びーの独り言

どこいくの?どっか。

2011/08/09(火)年休「旅行4」

 7時食事で増毛駅0745の電車で慌ただしく出発した。お世話になった一休さんと握手を交わして来年も来ることを約束した。増毛駅の角に来るまでずっと一休さんは手を振っていてくれてた。そういえば昨年もそうだった。人は出会いやがて別れる。こういうのに私は弱い。
 増毛駅には一足早く学生さんがいた。2人でしゃべりながら移動した。留萌に近づいたとき、「この車両ってゼロ系の改良ですよね」と言われた。車両には興味がないからわからなかったが、確かにローカル線に不釣り合いな灰皿と引き出し付きのテーブルがひじ掛けのところについていた。灰皿を引っ張ろうとしても出てこなかった。テーブルも同じだった。すると「テーブルは出ますよ」と別の学生がやってきた。聞けば、留萌から増毛に来て折り返してるとか。学生2人とも滝川から新十津川ルートだったり、車両に詳しかったりした。増毛で出会った学生は真布で降りていった。「秘境駅回ってるの?」と聞くと「サークルの名前なんです」。留萌からの学生は深川で特急に乗っていった。滝川から日本で一番長い普通電車に乗るらしかった。
 旭川からは宗谷本線で北上した。乗るのは3回目になる。旭川から名寄の間には塩狩峠がある。ディーゼルカーが速度を落として一生懸命上っていった。こういう峠越えにはつい萌えてしまう。名寄では宿の都合上1本ずらした。その間に郵便局で金をおろした。名寄からは稚内行きに乗った。音威子府で90分待ちだったので名物の黒いそばを食べた。音威子府からは天塩川に沿って進んだ。原野を流れる大河、手付かずの自然が残されていた。
 1802豊富駅に到着すると「あしたの城」のおばちゃんが迎えにきてくれていた。車はサロベツ原野を走った。何もないだだっ広い野原、日本にこんな場所があったんだなあ。オホーツクの原生花園と同じだったが、なんせ広かった。「あしたの城」はサロベツ原野の中に建っていた。とほ宿らしからぬ凄くきれいな建物からはサロベツ原野が見渡せた。とにかくすごい景色だ。寝室はベッドで、荷物から既に2人いることがわかった。1人が帰ってきたので挨拶するとなんと宗谷岬から青森を目指すランナーだった。すぐに夕食になった。ここの名物は牛乳鍋だった。私は有楽町のミルクワンタンを知っていたから期待してなかったが、ベースがベースだけにそういう味だった。宿泊客は15人くらいいただろうか。一般人が多くてあまりとほ宿という感じがしなかった。隣は富田林の濃厚な女性だった。旅についてずっとしゃべって楽しかった。一旦風呂の順番が回ってきたので風呂をいただいた。後半戦は場所を変え、その女性とランナーさんと大学教授夫妻とオーナーさんとしゃべった。ランナーさんが質問攻めにあって「どうして走るんですか」と聞かれて「走ってると日常がいかに恵まれてるのか実感できるんです。今日もお酒は飲まなくていいかなと身体が言うので飲めるけど飲みません」、かっこいいなあ。あこがれるなあ。理想の姿だよなあ。旅行者は旅を楽しむ人たちが集まっているけど、そのレベルを完全に凌駕してしまっている。自分の体調と向き合い自制しながら目標に向かって走る。文字通り自分の足で旅をする、これこそが本当の旅だと思う。オーナーさんに「オーナーさんって旅人だったんですよね。」と聞くと「とほ宿のはしりは「トシカの宿」で、そこでヘルパーやってたんだ。もう30年になるけど、昔のとほ宿のオーナーは自分で家を建てたり改造した人が多いんだ。」、とほ宿ってかなり歴史があるしすごい人の集まりに思えてきた。大学教授夫妻はオールドを持ち込んでいて最後には3杯もいただいていた。23時終了。