びーの独り言

どこいくの?どっか。

2014/04/14(月)「尖閣2」

 0540起床。シャワーは普通にいけた。歯を磨こうとしたら水道水はヤバいかも。昨日断念したボトルをサーバーにセットしようとした。ゴムのキャップをはずして、ボトルをひっくり返すと、セットはできたものの当然水びだしになった。何かがおかしかった。
 0615ホテルの朝食。昨日の居酒屋に行くと、薄暗い店内にSさんが先に来ていた。奥の厨房から若い兄ちゃんが出てきて、ちょっと怖かった。メニューを見せてもらうと重い定食ばかり。Sさんが「シャケのおにぎりあるで」と言うのでおにぎりを頼んだ。出てきたおにぎりは2個、三角形で海苔が巻かれてあり普通に見えた。右のおにぎりには赤いものがついてるのでシャケだと思った。左のおにぎりから食べ始めた。すると思いがけず梅だった。もしかしてと思って右も食べると梅だった。握りが甘くボロボロと崩壊したが、味はうまかった。毎日これでいいかなと思った。
 0710ロビーに降りたが、バスを待つ間は腹が微妙に痛くて不安で不安で仕方なかった。ロビーには全然知らないけどうちの会社だと思われる人たちがたくさん集まっていた。やがてバスが到着したらしく、みなが移動し始めた。外に出ると大通りに大型の観光バスが止まっていた。大型バスにたどり着くには二輪車用道路を横切る必要があった。大通りには大阪の御堂筋みたいに側道がついており、そこにはびゅんびゅんバイクが走っていた。隙を見つけて慎重に渡り、バスにたどり着いた。交通量の多い通りにも関わらず、バスはいきなり大きなUターンをかました。そして、ことあるごとにクラクションを鳴らした。ここの国では権利を主張したもの勝ちらしい。横に見える二輪車用道路には、たくさんのバイクが走っていた。どれも煤汚れていて、種類は豊富だった。日本じゃ見かけない自転車にエンジンをつけたようなものも混じっていた。ノーヘルに2人乗りもおり、何でもありだった。途中パトカーが停まっていて、バイクが転がっていた。その側に足を押さえて立ち上がれない人が。こんだけカオスだと事故も起こるよなあ。バスに揺られて1時間、やっと工場に到着した。これを毎日続けるのか?
 仕事開始。着替えながら、水ボトルの話をしたら、Tさんに「ゴムははずしちゃダメだよ」と言われた。確かに事務所にはゴムキャップのついたままの空になった水ボトルがたくさん転がっていた。まず仕事内容について打ち合わせた。日本で聞いていたのとは違って、いつの間にか現地の人の手を借りれるようになっていた。私は聞いていたのとは違うグループになり、SさんとMクンと組むことになった。段取りの悪さは相変わらずだなあ。実験室は真新しくていい環境だと思った。Tさんに仕事概要を教えてもらった後は、ひたすら単純作業にうちこんだ。
 うちらの横では現地の人たちが作業していた。ほとんどが若い女性だった。わいわいガヤガヤと楽しそうだった。言葉はわからなかったが、なんだか学生実験のような雰囲気だった。この人たちを見ていると、政治的に持ってたイメージとは全然違っていて、庶民レベルではみんな同じなんだなと思った。現地の人とやりとりをするときは、現地の日本語のわかる人を介さなければならなかった。現地語のニーズを強く感じた。
 12時食堂にご飯を食べに行った。肉料理と野菜料理、ごはん、スープ、デザート。口に合わないという前評判も聞いていたが、若干ごはんに癖があるものの、おかずが濃いので問題なかった。
 午後からもひたすら単純作業だった。日本のときはエンドレスにやらされたが、ここでは帰りのバスの時間までに終わらせないといけない。現地の人たちが借りれたこともあり、妙に人手には余裕があった。正直日本の仕事よりずいぶん楽だと思った。
 みんなで17時のバスに乗りホテルに帰った。帰りのバスはマイクロバスで、コースも高速を使ったので早かった。飲むために途中の日本料理屋が並ぶ地区で降りた。大きな通りを渡らなければいけなかった。車がびゅんびゅん走っていたが、横断歩道のみで信号はなかった。現地の人が強引に渡ると、車もいやいやよけていた。譲り合う精神はなく、渡りたければ渡れみたいな感じだった。今日は焼き鳥屋に行った。総勢6人。壁一面に日本語だけのメニュー。注文を取りにきたお姉さんもたどたどしい日本語。そういう店が日本にもあるよなあ。味もまた日本そのものだった。この一角だけ切り取れば、まったく日本にしか見えなかった。帰りはタクシーを使った。ホテルの名刺を見せればOKだった。