びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/11/01(土)「帰省①」

 この帰省は3809に促され、たまには麻雀もいいかな、と思いたったものだった。しかし、環境計量講習の後、すっかり意味が変わってしまった。会いたいから会いにいくのだ。
 11時すぎ、新幹線で名古屋。ここから初めての関西本線、全国乗り回しの一環。2両編成。なんだこのローカルさは。近鉄と併走。あちらは6両だった。地上で最も低い駅弥富はなんのへんてつもない普通の駅だった。富田駅では三岐鉄道の施設が残っていた。このあたりは貨物が優勢らしく、駅には貨車が停まっていたし、工業地帯に向けて引込み線が伸びていた。四日市乗換え。ここから分岐している伊勢鉄道は全く存在感がなかった。いずれ乗ることになるだろう。関西本線をさらに亀山まで。30分待ち。1245発加茂行きに乗車。山の中とは覚悟していたが、想像以上だった。単純に帰省してるだけなのに、どうして私はこんな山奥で電車に乗ってるのか?プチ旅行してるようで得した気分になった。柘植に到着。滋賀時代に訪れたことがあるのでどこか懐かしく。いよいよドキドキ感が高まった。一体どうなるのか予想もつかなかった。
 1328伊賀上野下車。まさか私の人生の中でこの駅で下車することがあるとは。古びた木造の小さな駅舎。改札を抜けると待合室、いないなあ。外はロータリーになっていた。次々と到着する車。でも、フロントガラス越しに見つけることはできなかった。すると、少し前方に割り込めない車。私は右を見てた。忍者をデザインした電車。伊賀鉄道だ。割りこめない車が目の前にやってきた。運転席からDさんが降りてきた。とても明るいノリ。こんなに明るかったっけってくらいのノリ。どうやって話し繋げようかとかそういう不安は一瞬にしてなくなっていた。オーラが違った。
 車に乗って国道163号線を行った。ミスチルが流れていた。あまりに話が弾むので驚いた。この世にこういう人もいるんだなあ。「いいなあ、いいなあ」というフレーズが心地よくて仕方なかった。全く景色なんて覚えてなかった。既に奈良の観光ガイドブックも2冊ほど用意されており、至れり尽くせりの高待遇だった。木津からJR奈良線をくぐり左折、奈良方面へ。市街地に近づくと観光客が増えていった。駐車場はどこも満車。ぐるぐる回りながら、奈良町に落ち着いた。
 池のそばを通り、興福寺五重塔を横目に、右折して地下道をくぐり、奈良公園へ。たくさんの観光客で賑わっていた。ちょうど博物館で正倉院展をやっていた。天気がよく芝生もきれい。鹿があっちこっちにいた。ぼんやりとしてる鹿たち。どこか愛らしかった。やはり奈良と言えば大仏、東大寺へ。南大門はでかかった。両側に吽形と阿形、どちらがどちらかわからず。中門を抜けると大仏殿、やっぱでかかった。500円を払い中へ。観光客がひしめきあってシャッターを押してた。ご神仏を写真に収めていいのだろうか?大仏は高校1年の頃、奈良ユースに泊まって以来、約20年ぶり。記憶の中の大仏とはずいぶん違って、まるで初めて見るようだった。思ったより小さくて、アレっと思った。でも、近づいて見上げてるうちにどんどん大きくなった。人々を救うために建立された大仏。人々の思いが詰まっているのを思うと、ありがたく思えてきた。
 大仏殿を後にすると、いい時間だった。境内のせんべい屋は店じまいしていた。南大門を出たとこのせんべい屋は開いていた。150円で鹿せんべいを購入。その直後から鹿の猛烈アタックが始まった。鹿の圧倒的な圧力にタジタジ。逃げても追っかけてきた。昨日買ったカバーオールが噛まれた。高かったのに何するんだ。Dさんが笑っていたので半分あげた。でも、なぜか私の方に寄って来る鹿たち。人間様には人気がないのに、鹿には大人気な俺。最後の一枚は、あげると見せかけてひっこめてみたり。
 夕闇が迫り、観光雑誌を見ながら、夕食の場所を選んだ。奈良町へ行き、商店街のオムライス屋に入った。Dさんは焼肉オムライスで、私はトマトオムライス。味は・・・だったが。18時すぎ、「これからどうします?」と聞かれて、まだ帰りたくなかったので、「奈良町をぶらっとしませんか」「じゃあ、8時くらいまで」ということになった。先に駐車場に戻り荷物を取りに行った。そこで忘れないうちに千葉みやげのびわプリンを渡した。B級なおみやげにウけてくれた。奈良町は狭い路地が中心で複雑に入り組んでいた。そこにはいろんな店があったが、残念なことに夜になってたので閉まっているとこが多かった。それでもいくつかの雑貨屋に入ることはできた。楽しかった。背の低いDさんがうろうろして微笑ましかった。買ったのはおかきだけだった。想い出に残るようなグッズは買わなかったし、カメラは持っていたものの写真も撮らなかった。それには理由があった。
 突然、右手に近鉄奈良駅の階段が現れた。それは別れの時間がきたことをあらわしていた。階段を降り、改札前の切符売り場で切符を買った。Dさんは近くでなにやら買っていた。私はずっと最初から一つのことを決めていた。Dさんは袋を抱えて、意外なことに私にくれた。「これプリンのお礼です」とプリンをもらった。思わず驚いた。私は強引に切り出した。「つきあってる人います?」、Dさんはほんの少しの間の後、首を縦に振り「うん」と言った。「まじで」、自分でも驚いた乱暴な言葉。もう一度「うん」。思わず天を仰いだ。「あー、残念だなあ」、動揺を悟られないようにしても、瞼が熱いというか。「優しかったから」「おやじっぽいって言われるんですよ」「そんなことない。今回はお礼で来たんだから。」、なんてやりとりがあったが、詳細はよく覚えていない。いい笑顔を見せられ「また遊びに来てください」という言われて別れた。
 20時前、帰りの電車。端っこの席に座り、鉄棒を抱いていた。頭を抱え、髪の毛をかきむしっていた。目の奥が熱い。なんともいえない感情。払拭するために本を読もうかと思ったが、この感情を大切にしなきゃいけないと思った。いろんなことを考えていた。ベストを尽くした。それでダメだった。仕方ないじゃん。そんな割り切りとは別に、自分の人生を遡っていた。ふられるパターンが決まってる。特に理系に魅かれているのだ、ということは、この10年間、私は何も変わってないのでは。今まで無為に過ごしてきたのではないか。いや、ネガティブに捕らえても仕方ないさ。今までの反省はあるにせよ、これからどう変わっていくかが重要じゃないか。素晴らしい出会いだった。眠ってた感情が目を覚まして良かった。この感情、この次にどこへ向うかが重要だ。生駒トンネルを抜けた電車は石切をすぎて、ふいに夜景が見えた。私の好きな生駒からの夜景、近鉄から見えることに驚いた。
 鶴橋から梅田に出たのは21時。ふいに飲みたい気分になった。予定外のtamayanに電話して実家で待ち合わせることにした。独りで「mack」で1時間ほど飲んでから、23時に実家に戻ると、tamayanから電話があって、緊急の仕事が入ってキャンセルになった。
 プリンは3つ入っていた。蓋には大仏の絵が描いていて、大仏プリンとなっていた。味はカスタード、大和茶、地酒。酒を飲んでいたので、地酒を食べた。コクがあるけど、さっぱりしておいしかった。