びーの独り言

どこいくの?どっか。

2013/09/13(金)「宮崎出張3」

 仕事3日目は観光だった。観光バスで移動した。「グリーンパークえびの」はコカ・コーラの工場。イメージ商売だからか見学コースはかなり気合いが入っていた。かわいいガイドさんが説明してくれたけど、ゆっくりと見れなかったのが残念。次は人吉の阿蘇青井神社。まさかここに来るとは。おっさんたちに囲まれて、風情はまったくなかった。過去の思い出まで蹂躙されたような気分になった。13時新八代で解散。
 ここからは自由時間だった。熊本へ移動して熊本城に行った。最近はまっている城巡りと前から気になっている西南戦争で、珍しく文句なしの選択だった。熊本城は加藤清正公で有名。そしてそのあとは名門の細川氏。敷地は松山城のように大規模だった。特に石垣が立派だった。また松山城のように門や櫓を再現しようとしていた。門をくぐると城が見えた。実は城ではなくでかい櫓だった。櫓がこんなにでかいということは、天守も立派なわけで。視界に飛び込んできたのは大天守と小天守の複合。この系統は初めて。確か初期の城に多くて(初期がいつか知らないが)、姫路城がこのパターンとか。外観は黒々として迫力満点。けれど、中は鉄筋コンクリート。ほとんどの建物が西南戦争の直前に燃えてしまったらしい。展示はいい方だったが、一口城主と称して寄付した人の名前を延々と張り出していたのにはげんなり。そういうのは観光客には関係のないところに張れよ。それから寄付するなら名前なんて残そうと思うなよ。
 天守の横にあった本丸御殿に行った。よくわからなかったが、名前からしてお殿様が住んでいたのだろう。建物を再現したばかりで真新しかった。金箔の間があったが、再現品への興味はまったくなく、足早に通り過ぎた。
 昔のままなのが、さっきのでかい櫓、宇土櫓だった。真っ暗な長い廊下は大丈夫かと思うくらい歪んでいた。萌えた。とにかくすべてのものが本物にしか醸し出せない風格があった。係りのおじいさんに「あっちよりこっちの方がいいですよ」と言うと、「暖かみがあるでしょ」と言われた。まさにぴったりの表現だった。あと500年経ったらわかる。どっちがすごいのか。
 20年ぶりに公開されている東十八間櫓を見学した。ここも昔のまま。どんなに立派な建物でも、年季には敵わない。
 別の再現された櫓で西南戦争特別展をしていた。熊本城が西南戦争の舞台になったことはほとんど知られていない。おそらく語るべきものではないのだろう。西郷隆盛はロシアが朝鮮を狙ってるから、日本が朝鮮を制覇するべきだと主張した。それに対して大久保利通はまずは富国強兵すべきだと唱えた。結局、征韓論は敗れ、西郷隆盛は辞職した。政府が薩摩から武器を取り上げようとしたときに、部下がこれを阻止したため、西郷隆盛は戦わざるえなくなった。西郷隆盛は死に場所を求めていたのかもしれない。その後の歴史を見ていたら、結局ロシアや清と戦っている。征韓論は先進的な考えだったと言えるのではないだろうか?
 熊本市近代美術館に行った。金沢の近代美術館が面白そうだったから触発されたのだが、展示がどれなのかよくわからず、単なる図書館のように見えた。なんだったんだろう?
 18時「憲晴百」。いつもの店に落ち着いた。ホントは太田和彦セレクションに行こうとしたが、大した店がなさそうで。熊本にはこんなにたくさん店があるのにセレクションがないのも驚き。いつもの馬刺、レバー、からしれんこんと軽いカウンタートーク
 宿泊は「東洋イン」。ラーメンを食べにいこうと思ってたら、いつの間にか寝ていた。