びーの独り言

どこいくの?どっか。

2013/08/17(土)「旅行8」

 目覚ましをセットした8時半に起きた。自分でセットしたのに自分で遅いと思った。身支度を整え、30分ほど戦略を立てた。やっぱり遅いと思った。
 大街道―松山市―JR松山駅前―道後温泉―JR松山駅前―大街道―勝山町・・・東雲口―長者が平―東雲口・・・大街道―道後温泉―勝山町。
 松山城に行こうと思ったが、まず腹ごしらえがしたく、松山駅に向かおうとした。すると偶然にも坊っちゃん列車が来た。こんなレアものに遭遇するとは。思わず飛び乗っていた。坊っちゃん列車夏目漱石に「マッチ箱のような汽車」と形容された市内電車を復元したもの。蒸気機関車のような形をしたディーゼル機関車が小さな客車を引っ張っている。乗り心地はガタガタしてるような気もしたけど、いたって普通。若い元気な車掌さんが大声で解説をしてくれたのが好印象。終点松山市駅では方向転換の様子を観察。機関車を台車からジャッキアップして、人力で回転。客車も人力で移動。この暑い中でとても大変そうだった。
 10時松山駅に行くと目当ての店は11時からだった。仕方ないので道後温泉に向かったが、やっぱり諦めきれず松山駅に戻った。一体何やってるんだかorz。食い物への執着は恐ろしい。そこまでして食べたかったのは松山駅を出てすぐ右にある「デリー」のカレー。松山カレーというのがあり、普通より甘いらしい。焼豚と目玉焼きをトッピング、松山が今治に乗るなよw。味はまったく普通だった。もしかすると、気持ち甘いかもしれないが、誤差範囲。B級グルメのカレーって、カレーが強すぎて、ほとんど味の特徴がわからないんだよな。
 結局動き出したのが12時と言うorz。まず松山城に行った。完全に城巡りになってるなあ。ロープウェイで途中まで上ってから、さらに歩いて上った。松山城も現存する天守閣のうちの一つである。天守閣以外の門や櫓なども復元されていた。これは珍しい。大体天守閣だけ復元されて、資料館と展望台になるんだよな。天守閣まではとにかくぐねぐねしていくつもの門があった。白壁や櫓の壁からは鉄砲が撃てる小窓がたくさん。そうそう、私の持っている城のイメージはまさにこれ。「信長の野望」で籠城されてビシバシ撃たれるパターン(爆)。天守閣の中は暗かった。木も真っ黒。雰囲気満天。眺めも抜群で素晴らしかった。これはかなりいい城。
 展示はあっさりしていた。松山城は7本槍の一人加藤嘉明が築城した。まさか本人は「よしあきくん」というゆるキャラにされるとは思わなかっただろうw。さて、その後徳川家康の異父兄弟が代々引き継いでいった。親幕府として繁栄したが、戊辰戦争では幕府側についたために、会津、桑名と似たような道筋をたどった。おそらく会津とは違い、戦争の記憶を消したいんだろう。夏目漱石正岡子規、秋山兄弟をフューチャーしまくってる。
 14時に「坂の上の雲ミュージアム」に行った。秋山兄弟と正岡子規を描いた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」をモチーフにしている。最近ドラマになったから急遽作ったのだろう。こじゃれてるだけで、まったく資料は充実してないし、かなり面白くない場所だった。
 「正岡子規記念博物館」に行った。正岡子規の俳句を期待して行ったのだが、そこにたどり着くまでの、生い立ちやらなんやらを長文で読まされるのが、とても辛かった。正岡子規の業績は、言葉遊びと化していた俳句を芸術として捕らえ、盲目的に松尾芭蕉を偶像化していることを批判したこと。そして、過去の俳人を系統別にまとめて、与謝蕪村こそ俳人であるとした。自らは、感情を読むのではなく、見たものを写実的に表現することで、読者に思いのままに感じてもらえばいいとした。なるほど。でも、それは解釈や技法のテクニカルな問題にすぎない。やはり、日本人が正岡子規にひかれるのは、その俳句と印象的な写真と若くして亡くなったことであり、すなわち生き方そのものであると思う。
 17時「東横イン」に連泊。18時に「たにた」。ここも太田和彦セレクション。また昨日と同じ海鮮かよ。当たり前と言えば、そうなんだが頼むものがねー。値段も書いてねー。カウンタートークがちょぼちょぼ。居心地はいいが、ほとんどテレビを見てた。会計は高いと思った。
 あまり食べなかったのでB級グルメのかめそば「じゅん」。入ると小さな居酒屋。かめそばはかつおぶしとちりめんじゃこをトッピングしてある。食べてみると、まるでベビースターラーメン。これはつまみにちょうどいい。B1グランプリもいける。私がそれ以上に感動したのは店長夫婦のホスピタリティ。居酒屋をはずし続けた松山でようやくいい店を見つけた。