びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/05/15(木)「独り言」

 自分の実験結果を誰かに説明するのは、原始人にデジカメを教えるのと同じである。新製品開発においては、相手に理解できるようなことをやっていてはいけない、と言われることすらある。知識の量において、上司が部下にかなうわけない。しかし、うちでは上司が絶対。上司に説明できないときは、理解できない方が悪いのではなく、うまく説明できない方が悪い。意図を伝えることができなければ、何もしてなかったのと同じ。すると、説明する方は意図を伝えるために多少事実を歪曲しだす。最近のマスコミと同じ。
 変な人がいるとする。彼はみんなから変だと言われる。10000人いて1人だけ違うことをしてる。それが最先端のことだったら、彼は変だろうか?変なのはみんなじゃないのか?将来、自分に部下ができたとする。彼はわけのわからないことを言ってくるかもしれない。そのときに変なのは彼だろうか。私だろうか?
 人の考えが自分と違うのは当たり前。そこは尊重しなければいけない。けれど、彼のことを理解できなくても、信用できるだろうか。これは非常に難しい。人は直接経験したことしか理解できないのだ。新入社員当時、年輩の人を見て疑問に思った。どこかつまらなさそう。けど、今ならわかるような気がする。結局のところ実際にその立場に立たないとわからないのだ。それでもわからなくても理解しようと努めなければならない。そのためにはたくさんの経験を積まないといけない。
 その立場や年齢に応じて、みんな頑張っててそれ相応の努力で正しいと思ったことをやっている。自分が理解できないからって他の人を容易に批判してはいけない。批判はその人の心の中にしみこんで暗い影を落とす。つまらないことで敵を増やすべきではない。けれど、理解を示している人に容易に近づくのもよろしくない。甘言を弄する人は何かを狙ってる可能性が高い。こうなると社内では黙りたくなる。けれど、独りでは仕事はできない。ぶつかることを恐れてはいけない。意図を伝えられなければ、存在価値はない。信頼は長い時間をかけて積み重ねるものだ。
 突き詰めれば暗い考えにしかならないし、笑った方が愉快じゃないか。嘆きや悲しみは何の役にも立たない。弱気は周りに伝播する。だから、リーダーは笑って旗を振る。それとも、事実を歪曲したり、甘言を弄したり、言い訳の開発?で、成果物マダ?