びーの独り言

どこいくの?どっか。

2022/08/19(金)年休「旅行9」

 5時半、起床。ここは静かで本当にぐっすり寝た。浜頓別で買った枕がいい感じだった。車中泊、まったく違和感がない。6時半に出発。
 昨日のセイコーマートに行った。ホットシェフのおにぎりは、おいしかったのでまたベーコンおかかにした。650、再出発。
 今日は2115発のフェリーに乗るため18時頃には苫小牧に着かなければならなかった。まず留萌本線廃線部分を探索し、続いて廃止予定部分を探索した。その後は札沼線の昔に廃止された部分、最近廃止された部分を探索した。
 まずは留萌本線の廃止区間を探索した。留萌から増毛の間は2016年12月に廃止された。この区間はずっと日本海に沿っていて、本線と言いながらも遊園地のアトラクションのような頼りない路線だった。北海道の難読駅名はなんとなく命名に法則があるのだが、ここのはどれにも属さないような名前ばかりだった。
 715、箸別駅(はしべつ)。725、朱文別駅(しゅもんべつ)。735、舎熊駅(しゃぐま)。745、信砂駅(のぶしゃ)。どれも小さな集落の小さな駅であり、廃止されてそんなに経ってないのに、すべて空き地になっていた。
 国道に大きな橋があり、もしやと思ったら、廃線跡にも大きなコンクリート橋があった。また廃線跡は岬をトンネルでショートカットしており、国道脇に抗口が口を開けていた。
 8時、阿分駅(あふん)。ここも何にもなかった。
 815、礼受駅(れうけ)。貨車型待合室キター!地元の人がいて近づけなかったorz。
 825、瀬越駅(せごし)。ここだけは駅舎とホームがあった。実は昨日の夕方に通っていたが、まったく気づかなかった。海岸段丘の途中にあり、アクセスが不便そう。誰が利用してたのだろうか?
 845、留萌駅留萌本線の現役の駅だが、廃止が決まっていた。昨晩も訪れたが、駅員さんがおらずホームの写真が撮れなかった。若い男の子2人が駅の建物の写真を撮っていた。今日は駅員さんがいた。若い男の子たちが入場券を買っていた。私も入場券を買ったら、北の大地入場券というものだった。200円。入場券てそんなにしたの?入ろうとしたら、駅員さんに「もうすぐ電車が来ますから、撮影は白線の外側でお願いします」と言われた。電車が来るとはラッキー。ホームのあらゆるものを写真に撮った。そこに電車がやって来た。電車からは同業者たちが降りてきて、撮影会となった。
 駅の立ち食いそば屋が開いていた。お客は4人もいた。おそらく同業者たちだろう。私もここのそば屋は気になっていたが、今まで食べたことがなかった。記念ににしんそばを食べた。つゆは焦げ茶色で味は濃かった。920に出発。
 ここからは廃止になる予定の区間を探索した。
 940、藤山駅。国道沿いで見つけた。寂しい感じで、使われてる感じはまったくなかった。
 955、幌糠駅。探すのが大変だった。貨車型駅舎。小さな集落の駅だった。
 1005、峠下駅。国道沿いの駅。周りに人が住んでなさそうだった。まさかの同業者がいて驚いた。なんでこんなとこに?しかも、電車で来たんかい!千鳥型ホームの両方でお互い妙な緊張感があった。
 1015、恵比島駅NHKの朝の連続テレビ小説すずらん」の撮影が行われた「明日萌」駅のセットがあった。セットの前で若い男が幟を組み立てようとして、なかなか組み立てられなかった。思いっきり撮影の邪魔だった。セットの中に入っていいか聞くと、「まだ開店してないので」と冷たくあしらわれた。この男はいつまで幟を組み立てており、何か様子がへんだった。
 ここには本当の駅舎もあって、貨車型待合室をセットで木造に見せていた。
 1035、真布駅。田んぼの中の駅。木造のホーム、待合室。昔、増毛に泊まった時に、大学生の男の子が「サークルの名前と同じだから明日行くんですよ」と言って降りていった。サークルの名前はMapと言うらしかった。何のサークルだろう?木造の待合室は扉のたてつけが悪くてなかなか開かなかった。中は木の香りがした。
