びーの独り言

どこいくの?どっか。

2008/04/18(金)「独り言」

 ルールでは、実利が重んじられるが、感情については考慮されてないような気がする。例えば、誰かにつきまとわれたりすれば、心の平穏がかき乱されてしまう。でも、実害がなければ他人は動いてはくれない。心を乱されてることに関してはその時間は保証されない。時間は何者にも代えられない。だから被害者はお金を出してでもその状況が続くことを終わらせたいと思うかも。被害者は基本泣き寝入り。セクハラ関連については被害者の方が被害にあったと感じれば勝つことができるかもしれないが、その他のケースでは容易に脅しが成立する。
 殺人事件が起きたとして捕まった犯人が本当に殺したかどうかはわからない。目の前で刺す現場を見ない限り、第三者が判断することは不可能。それでも法で裁かなければいけない。検察側と弁護側で著しく主張が異なるケースでは、いくら両者が訴えたところで、最終的には裁判官が信じるか信じないかの争いになる。充分な証拠や情報があるわけではない状況でも判断は下される。できるだけ公平に扱われるが、過去の経験に基づく確率的なものに従ってるだけで、本当に公平かどうかはわからない。
 誰しも揉め事には巻き込まれたくないと思う。巻き込まれればいいことなんて一つもない。長い間そのことで心を痛めれば時間がもったいない。いたずらに他人と関わることは揉め事に繋がるかもしれない。人を信用できるかどうかは、見た目や言動である程度判断できるが、詐欺師のプロは言葉巧みに信用させるとこから始める。「なんで騙されたのか、アホだなあ」って思うのは浅はかで、弱点を衝かれれば誰だって落ちる。自分だって知らないだけで騙そうとは思ってなくても結果そうなってしまうこともある。
 主張というのは自分のわがまま。自分の主張で人がどうなろうとそれは最終その人の問題。人に対する主張というのは実に軽々しい。そのくせ言葉には特別の力が宿っている。言霊とはよく言ったものだ。人は耳にした言葉をまずは信じたいと思う。だから、口コミにも弱い。「お前が勧めるから買ってみたけど、いまいちだった」って言えば角が立つので、「あの点がなかなかいいねえ」と褒めたりして微妙にごまかす。気持ちのいいことばかり言ってる奴は要注意。何か別の思惑があるのかもしれない。こいつのこと100%信用なんてのはありえなくて、どこかでブレーキがないと壊れた車と同じである。
 黙りたい。けれど、しゃべりたい。だからブログ。