びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/09/06(水)「講演」

 7月くらいから若手の人達が職場を盛り上げるためにいろんなイベントをやり始めた。ずいぶん昔に私もそういうのをやってたから、懐かしい感じがする。当時反応がなかったのが一番悲しかったが、今自分がその立場になったらそれもよくわかるというか。専門家でもない年寄りが確信がないのにあれこれ言うもんじゃないかなと。首を突っ込むと自分にも責任が出てくるし。
 今日は大学の凄く偉い先生が講演をされた。大学の先生は、実用化を考えなくても論文を書いていれば飯が食べていけるのかもしれないのだが、うちの会社は実用化をしてなおかつ収益を上げなければならない。なぜこのテーマを選んでるのかというところが改めて疑問どころか確信めいたものに変わった。というのも、やり始めた10年くらい前から課題とされてたいくつかのところが未だに解決されてないからだ。それどころかなんだかもう目先を変えるためか、別のことに取り組んでしまっている。当初の課題を解決できない限り、まったく箸棒だと思うし、私はその課題は物質の持つ普遍的な性質であり、それを解決した例を聞いたことがないことから、永遠に解決不可能ではないかと思っている。
 このテーマは社内にも秘密裏にやられてるので、内部でどんなやり方をしてるかがまったく見えなかった。そして、それは各方面からのチェック機能が働かないということでもあった。だから、外から見えないことをいいことに、都合のいいねじ曲がった解釈とかやりたい放題だったのではないかと思っている。10年経ったところでまったくデータの積み重ねがないのではないか?
 こうなってくるとずっと持論を主張しているだけの活動家となんら変わらないような気がする。物を作るのではなく、生活のために、何かしらファッションで働いてるふりをしている。大学教授だって、人との違う理論を唱えて、飯を食べてるわけだ。小保方さんだって元はそんな感じだったと思う。そういう意味では私だってファッションだ。同じ会社でたまたまポジションが違っただけで、彼らの姿は明日の自分かもしれない。彼らのやり方に異を唱えるならば、例えそれが技術論であったとしても、自分を殴ってるだけだ。私は誰かに意見を求めているだろうか?きっと外野は黙っておけと思う。彼らに意見するのは、俺はお前の先輩だから自分はこんだけ知ってるんだぞとアピールしたい、という自己満足の行為なのだ。そんなことをしても何か物事が前に進むよりも、トラブルのリスクの方が高い。結局、この会社生活においては、物を作るよりは円滑な人間関係を築くことが重要であり、技術論であっても相手を否定したり意見するのはライン上の関係者だけに口を出す権利がある。そういうことが見えてしまっているおっさんは何も言えなくなってしまう。
 活性化は相当に仕掛けをしないと難しいだろう。仕掛けというのはとどのつまり報酬か罰則である。明らかな利得がないと、このような活動は現れては消えてを繰り返すだけになる。もしかすると、現状に不満がある血気盛んな若者たちに会社というものをわからせるためにやってるのかもしれない。それを指示しているのも結局は年寄りなのだから。