びーの独り言

どこいくの?どっか。

2007/09/21(金)「独り言」

 人であるということが人生方程式を解く上での一つの条件であると思う。人間という存在であることが何かを指向している気がしてならない。たまに同年代の人が似たような考えを持っていて驚くことがある。人の思考プロセスなんて実に似てるんだな。もし、自分が別の職業を選んでいたらアイツみたいになってるだろうし、結婚して子供がいたらアイツみたいなことをしてるんだろうな。人の営みなんて基本的に同じ歴史を繰り返してきてるんだ。
 歴史を学ぶことは人を知る上で重要である。個人的興味があって化学史に触れる機会が多いのだが、そこに描かれてる姿は新技術を認知させることがいかに難しいかを物語っている。人は保守的なのである。安心したいし楽したいのである。過去の延長である未来は受け入れるが、突如として現れる新技術に関しては抵抗を感じる。新しい考え方が正しかろうと理解できる人がいなければまず支持されない。極端な例として、原始人にデジカメが理解できるだろうか?
 自分の価値観を変えていくことができなければ研究も開発もできない。人を説得する前に自分が変わる方法を知らなければいけない。誰かを説得するときに自分の好物を考えても人は動いてはくれない。上司を説得すればいいなんて思ってたら、じゃあ君がやってくれ、と言われるに違いない。失敗の責任は取らされて、手柄は持っていかれる。権限がないようなところで提案することは越権行為にすぎない。自分でできるところは自分でやればよい。誰だって人の仕事をやるよりは自分の仕事をしたいはずだ。
 経済という価値観が支配する現代社会では、停滞は悪である。今までは未来への成長という担保を自信に生きてきたけど、35歳にもなってくると維持するだけで精一杯になってきた。そこで先人は知恵を働かせて、年をとれば権力を握る構造を作りだした。彼らは大事なところは教えないことによって利益を得ている。もし、額面どおりの実力社会ならば、年寄りは一掃されてしまうだろう。これから先はそういう動きが盛んになるのかもしれない。私たちの年代から下は難しい舵取りを迫られている。今後の保証もないのに絞れるだけ絞られているのである。都合よく使われた挙句に飼い殺しにされるのだけは勘弁である。
 会社に全て頼っていては、世間に放りだされたときに溺れるしかないだろう。社内を基準にするのではなく世間を基準にとりたい。裸になったときの自分を鍛えたい。心技体の充実。