びーの独り言

どこいくの?どっか。

2007/08/12(日)「独り言」

 最近、車に乗ってると、あと3秒後にぶつかって死ぬかもな、などと思う。そう考えれば、死ぬということはとても身近にあるんじゃないだろうか。疎遠になって二度と会わないような人は私にとって死んでるのと同じような気がするし、寝てる間は死んでるのと同じだし、何もしない休日も死んでるようなもんだし。意識しなきゃ死んでるみたいな。
 人生の半分くらいを過ぎて人生の大半が決まったような気がしている。ああやっておけばよかったなあ、ってことを強く思うようになった。この年になると誰でもそう思うものなのかもしれない。チャンスには前髪しかないらしい。最近はその言葉がやけに気になっている。就職するために大学に行って、そっから先は真面目にやってきたつもり。でも、会社の理想像と現実の間には大きなギャップがあった。会社の中ではあまりにも無力すぎた。会社なんてなんでもいいやって思ったら、友人とは差をつけられてしまった自分がいた。結局、会社に飼いならされて駄目になってしまったのかも。
 教育ってのは実に微妙で、例えば部下に自分の仕事を伝授すると自分の仕事を奪われてさらに追い抜かれる可能性がある。日本なんてのはノウハウを決して口外してはいけないみたいな秘密主義的なところがあって、年功序列の文化が成立していた。それが、西洋の実力主義が輸入されてきて、年功序列が崩壊しつつある。人身掌握術のノウハウとかも本を読めばネタばれしている。本当の実力もなくて年だけとって上の地位で楽してた人間は、口であれこれごまかして部下を働かせるしかない。こんなのに真面目に従うと最悪ウツ病になる。自分の意識が飛んでしまえば、死んでるのも同じだ。
 会社というのがたいしたことがないと思うと、人生についても似たような気分になる。すっぱい葡萄の原理である。執着しなければ、裏切られたときのダメージは少なくなる。基本は、生きてるだけで丸儲け、である。そのうち車で事故ってしまうかもしれないし、会社で干されてクビになるかもしれないし、基本生かされている存在なのである。
 人生は不条理なもので真面目にやってれば報われるとは限らない。時にはその真面目さが仇になることさえある。だから、八分目くらいの力の入れようがちょうどいい。そのために「いい加減」という言葉がある。人生の方程式に解はない。3すくみ状態のバランス点があるかもしれないし、いくつかの準安定状態があるのかもしれない。結局のところ、過去に拘ったり、自分の不運を嘆いたところで何も始まらない。これから先に自分のできることをやっていく以外にないのである。やらないと報われることもないだろうから。ぼちぼちやっていきますわ。