びーの独り言

どこいくの?どっか。

2013/08/16(金)年休「旅行7」

 同室の神戸の人とユースを後にし、一緒に0844松山行きに乗った。神戸の人は日焼けした細身の人懐っこい鉄ちゃんだった。握手をして大洲で別れた。
 宇和島伊予大洲―内子―伊予和気―松山―勝山町。
 大洲を観光する計画は元々なかった。大洲にはユースがあるから観光することにしたら、どうやらユースは休みらしくて。まずは遠くに見えた大洲城に行くことにした。大洲の町並みはとても昭和な感じだった。これだけの雰囲気があるところは珍しい。大洲には肱川が流れていて、町のシンボルとなっていた。鵜飼が有名らしく、たくさんの木造船が浮かんでいた。
 大洲城は平成になってから再建された。鉄筋コンクリートではなく木造。城の中は木の新しい色でピカピカだった。大洲城は4層構造で、心柱があり1層目と2層目が吹き抜けになっていた。四国の城で一番高いそうだ。眺めは非常によく、肱川を渡る鉄橋がよく見えた。
 続いて赤煉瓦館に行った。ここは昔の銀行の建物。私は赤煉瓦が好きだが、中は土産物を売ってたみたいなのでパスした。
 おはなはん通りに行った。「おはなはん」とは昔NHK朝の連続テレビ小説で驚異的な視聴率を出した作品らしい。その舞台となったのが大洲で、ロケをしたのがおはなはん通りだった。道の両側に明治の建物が並んでいて、金沢と比較にならないくらい風情があった。
 「臥龍山荘」は明治に作られた建物と庭園だった。限られたスペースにありとあらゆるアイディアが盛り込まれており、贅沢の極みを尽くしていた。色々な遊び心と仕掛けが実に楽しく、全然期待してなかっただけに、これは嬉しい誤算だった。もしかすると、物凄く有名なのでは?
 最後に「ポコペン横丁」に寄った。ここは昔の看板やら車やらグッズを集めたところだった。ありがちな感じだったのでスルーした。
 大洲を1327に出て、内子に向かった。内子も小京都として有名。長年無視してきたが、今回はちょうどよいかと。
 町を歩いていると夕立に見舞われた。「下芳我邸」に駆け込んで蕎麦を食べた。「芳我」とはこの辺りの名家で、栃木の芳賀町と関係があるようだ。あの芳賀と?
 昔の町並みは思いがけず素晴らしかった。こんなところが残っていたのかと驚いた。金沢よりも全然凄かった。重厚な漆喰壁に施された装飾は迫力満天だった。なぜこんな内陸の小都市内子が有名なのかよくわかった。何気にすごい。
 「芳我」には「本芳我」「上芳我」「下芳我」などがあった。これらは木蝋で財を成した名家だった。この中で唯一公開している「木蝋資料館上芳我邸」に行った。木蝋ははぜの実から油を抽出して作る。木蝋は、ろうそくやびんつけ油として使用された。他に色鉛筆、つや出し、化粧品、食品など。愛媛県は木蝋の8割を生産し、その4割が内子産だった。内子の木蝋の特徴は従来より一工程増やすことで品質を向上し安定させた。しかし、石油からも合成できるようになったため、急速に木蝋の生産量は減り、1軒を残し廃業に追い込まれた。この資料館は建物と道具がよく保存されておりかなり面白かった。
 今日の宿泊は松山の「東横イン」。松山にはユースもあったが、落ち着いて態勢を整えたかった。到着は20時半。風呂に入ってから、飲みに行った。「仁平」、ここも太田和彦セレクション。コース料理を頼んだら、全部をほとんど一気に持ってきて、とても鬱陶しかった。コースならタイミング考えろよ?また下げた残飯をその場でゴミ箱に捨てたり、カウンター越しに洗い場があって目の前で皿を洗い始めたり。客が他にいなくなっても、一番離れた位置に隠れてしまい、カウンタートークは遂になかった。最低の店だった。太田和彦氏に保証しろとは言わないが、こういう店があると少し疑ってかかる必要があるかな。
 「東横イン」に戻ってきて、この旅行初めての洗濯をした。その間にブログを作成し、カロリー計算をした。洗濯が終わっても、カロリー計算が3日分もたまっていて、全然終わらなかった。26時にやっと終了。