これは意外だった。確かに前回本院もあるとは言われていたが、こういうことだったのか?前の先生は虎ノ門を薦め、今の先生は本院を薦める。一体どうなってるのか?自分で調べたわけじゃないのでなんとも言いようがなかった。「どちらがいいかは私にはわからないです。行かないとわからないので、順天堂の本院にします」と答えた。本院と言っても浦安とは独立しているとのこと。先生はその場で本院に電話して手続きを聞いてくれた。手続きはホームページに書いてあるらしかった。紹介状は取りに来るか郵送か選べるとのことで郵送を選んだ。「この教授がいいですよ」と名前を教えてくれた。まさか教授が出てくるのかと思った。そこまで大袈裟じゃなくてもいいのに。心付けとかいるのだろうか?
 今日の採血の結果は、ヘモグロビンが7.6だった。7前半じゃなかったので、意外にも輸血はなかった。どうやら減りが少ないらしかった。「2か月に1回来てください」と言われた。因みに「1回の輸血でどのくらい上がるんでしょう」と聞くと、「1くらいです」と言われた。次回は9/9になった。夏休みに影響が出ないのでホッとした。午前か午後かを聞かれたので、午後にしておいた。こんなんで毎回年休対応にしたくなかった。
 診察の後、看護婦さんに「郵送だとかさばるのでお金かかりますよ」と言われた。確かにDVDとかあるが、一体何がかさばると言うのか?取りに来いというようにも聞こえた。「じゃあ取りに来ます」と答えた。「診断書ができるまで1週間くらいかかりますので、来られるときはお電話ください」と言われた。いつも電話しても対応悪いんだが?そもそも期日守れよ?いろいろ面倒だなあ。
 会計が終わったのは15時半だった。Iとの約束は高槻に18時だったが、到底間に合わないので電話して20時にしてもらった。東京駅で1640ののぞみに乗った。車内では爆睡していた。最近電車で座ると爆睡してしまう。病気の影響だろう。京都駅で降りて普通に乗り換えて高槻駅で降りた。改札を出たところで電話して、松坂屋の前で落ち合った。Iと会うのは昨年の11月以来だった。
 Iに導かれてがんこ寿司系列の「こがんこ」に行った。Iとは就職以来連絡先もわからなくて、昨年再会したときに連絡先を教えあった。Iはわがままで取っつきにくいところはあったが、天才肌で人情味がありマニアックな魅力があった。病気の話は避けようと思っていたのに話の最初は病気の話からだった。Iが高槻にいたのは母親の入院の付き添いで、その流れから私の話もした。私の話は強烈すぎたみたいだった。まあリアクションに困るわな。お互いこの年になるといろいろあるんだなあ。暗い話題の後は洋楽話になった。IのCDは1万枚を越え、今も買いあさっていて、facebookにHPも作ってるとのことだった。私は散々色んなことに手を出したけど、結局昔の趣味にはかなわないんだよなあ。「好きなことやってきた」、そう言い切れるIが本当にうらやましかった。
 Iがモノレールで帰るので、南茨木駅の改札でしばらく話した。「前に会ったのいつだろう」と言う話をした。大学のときに花火大会を見るためにひでおの家で会ったのと、大学院のときに飲み会をしてカラオケに行ったみたい。後者の飲み会は覚えていたが、カラオケまでは覚えていなかった。Iが記憶力がよかったことを思い出した。「なんでずっと会わなかったんかな」と言うと、「そういうこともある」みたいになった。お互いに連絡先を知らなかったからなあ。Iは話し足らない様子だった。興味を持ってくれて嬉しかった。40代の独身男性はみんなそうなのかもしれない。また近いうちに会えると思う。
 いつもの西宮北口のネカフェに入ったのは0時だった。そういや1年ぶりくらいかな?