びーの独り言

どこいくの?どっか。

2024/01/13(土)「大多喜」

 先週の勢いもあり、近場で出かけるつもりだった。1015、ゆっくり寝てからの出発。今日は大多喜を狙った。京葉道路松ヶ丘ICから東金道、圏央道で茂原長南IC下車。
 1125、ポッポの丘。鳥塚社長がいすみ鉄道時代にたまにブログで取り上げていた。たくさんの車両が展示されてるようだった。駐車場するには1000円の看板が。実質入場料かな?卵を買いに来た人は駐車場は無料らしい。なぜ卵を売ってるところが車両を集めたのか?受付の建物はまさかの千葉モノレールの車両だった。那珂川清流鉄道で見たばかり。もしかして、あちこちにあるのかしら?建物から黄色いジャンパーを着た普通のおばさんが出てきた。1000円札を渡して、駐車場に車を停めた。
 辺りには車両が並んでおり、警笛が響き渡っていた。どこかで鳴らせるのかな?車両は比較的ボロボロだった。車両の手入れにはお金と人手が必要だからなあ。すると並んでる車両の奥から動くディーゼル機関車が。マジか!一気にテンションが上がった。機関車には3両の車掌車が連結されていた。機関車にはお客さんが乗せられてるようだった。乗れるのか!そんなサービスは初めて見たぞ!
 私は車両は若手であるので詳細は説明できないのだが、いすみ鉄道久留里線銚子電鉄万葉線などがあった。これらは大体中に入ることができて、中には展示がされてたりした。でも、大体が放置プレイで展示物が色褪せたりサービスが中止されてたり、管理されてないようだった。
 山の上側には特急2両と湘南系(?)2両が並んでいた。その横にはブルートレインが2両あり、特別に中に入ることができた。数ある施設に行ったが、ブルートレインの中に入れるのは初めてだった(因みに世の中にはブルートレインの車両を利用したホテルもある)。子供の頃、ブルートレインはとても人気があった。でも、子供の頃に乗ったのはたった1回きり。小学校1年生の正月に「あかつき」で佐賀から新大阪(多分)まで移動した。うちの家はほとんどイベントがなかっただけに、あれはとても特別な体験だった。
 まずはA寝台オロネ24 2。中に入ると、アナウンスのテープが流れていた。これが秀逸だった。まるで本当にブルートレインに乗ってるかのよう。感涙ものだった。車両の真ん中には廊下があり、両端にボックスシートが並んでいた。ボックスシートの通路部分は寝るときにはクッションで埋めることができた。ボックスシートの上にもベッドがあり、梯子で昇ることができた。
 次の車両はB寝台オハネフ24 2。廊下は車両の端にあった。A寝台が車両の進行方向に対して平行に寝るのに対して、B寝台では直角に寝ることになった。そして、B寝台の方がベッドの幅が狭かった。ここにあるのは2段だった。私が小学校の時に乗ったのは3段だったような?記憶違いかと思ったら、ここのは3段を2段に改良したものらしかった。
 ベッドに座り、しばらくアナウンスを聴いた。思い出されるブルートレインのノスタルジーと自分だけの秘密基地感。いつもと違う二段ベッド、振動とレールの継ぎ目の音。次々と通過する知らない町と駅。夜は静かにお休みください。朝はお早うございます。ブルートレインにだけ許された特別のアナウンス。子供の頃に憧れた空間、そしてとっくの昔に諦めてしまい忘れて去っていた体験。これ以上の思いがけないことはなかった。いつまでもここに座っていたいと思った。本当に素晴らしい体験だった。
 1220、プレハブで軽食が食べられた。カフェTKG。ここでは鶏卵を扱ってるだけに、たまごかけご飯が名物だった。私はたまごかけご飯が大好きだった。ご飯と玉子とみそ汁。627円。安いなあ。吉野なんて1200円くらい取られたもんな。外の木製のテーブルで車両を見ながら食べた。卵は黄身が盛り上がっていて新鮮そのものだった。醤油は薄目。でも、返って卵本来の美味しさが味わえるようだった。屋外で車両を見ながら食べるTKGは最高だった。
 13時、出発。昼食を食べたばかりではあるが、大原漁港のたこめしを狙うことにした。大原漁港には2014/2/1に訪れていて、その時に伊勢海老とたこめしを食べた。伊勢海老がものすごく高い割に大したことなかったのに対して、たこめしは安くてとてもおいしかった。
 13時半、「いさばや」。場所は前と同じような気がするが、前に来た店とは違うような気がした。貼ってあるメニューを見るとたこめしはなかった。どういうことだろう?売り切れたか?シーズンではないか?お目当てがないので何も食べずに撤収した。近くで他に店を探したが、どこももうすぐ閉店だった。因みに帰ってから調べたところ「いさばや」は前に訪れていた店だった。建物を立て替えたのだろうか?
 14時、いすみ鉄道国吉駅。ここには駅弁でたこめしがあるようだった。そして、2014/2/1の時はキハ30が留置されていた。今日はキハ30の他にキハ28が増えていた。おそらくキハ28の運用が終了したからと思われた。駅舎の中では小さな展示がされていた。ボックスシートがありお母さんと子供がはしゃいでいた。ホームに出ると、端の方に黄色のジャンパーを着た人がいた。鳥塚社長のブログによく出ていた応援団長さんのような気がするが?駅舎の中でスタッフらしきおじさんにたこめしがあるか聞くと「売り切れました」と言われた。そりゃそうか。
 14時半、大多喜城。2014/2/1の時に行こうとしたが、ずっと上り坂で行くのが大変だったから途中で諦めて引き返した記憶があった。10年ぶりのリベンジだった。大多喜城は県立中央博物館大多喜城分館でもあった。しかし、2022年12月から長期休館中だった。入れないのはわかっていたが、せめて外観だけでも見たかった。
 駐車場から山を登ると城が見えてきた。その手前には研修館という建物があり、中でパネル展をやっていた。大多喜城に関する簡単な説明がなされていた。大多喜城本多忠勝が入城したことで知られる。その辺りを詳しく知りたかったが、その期間は3年と長くはなかったことがわかった。しかも、築城の経緯もよくわからないらしい。大多喜は大河ドラマを誘致しようとしていて、あちこちに幟が立っているが、これではとても無理だと思った。
 1510、帰ることにした。圏央道の市原舞鶴ICから京葉道路で穴川IC下車。千葉みなとの「サイゼリヤ」で夕食。横殴りの雨は吹雪となった。プールに行くつもりだったが、今日は止めた。左肩も痛かったし。
 私の人生はいつの間にか出かけることでしか満足できなくなっている。知らない町に行き新しい体験をすることで、死ぬまでずっと思い出として楽しむことができる。またいろいろな思い出が積み重なれば、相乗効果でどんどん楽しくなる。