びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/11/25(土)「志摩」

 横山展望台駐車場。夜はほとんど眠れなかった。昨日寝過ぎたらしい。それに加えて、地面が左に傾斜していたり、意外と風の音がビュービューうるさくて木々がざわついていたり。起床は705。そのタイミングで一台の車が来た。西洋人の家族だった。展望台に行って、朝日が昇るのを見た。凄く逆光で眩しかった。西洋人のお母さんから片言の日本語で「写真撮ってください」と言われた。ボタンを押したら音がしなかった。「iPhoneはノーサウンド」と言われた。朝食後、昨日のブログを修正。
 810、横山展望台から歩いて他の展望台にも行ってみることにした。こもれびテラス、そよ風テラス、みはらし展望台、あご湾展望台。どこも似たような景色だった。
 835、出発。近鉄賢島駅を目指した。9時、賢島駅前駐車場。なぜか無料。近くに遊覧船があるようだった。面白そうだと思った。すると、おじさんが近寄ってきて「遊覧船乗るの?」と聞かれた。「乗ろうと思ってるけど、内容がわからなくて」「説明しよか?」、遊覧船は2種類あった。一つはエスパーニャクルーズでスペインの帆船のような派手な見た目だった。あまり島は巡らずに真珠の核入れや真珠販売があるようだった。もう一つはクルーザーで、英虞湾の島をたくさん巡るようだった。別に真珠は買わないのでクルーザーにした。
 915、賢島遊覧船。英虞湾・島めぐり。1500円。デッキに座った。出発すると、船のおじさんがガイドを始めた。これはなかなか情報量が多くて乗ってよかったと思った。
 英虞湾には64の島がある。真珠養殖は全盛期の3割で衰退していってる。あこや貝は口が汚れると殻が開かなくなるので、一週間おきに洗う。小さい業者で2万個、通常3万個の貝を洗う。冬は海が暖かい長島に移す。後は金持ちがヘリコプターで訪れる高級寿司屋や宿があったり、ミキモトの工場があったり、7年前の賢島サミットの開かれたホテルがあったり。賢島の観光情報も盛りだくさんだった。
 1020、着岸。すっかり満足していた。いい選択だった。
 そもそも賢島駅に来た目的は真珠港駅跡まで歩くことだった。これは近鉄Youtubeで紹介されていた。賢島駅は現在高架だが、入口左側の建物が旧駅舎だった。その延長線上にかつて貨物線が延びていた。線形は緩やかにカーブしておりとてもわかりやすかった。wikiによれば、たった300m。すぐに真珠港駅跡に着いた。駅跡には何にもなくて、すぐ先は海だった。
 1050、出発。クルーズ船で紹介していた志摩地中海村に行くことにした。
 1110、志摩地中海村。ここは地中海の街を真似た宿泊施設だった。一般の人もわずか700円で入ることができた。地中海なんてもちろん行ったことないけど、写真とかテレビで見たことのある地中海の街のイメージそのものだった。白壁の家、外に階段があり、屋上にも登れた。家々の隙間からはブルーの海!英虞湾は地中海との親和性がやたら高い!さっきのエスパーニャクルーズや有名なパルケエスパーニャもそうだけど、志摩はめっさスペインに寄せてるなあ。スペインに寄せた人も顕彰されるべきでは?
 パルケエスパーニャで有名なチュロスがここにもあった。250円。チョコレートディップ。固さは揚げたパンとクッキーの間くらい。あっさりとしてチープな感じ。チョコレートをつけなければ味気ない感じだった。
 地中海村はまるで異国の街に来たような雰囲気でとてもビックリした。ディズニーシーに行った時を思い出した。まさか志摩にこんな施設があるとは思ってもなかった。これは来てよかった。
 1155、出発。西へ進みながら昼食の場所を探すことにした。南伊勢町に入った。英虞湾と見た目は同じだったが、こちらは車も少なく閑散としていた。ここまで差が出るものなのか?リアス式海岸はどこもあまり面白くないので、英虞湾が頑張って開発したというところなんだろう。
 1215、磯笛岬展望台。見張らしはあんまりだった。モニュメントがあり、ホタテの貝殻にメッセージを書いて吊り下げるスタイル。なんだこれ?
