びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/08/19(土)「二風谷」

 道の駅ウトナイ湖。3時半頃に目が覚めてトイレ。610に起床。車の通過音がうるさかったが、疲れていて起きられず。しばらく横になっていた。
 道の駅の名前通りにウトナイ湖という湖があった。ラムサール条約に登録している湿地でコハクチョウなどの渡り鳥が来るそうだった。空はどんよりと曇っていて、雲が多かった。湖面もそれを映してしまって冴えなかった。今回の旅行では、こんな天気ばっかりだった。
 昨日のブログを修正。7時に出発。セイコーマートウトナイ店で朝食。昆布おにぎり。フロントガラスを掃除。
 7時半、出発。富内線廃線跡を探索しながら、途中で平取の二風谷でアイヌの博物館を回る予定だった。沼ノ端東ICから日高道へ。道中、ずっと原野を走った。北海道らしい景色だった。鵡川ICまで。無料だった。
 750、鵡川駅。JRの日高線の終点であり現役。そして富内線の起点でもあった。富内線鵡川から内陸の日高町までを結んでいた。途中に有名な町があるわけでもなく、最後は変なところで行き止まりだ。私にはいまいちよく理解できなかった。あまり語られることもないように思えた。
 鵡川沿いに北上した。緑が多くて寂しいところだった。こんなとこになぜ通したのだろう?鵡川を渡ると、春日駅跡が出てきた。
 810、富内線春日駅跡。小さな集落の行き止まりのようなところにあった。駅舎、ホーム、駅名標、駅前商店とセットで残っていた。駅舎はバスの待合室になってるようだった。ホームの段差は半分埋まっていた。駅名標は塗り直してるように思えた。前後の路盤はほとんどわからなかった。
 再び鵡川を渡り、国道に戻った。国道は鵡川の左岸だったが、富内線は右岸を通ってるようだった。右岸の方を見ると緑しかなくて、どこを通っていたのかさっぱりわからなかった。鵡川を渡ると旭岡駅跡だった。
 8時半、旭岡駅跡。ここも小さな集落で、駅跡はバスの転回場になっていた。傍らにはバスの待合室があった。現役当時のものは何にも残ってないように思えた。
 鵡川を渡って国道に戻った。途中から平取の表示がでたので、一端廃線跡から離れた。山を越えて、東の沙流川へ。950、ガソリンスタンドで給油。道中まったくガソリンスタンドがなさそうな雰囲気で、ここでやらなきゃ危ないと思った。田舎あるあるだが、セルフではなかった。窓を拭いてくれた。後ろの窓が汚れまくっていたので嬉しかった。
 9時、二風谷コタン。ここはアイヌの神様が降りてきた所とされており、アイヌの中心地とも言える場所だった。一体は施設などが集まっていて、アイヌの住居「チセ」がたくさん再現されていた。ただチセの窓にはガラスがはまっていた。
 915、平取町立二風谷アイヌ文化博物館。アイヌで有名な萱野茂が収集した民具を展示していた。これまでも散々見てきたので、今さらではあった。衝撃的だったのは明治あたりのアイヌの写真だった。そこには話通りのアイヌの村や人の姿が写っていた。
 アイヌは現在では2万人いるとされている。この2万人はアイヌ語がしゃべれる人という意味らしいので、実際にはこの何倍もいるらしかった。アイヌの生活の中はすっかり最新のテクノロジーと融合してしまっているが、アイヌらしさは、木彫や織物に残っている。他にも家庭での食料の保存方法や生活の中のしきたりにもアイヌの伝統が残ってるかもしれないとのこと。
 アイヌに惹かれる点は自然を中心とした宗教感だろう。あらゆるものに神様を感じる。獣から自分が使う道具にまで。この神様は普段は神の世界で人間と同じように暮らしているが、たまに人間界に遊びにくる。その時、熊なら肉や毛皮をお土産として持ってくる。そして、お土産をもらった後、神様の世界に送り返す。人間と神様の立場は対等で、人間の役に立つのが良い神様であり、役に立たないのは悪い神様であると考える。人間メインで神様のことを考える。
 アイヌは必要以上に獣を捕ったり、木材を伐採しない。この部分はアメリカやアマゾンの先住民の通じる物がある。土地を所有する概念もない。土地所有の概念は弥生時代に出てきたが、北海道には弥生時代はなかった。
 アイヌはかつて激しい差別を受けた。アイヌの博物館に行けば、必ずその話が出てくる。昔は「アイヌ」という言葉は差別的に使われたため、アイヌの人たちは自分たちのことを「ウタリ」と呼んだ。私はわざわざ差別があったことを教えるのは、差別を助長してる側面があるように感じる。部落問題なんかも同様。アピールが必要なのは、それでご飯を食べてる人がいるからだと思ってしまう。光があれば闇がある。難しいところだ。
