びーの独り言

どこいくの?どっか。

2007/09/12(水)「独り言」

 滋賀だけが特別であるかという質問に対しては、正直わからない。ただ、滋賀とかうちの会社に限らず、世間を賑わしている企業倫理に関する不祥事を見ていると、日本全体がそういう空気であると言える。サプライチェーンの概念が言われるようになって、品質に関することは下請け企業に丸投げされるようになった。最下層の人たちは逃げ場がなくなり、鬱病になるか会社を辞めざるえなくなった。どうせ会社を辞めるなら内部告発してやれということでたまに新聞沙汰になるのだろう。そんなことをしたらきっと社会的に抹殺されるのに。組織なんて、みんなが助かるなら少数は生贄になって構わないという考え方。誰だって誰かが不幸になったとき自分じゃなかったので良かったと思うだろう。これって肉体的な命のやりとりじゃないけど、対象になってる本人とっては死角問題。会社を追い出されると確実に苦労は多くなり給料は安くなる。この図式で得をしているのは一体誰だろうと考えれば裏の意図がわかるような気がする。
 自分の行動のほとんどが誰かの意図したとおりに操られている。自分で選んだんだという選択ですら怪しかったりする。先人が頑張ってそういうシステムを作り上げたのだ。若い人は苦労するようにできている。外国に行くくらいしか脱出できない。これは世代間闘争に他ならない。やがて自分も年をとる。考えも変わっていくのだろうか。
 人間は罪深い。知らぬ間に誰かを傷つけている。傷つけられもするので50/50だが、たまに致命傷を食らうことがある。致命傷は一撃でおしまい。こちらには反撃の機会すら与えられない。もし、裏切り行為を受けて修復不可能なダメージを負ったとしたならば、疑い深くもなるし慎重にもなって当然。いつ運悪く死ぬかわからないので、目の前の好物はさっさといただくに限る。お金はできるだけ早く借りて遅く返すのが基本みたいだし。
 生きてるうちに楽しみを享受したい。楽しいってなんだろうか。それは個人個人の感覚、自己満足がえられるかどうか。無我というか夢中というか。悪いことをしてても満足してたらその瞬間は幸せじゃないかな。良いことをしても辛かったら楽しくない。楽しいというのは相対的なもの。何かと比較して幸せだと思い込もうとするのである。ずっと不幸だと思うのはパワーがいるから自己防衛機能が発動するようにできている。順応するというか諦めるというか。だから、逆に自分の意識レベルを低くして我慢することも大切。例えば、3日間飲まず食わずだったら、きっとなんでもご馳走のはず。また、幸せだと思うのと同時に次を目指さなければいけない。満足してしまうと成長がなくなるから。満足していながら満足しないというのが極意。