 1240、伊勢志摩まぐろ食堂。伊勢志摩にマグロのイメージはないのだが?特選本まぐろざんまい御膳ご飯大盛。2560円。やたら高いなあ。赤身・中トロ、大トロ・あおさ汁・小鉢・漬物。別になんとも思わなかった。付け合わせに付いてきた焼いたまぐろの方がおいしかった。ここに来る前に、別の店の書き込みで、貝や魚はあまり処理しないと書かれていた。昨日の浜焼きも今日のまぐろもちょっとワイルドな感じなのはそういうことなんだろう。よく食べていた寿司屋はおいしくするための処理をしてると思われ。
 1310、伊勢現代美術館。700円。1階は大沢昌助。誰?2階はMITOS。誰?別館には彫刻。まだここのは取っつきやすかったが、それでも根本的に理解は無理なような気がした。自分の心に感じたことを自分なりに落としこんで受け止めればいいんだろうが、そういう工程や変換などの作業が酷くめんどくて無意味なように思えた。私は単純にわかりやすいポップな方が好きである。
 14時、出発。この先を進んでもたいしたものはなさそうだった。リアス式海岸は続くのだが、散々見てきたからなあ。Uターンして戻ることにした。朝熊山の山頂を目指した。三度、志摩から伊勢へ。途中で寄り道。
 1425、恵利原の水穴。天の岩戸とも呼ばれていて、名前に引き寄せられた。山奥の穴から水が流れ出ていたが、高千穂の天の岩戸とはまったくかけ離れていた。どうやら伊勢神宮とこじつけたようだった。
 1510、伊勢志摩スカイライン。1270円。朝熊山に登るための税金。
 1515、宇田展望台。伊勢市内が見渡せた。素晴らしい眺望だった。遠くに富士山が見えた。
 15時半、朝熊山頂展望台。昔は伊勢神宮にお参りすると朝熊山にもお参りするようだった。確かに眺望は素晴らしく、伊勢湾の島々が見えた。
 朝熊山に来た目的は、ケーブルカーの廃駅を見るためだった。朝熊山には戦前ケーブルカーがあって、その勾配は東洋一と言われていた。1m進むのに60cm高度を上げていたらしい。頭おかしいやろ!その勾配を実際見たかった。
 16時過ぎ、スカイラインから小さな横道に入った。車を停めて歩いてアプローチを試みた。前方に廃屋のような建物があり、近づくと何匹かの犬がけたたましく吠え出した。人が住んでるのか?まずいと思った。「動物のお医者さん」だったら「遊ぼ!」と吠えてるのかもしれない。または「俺はやるぜ」「やるのか」「やるならやらねば」かもしれない。しかし、私は犬が大の若手であった。とりあえず撤退した。しかし、ここまで来て諦めるのもシャクだった。もう一回アタックした。めっさ吠えられただけで再び撤収した。
 ネットで調べると「めっさ吠えられたけど、無視して進んだ。それだけの価値はある」と書かれていた。3度目のアタックを敢行。心持ち鳴き声は小さくなったような気がした。ようやく乗り越えた。
 小道を進んでいくと分岐があり一方には「進入禁止」の看板があった。とりあえず看板のない方に進んだ。結局、ロープで「関係者以外の立ち入りを禁ず」となっていた。「誰も見てないから道路の真ん中でやろうぜ」ばりにロープを潜った。コンクリートの構造物は見つかったが、ケーブルカーの路盤はわからなかった。一瞬木々の隙間から路盤の横にあるはずの階段が見えたような気がしたが、すぐに見失った。願望がそうさせたのか?
 最初の分岐の「進入禁止」の奥に入ってみた。しばらく進むと遺構が出てくるものの、フェンスで先を遮られた。ジ・エンドだった。これ以上は危険と判断した。戻ろうとすると、犬がバウバウ吠えていた。誰かいる?先に進むと住人のおじさんが一匹の犬を散歩させて、軽トラの後ろに犬を載せようとしていた。私は軽く会釈してなんにもなかったように横を通り過ぎた。もはや犬の鳴き声なんてどうでもよかった。内心はヒヤヒヤしていた。
 1625、朝熊山頂展望台に戻り一旦落ち着くことにした。1640、出発。少し早いけど、夕食を取ることにした。
 17時半、めん処政成。3日連続。伊勢うどん大盛。店員のお姉さんに「今日は伊勢うどんですね」と言われた。覚えられてるなあ。伊勢うどんは甘い優しいたれだった。3日間の中で一番おいしかった。やはり本来の食べ方が一番なのかもしれない。お会計の時にお姉さんに「3日連続ですね」と言われた。初日から思ってたけど、この人はとても優しくていい雰囲気だった。3日通ったのもこの人がいたからとも言える。旅行では人との会話がずっと思い出に残る。いい出会いでした。
 1810、伊勢・船江温泉みたすの湯。3日連続。湯上がりはブログを打った。それから明日どこへ行くかを調べた。
 2120、出発。とりあえず伊勢は満足したので、名古屋に近づくことにした。その前に寄り道。
 2125、伊勢電気鉄道大神宮前駅跡。伊勢電気鉄道は外宮まで走っていた。現在の近鉄、JRと並ぶ第三の鉄道であった。あまりに重複してたため、昭和17年にわずか12年で廃止された。ここには駅跡を示す駅名標だけがあった。路盤がどっちを向いてたかはさっぱりわからなかった。今回は存在を知るだけに留めて、いつかきちんと探索したい。
 関の道の駅を目指した。伊勢道に乗った。22時半、安濃SA。便利なのでここで泊まることにした。
 今日はクルーズ船と地中海村でほぼ終わっていた。後は政成のお姉さん。伊勢志摩はまたそのうち訪れたい。