 10時、沙流川歴史館。ここでは埋蔵文化財関連の展示をしていた。旧石器から縄文土器などの出土品や砦「チャシ」の遺跡の説明をしていた。北海道には弥生時代はなくて、ずっと狩猟生活が続いた。チャシとは最初に城と訳してしまったために、そういうイメージになっているが、実際は普通の家だとか鮭の漁と関係があるとか色々な使われ方をしたようだった。川の側にあったり山の上にあった。ここには富内線の説明もあった。また沙流川に沿った沙流鉄道の説明もあった。沙流鉄道のことは知らなかったのでこの情報はありがたかった。
 1105、萱野茂二風谷アイヌ資料館。萱野茂平取町に民具を寄贈した後、再びコレクションしたものを展示していた。説明が詳細で興味深かった。読むのは大変だったが。
 12時、二風谷コタンから出発。
 1205、二風谷ダム。沙流川は急峻で砂をたくさん運ぶ川らしい。このダムはダムらしくなくてあまり水が溜まってるようには見えなかった。
 1220、沙流鉄道平取駅跡。沙流鉄道は富川と平取を結んでいた。跡地は商工会議所になっていて、廃線跡の痕跡はないようだった。
 1220、商工会議所の目の前にあった「そば藤」。やたら混んでいた。店が他にないからかもしれない。特上天ざる大を注文。ボリュームに驚いた。天ぷらは、海老3、舞茸2、柏2、野草1。
 1315、出発。富内線廃線跡探索に戻った。
 1350、穂別駅跡。山の中に集落を形成していた。駅跡はふるさと公園になっていて、痕跡はなさそうだった。
 1405、富内駅跡。富内鉄道公園になっていた。駅舎、ホーム、駅名標、レール、腕木式信号機などほぼ現役当時のまま残っていた。駅舎には村の取り組みが評価されて、いくつかの賞をもらったとなっていた。今はすっかり寂れてるようにしか見えなかった。ホームには青い客車が2両保存されていた。外は錆びて塗装が浮き上がっていた。中には布団が積まれており、ライダーハウスのようになっていた。敷地の端っこには線路が銀河鉄道999みたいに、空に伸びていた。空に伸びる線路の先端部が木にかかってしまっていて、放置されてる感じがした。
 1440、出発。富内駅は元々終点だったが、国鉄に売却されると、日高町駅まで延長された。富内駅からは山越えをして沙流川に移った。これはなかなか珍しいことのように思えた。飯田線佐久間ダムによる付け替えが思い浮かんだ。
 1505、振内駅跡。振内鉄道記念館。ここの内容は富内駅跡とほぼ同様だった。富内駅と振内駅は近いながらも自治体が異なっていたので、同じような保存内容になったのかもしれない。こちらは駅舎は取り壊されて跡地に記念館が建っていた。記念館の前には誰かが車を停めていた。写真に写りこむので止めて欲しかった。記念館は土日は閉まっているみたいだった。平日に町役場に連絡すれば空けてくれるらしい。やる気ないなあ。外から窓ガラス越しに中の写真を撮ろうとしたら、中におばさんがいてビックリした。車はおばさんのだったのか。もしかしたら中に入れてくれるかなと思ったが、おばさんはさっさと車で帰っていった。お陰で車なしの写真が撮れた。
 振内からはずっと山の中だった。こんなにも何もないのかというくらい山だった。士幌線糠平から十勝三股を彷彿とさせた。なぜ国鉄はこんな山の中まで延伸したのだろうか?
 1550、日高町駅跡。終点。駅前は石碑が立ってるだけだった。少し離れたところに道の駅「樹海ロード日高」があった。ここが町の中心のようだった。なぜこんなとこに町があるんだ?観光案内を見ても大したものはなかった。ますます不思議だった。
 1625、出発。占冠に行こうと思ったが、日勝峠があることに気づいた。日勝峠日高管内日高町十勝管内の清水町を結んでいた。会社の同期の間や旅人宿でよく話題になっていた。せっかくなのでドライブすることにした。
 清水町までは50km。ひたすらだらだら上った。周りにはなんの建物もなく、ずっと山の中だった。サミットを越えると、いきなりホワイトアウトした。天気ってこんなにも急に変わるのか?
 1705、日勝峠展望台(8合目)。十勝平野が見張らせた。見張らしはよかったが、トイレが封鎖されていて、誰も立ち寄らないようだった。
 1720、日勝峠展望台(2合目)。8合目よりはこっちの方が町が近く見えた。羊ヶ丘展望台を思い出した。
 十勝平野に入った。当初の予定では十勝に来るつもりはなかった。せっかくなので戻りは狩勝峠にした。
 1805、狩勝峠展望台。1年ぶり3回目。少しモヤってたけど、見渡せた。裏は夕焼けしててきれいだった。
 狩勝峠を越えると、落合駅の表示が出た。落合駅はバス代行中で来年に廃止される予定だった。
 1825、根室本線落合駅。駅舎の待合室には煌々と灯りが灯っていた。跨線橋があったが、線路は草ぼーぼーでホームへの立入は禁止となっていた。
 1840、幾寅駅。ここも来年廃止予定だった。この駅は、映画「鉄道員」の幌舞駅として使われた。駅前には映画のロケで使った建物などが保存されていた。ここはホームにも上がることができた。映画のシーンを思い出した。
 近くに手頃な銭湯がなさそうなので、今日はお風呂はなしで早く休むことにした。
 19時、道の駅南ふらの。寝不足で疲れが溜まっていた。ブログを書いてさっさと寝た。