びーの独り言

どこいくの?どっか。

2007/08/23(木)年休「旅行⑤」

 網走から石北本線を西へ。北見で快速に乗り換えて旭川へ。途中、遠軽スイッチバック、見逃したorz。旭川までは6時間かかった。旭川から宗谷本線で北へ。名寄で乗り換え。かつて東西南北に伸びていた線路は南北だけとなり広い空き地が広がっていた。待ち時間を利用して稚内の宿を予約。そこで衝撃の事実を知った。最北端に行こうと思っていたが、稚内駅からは30km以上離れているとのこと。てっきり近いと思いこんでいたけど、それはノシャップ岬であって、宗谷岬ではなかった。日程的に寄り道は不可。宗谷岬は泣く泣く断念することにした。一度行ったことがあるのがせめてもの救いか。さて、列車は音威子府でさらに1時間待ち。ワンウェイのくせに1時間も待たせるなよ。かつての道北中心の駅は、大規模な車両基地や宿泊施設があって交通の町として栄えたのだが、分岐していた天北線は廃止されて、今はだだっぴろい空き地と化していた。パネル展示があって、戦後すぐ200人いた小学生は今や4人。過疎化が進んでいる様子がよくわかる。音威子府から先は物凄い山。客も旅行者3人のみ。さびれている。やがて天塩川沿いと平行に走った。よくこんな崖みたいなところに線路を通したものだ。宗谷本線は天北線より遅れて整備されたと記憶している。確かに稚内への距離は近いかもしれないが、走ってる場所はとても険しい。幌延を通過、7年前に少し南の天塩にあるFさんの実家にお世話になった。そんとき以来、なぜか幌延という地名をずっと記憶している。なんでも放射性廃棄物の処分場を建設するとか。地図で見ると相当北に位置する。しかしながら、稚内はまだまだ1時間以上も先であった。待てども待てども稚内にはたどりつけず。稚内は相当に遠い。やっとこさ着いた稚内は意外に大きな町だった。人口は4万人いるようだ。根室と違い雑居ビルが多く活気がある感じだった。宿は「氷雪館」、初の和室。フロントで店を聞いて、居酒屋「車屋源氏」で刺身定食。おいしかったけど店の雰囲気がイマイチ、それにボラれた感じ。網走の方が豪華だったなあ。