びーの独り言

どこいくの?どっか。

2012/08/13(月)年休「旅行5」

 朝5時に「東横イン」のロビーで大学友人Sと待ち合わせ。
 宮崎―志布志→垂水港→鴨池港→鹿児島中央→城山→仙巌園鹿児島中央天文館鹿児島中央―川内。
 宮崎と志布志を結ぶ日南線も2回目。ここもまた風光明媚な路線。山と田んぼと時折海が見える。海が近いからかなんとなく明るいイメージ。初めて乗るはずのSはここでも寝ていた。
 志布志から垂水まではバスで移動。2回目だからワクワク感はなかった。前回と同じく大隅線の廃線跡を探したり。特に鹿屋では目を皿のようにして。でも、移動しながらではよくわからなかった。
 垂水港からはフェリーで鴨池港へ。鮮やかなディープブルーに輝く海、晴れた空、そして雄大桜島。素晴らしい景色だ。鹿児島にやってきたという実感が湧く。
 鴨池港で指宿枕崎線に行くSと分かれた。冬に指宿は回り尽くしたので枕崎まで行く気が起きなかった。こっちは鹿児島観光することにした。鹿児島には非常に観光スポットが多い。島津家、西郷隆盛桜島など。巡回バスが数種類あって観光の足がとても充実。
 目的地へ行く途中でバスはいくつかの観光スポットを巡った。それで初めて西郷隆盛銅像を見たり。またバスが城山へ寄ったので降りてみた。城山からは桜島をバックに鹿児島市内が見渡せた。多分有名な展望スポットだ。どこかで見たことがあるような?とてもスケールの大きな景色だった。
 目的は仙巌園と尚古集成館だった。仙巌園は島津家の別邸で一時住んでいたこともある場所。御殿が500円で公開されていて、着物のきれいなガイドさんに説明してもらえた。技法を尽くした凝った造りであり、今まで見た中で一番立派な建物だった。よく考えればお殿様の住まいだもんな。尚古集成館は江戸時代から明治に移り変わろうとしたときに、外国に対抗するために大砲を製造する反射炉や機械の製造などを行っていた場所のことで、今は島津家の歴史が紹介されていた。島津家は鎌倉時代から家系が続いている珍しい家である。日本史の中で島津家が出てくるのは、関ヶ原の戦いで西軍側につき、敗走する際に敵の陣地を突っ切ったこと、それから明治維新のときであり、薩長同盟や薩英戦争などである。江戸時代島津家は琉球を統治していた。鎖国の日本にありながらも外国の状況を把握していた。したがってどの藩より早く工業化を進められた。展示ではとにかく島津家のことを礼賛しており、今の日本があるのは薩摩のお陰であるとまで解説されていた。そこまでは言い過ぎだろうが、世に与えた影響はかなり大きかったことは間違いない。技術の発展がなければ明治維新だって成立しなかったかもしれない。教科書レベルでもう少し取り上げてもいいんじゃないかと思った。
 本当は西南戦争について知りたかったが、時間がなくてとても回れなかった。また来ないといけないなあ。
 夕方鹿児島名物黒豚に挑戦することにした。黒豚には味に癖があるような気がして印象はよくなかった。悔いを残さないためにもおいしいと評判の「黒福多」へ行った。場所は天文館、開店の17時半すぎに行くと運よく入れてもらえた。他は全て予約の客でうまっており、後から来た新規の客は待たされていた。黒豚のしゃぶしゃぶを食べたのだが、めっさおいしかった。これはやばかった。一瞬にして鹿児島が好きになった。おいしいものは人を幸せにする。昨日の鳥といい、今日の黒豚といい、食べもしないのに判断しちゃだめだよな。ああダイエットしなきゃいけないのにこれじゃ食い倒れ旅行だ。南九州ばんざい!
 鹿児島中央駅の駅ビルでTシャツが足りなくなったので一枚買った。普通のTシャツだけど、これを見るたびに鹿児島を思い出すだろう。
 宿泊は川内の「東横イン」。ビールを1杯飲んでたが、お腹がたぷたぷしてしまっているので無理矢理走りに行った。身体が重いとかそういうのじゃない。走ると書く自体悪い冗談。足が前に出ないから汗もなかなか出てこない。まったくダメ。30分で切り上げた。