 1045、石狩沼田駅。ここからは札沼線が出ていた。札沼線は札幌と石狩沼田を結んでいたが、1972年に札沼北線と呼ばれる沼田から新十津川の間が廃止となった。駅員はいない時間帯だったようだ。
 駅前には大きな観光案内図があった。目をひいたのは幌新温泉だった。ここには昔炭鉱があり、留萠鉄道が走っていた。留萠鉄道は恵比島駅と昭和炭鉱を結んでいた。幌新ではかつて三毛別に次ぐ羆害があった。気になったけど、今回のルートから外した。「歩鉄の達人」によれば、とんでもない山奥のようだった。準備もなく思いつきで行くと、雄別の二の舞になる恐れがあった。
 石狩沼田の駅前では、一年に一度のお祭りの準備をしていた。見たかったけど、帰らなければいけなかった。
 1105、石狩沼田のセイコーマート石狩沼田駅の北の大地入場券を買った。それからアイスコーヒーを飲んだ。めっさうまかった。
 1120、雨竜川を渡る大鉄橋。これもそのうち捨てられるのだろうか?
 11時半、北秩父別駅。迷いまくった。木造の待合室は真布駅と似ていたが、崩壊の恐れがあり立入禁止となっていた。
 1140、秩父別駅秩父別はそこそこの街だった。ホームではおじさんとおばさんが話していた。花壇があり、花が咲いていた。どうやら花の世話をしてたようだった。
 1155、北一已駅(きたいちやん)。風情のある木造駅舎だった。人気はないが、きれいな花が咲いていた。
 軽く回るつもりが一駅を除いて全部回っていた。石狩沼田、秩父別以外はほとんど利用がなさそうだった。
 1220、北竜町のひまわりの里。2000年の時から気になっていた。ここにはたくさんのひまわりが植えられていた。来るのが遅かったのかひまわりは元気がなく、枯れてるのもあった。他の区画に行くと、比較的よく咲いていた。写真ではきれいだなと思っていたけど、実際はいいとこの切り抜きだった。
 記念にひまわりの種を砕いて配合したソフトクリームを食べた。少し香ばしかった。1315、出発。
 ここからは1972年に廃止された札沼北線を探索した。札沼線は札幌と旭川を結ぶ函館本線と、石狩川を挟んで並行しており、函館本線にバンバン特急が走っていたため、札沼線沿線の人は函館本線に乗ってしまった。
 13時半、雨竜駅。小さな石碑と、手動式信号機があった。この辺りは田んぼばっかりだった。
 1355、徳富川に架かるガーター橋。「歩鉄の達人」によれば札沼線最大の遺構とのこと。
 14時、新十津川駅。長く札沼線の終点であり、一日3往復しか来ない駅として有名だった。最終盤は1往復となっていた。私は3回くらい来たことがあった。木造の駅舎は失くなっていた。路盤にはショベルカーが入り作業の真っ最中だった。敷地は新十津川村に寄付され、村は街を分断していた路盤を撤去する方針。
 1435、下徳富駅。田んぼの中。駅舎もホームも取り壊されていた。工事の人はいなかった。
 1450、南下徳富駅。田んぼの中。駅舎もホームも取り壊されていた。ショベルカーの人がこちらを見ていた。
 1410、於札内駅。駅舎、ホーム、レールすべてが残っていた。柵はあったが、工事はまだだった。
 1520、鶴沼駅。 駅舎、ホーム、レールすべてが残っていた。柵はあったが、工事はまだだった。
 1535、浦臼駅浦臼町の中心駅。写真で見ると立派だったが、実物はコンパクトだった。人が来なさそうな中心駅だった。
 札沼線の探索は終わってなかったが、そろそろ苫小牧に向かうことにした。道央自動車道美唄ICから乗った。片側二車線だった。ナビの説明がおかしくて、間違って札幌の近くで降りてしまった。高速に乗り直して、苫小牧中央ICまで。17時半過ぎ。苫小牧西港シルバーフェリー乗り場に到着した。車の停める場所がわからなかった。
 フェリーターミナルでジンギスカン定食を食べた。肉が小さくて野菜炒めだった。肉もあんまり味がしなかった。トシカの宿とは大違いだった。
 20時頃に乗船した。2等寝室A。個室はオートロックでとてもきれいだった。テレビはなかったけど、阪九フェリーよりも広かった。風呂は行きと同じで狭かった。
 今日は適当だった。きっと道東道北以外に燃えないのだろう。