びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/09/09(日)「旅行」

 18きっぷ最後の1回は散々迷った挙げ句、富岡製糸場にした。始発でスタート。4時間も寝てない。さっさと寝ればよかった。
 千葉みなと―東京―赤羽―高崎―上州富岡下仁田―高崎―赤羽―池袋―新木場―千葉みなと。
 高崎からの上信電鉄は2回目。前は大学友人Sと終点の下仁田でこんにゃく懐石を食べた。今回は途中の上州富岡が目的だった。フリー切符を買うと、銀河鉄道999のラッピング車両が今日で最後らしかった。9月9日だから。私は車両には興味がないので、変な日に来たなあと思った。電車の中では高崎駅の駅弁「とりめし」を食べた。初めて食べるわけではないが、意外においしかった。
 富岡製糸場のことは教科書で知ったんだと思う。明治時代に欧米に必死で追いつこうと近代化を進めた時の例として挙げられる。世界遺産に登録しようとしていることを聞き、まだ現存していたのかと驚いた。上州富岡の駅から10分ばかり歩くと、入り口と赤煉瓦の建物が見えてきた。建物は長さ100mを越える細長い2階建て。今までみたことのある建造物とは明らかに違った。この建物以外にもほぼすべての建物が明治時代のまま残っていた。9時半より無料ガイドさんに案内してもらった。ガイドさんは地元のボランティア。うちらの班は年配のおじさん。歴史的な経緯から数字をまじえながら非常にわかりやすく説明してもらえた。約50分があっという間に過ぎた。
 富岡製糸場は明治5年に建てられた。当時の建設中の写真ではまだちょんまげの侍が写っていたりする。日本が外貨を稼ぐために、輸出品の一番は絹だった(二番はお茶)。女工が紡ぐ糸の太さはバラバラで、外国からはなんとかしろと言われていた。日本政府はフランスの技師を雇い、富岡に製糸場を建てた。当時煉瓦を焼く技術がなかったから、建物に使われている煉瓦の大きさは不揃いだった。また煉瓦の積み方は強度の出ないフランス積みという方法を使っている。天井はそれまで日本になかったトラス構造であり、ボルトはまだ六角ではなく四角だった。これらのように建築物として非常に珍しい造りをしている。富岡製糸場は横須賀製鉄所に次ぐ日本で二番目の近代的建物だそうだ。
 富岡製糸場は官営であったが、後に民間に払い下げられた。三井家から原合名会社に移り、最後は製糸最大手の片倉工業になった。富岡製糸場は1987年に操業を停止したが、その後も片倉工業が建物を維持した。よく今まで維持したもんだと思う。うちも似たような歴史があるけど、こんなにも残ってなさそうだもんな。
 富岡製糸場の建物は現役で使われていた期間が長かったこともあり、普通の会社の事務所と工場という感じだった。ただ建物が今まで見た中でも古い感じで、それがまとまって残っているのが珍しかった。製糸という分野も特殊さに彩りを添えているように思えた。蚕の繭からあんなにきれいに糸が採れるのは今考えても不思議だ。糸と糸を接着している成分が熱水で溶けるらしいのだが。
 富岡製糸場を後にしたのは11時半だった。かき氷を食べて、終点の下仁田に向かった。下仁田では再びこんにゃく懐石を食べた。酢味噌で食べた刺身が忘れられなかったのだ。雰囲気のいい部屋で、おいしかった。でも、3000円は高いかな。
 下仁田駅に戻ると999のラッピング車両が停まっていて、人がたくさんいた。それを避けるように1本前の14時ちょうど発で高崎に戻った。眠くてうつらうつらした。でも、帰りはいいのだ。
 18時に池袋で大学友人Sと待ち合わせた。「とり鉄」。どちらかと言えば、乗り鉄ですがなにか?今回は久々にカラオケに行った。ぎりぎりまで酔っぱらった。