びーの独り言

どこいくの?どっか。

2023/10/21(土)「岩村~明智」

 道の駅そばの郷らっせぃみさと。夜中はよく眠れた。トイレにも行かなかった。615に起床。朝食後、昨日投稿を忘れていたブログを修正した。
 7時、出発。岩村へ向かった。天気は晴れていて、山には靄がかかっていた。山間の道はとてもいい雰囲気だった。
 7時半、農村景観日本一展望所。名前からして怪しかった。何をもってそう言えるのか?駐車場もなく、路駐して山を少し登った。そこに展望台が無理矢理作ってあった。民家が点在する田んぼの向こうに山々が見えた。よくある景色だし、そんなに素晴らしいとも思わなかった。名前の由来は大学教授がそう言ったかららしい。観光資源にするため無理矢理言わしたんじゃないか?まったく納得いかなかった。
 岩村の町は明知鉄道で通ったことはあるが、元々山城があることで少し気になる程度だった。しかし、平成30年のNHK朝の連続ドラマ小説「半分、青い。」で全国区になった。その時の町並みが「家族に乾杯」か何かで取り上げられていて、一度行きたいと思うようになっていた。町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されていた。
 町中で駐車場を探したが、見当たらなかった。思わず町中を車で彷徨うことに。楽しみにしてた町並みを車で見てしまう失策。それから一気に城の本丸近くの駐車場まで行ってしまった。山城を自分の足で上らないとは一体何しに来たのか!
 755、岩村城内駐車場。出丸というところで、本丸まではすぐだった。大きな石垣の脇の石段を上ると、山城にも関わらずあまりにもあっけなく本丸に到着した。本丸は広くて石垣は立派だったけども、景色は木々に阻まれて大したことなかった。看板が3つあり、それらによると、岩村城は江戸時代にはずっと存続していたが、明治の廃城令で取り壊されたらしい。
 町に戻ると、駐車場はたくさんあったorz。何やってんだか?825、第一駐車場。メインストリートに向かった。
 細長い町の真ん中よりちょっと上の付近に出た。まずは上に歩き、折り返して下に歩いくことにした。道は城に向かってなだらかに上っており、町並みは木造の建物が多く、まるで宿場町のようだった。私の好きな郡上八幡を上回っているように思えた。生活の場でもあるので、建物の前には車が路駐してあった。観光ポスターでも車が写り込んでいるくらいだった。すれ違う地元の人は皆挨拶をしてくれた。たまにそういう地域があるよね?道の中間部には枡形があった。これは街道にわざとクランクを作ったものだった。大抵の宿場町でも見受けられる。そして枡形を境に町の役割が変わる。ここも半分は商家で、残りは違う何かだった。いくつかの建物は中を見ることができそうだったが、まだ時間が早いので開いてなかった。またいくつかの建物は女城主を売りにしてた。女城主と言えば、大河ドラマがあったけど、ここだったっけ?こういう表現はあまり好きじゃないけどな。お酒の銘柄にもなっていた。
 9時半、岩村歴史資料館。JAF割引で240円。こんなにショボい展示は初めてだった。まず内容が少なくて、しかも説明もちんぷんかんぷん。開館以来放置されてそうな展示物。やる気が無さすぎた。2週間前の木曽もハズレが多かったもんな。
 955、登城口。看板に本丸まで23分と書いてあったので本丸まで上ることにした。緑の中の石畳の道は勾配が急だった。いつかの暗峠を思い出した。泳いでるから呼吸は大丈夫だったけど、足腰はもう少し鍛えないとな。やがて門の跡が出てきた。立派な石垣だった。いくつもそういうのが出てきた。2週間前の苗木城もこんな感じだったなあ。当時、毎日登城する人たちは大変だったろうに。1020、本丸。さっき見たのですぐに折り返した。
 メインストリートに戻り、いくつかの建物を見学した。1050、木村邸。11時、土佐屋。1105、勝川家。どこも建物の特徴くらい説明して欲しかったなあ。
 1110、大黒屋。名物の五平餅を食べた。120円。ここのは団子になっていた。小さくて味はよくわからなかった。追加で店先にあった栗きんとんを食べた。小さいけど、220円。ビックリするくらいうまかった。栗きんとんってこんなにうまいのか?
 11時半、駐車場に戻り、出発。明知鉄道の終点である明智を目指した。
 1145、やまだや。ポイントの高いそば屋。心細いような山道の奥にあった。予約で満室だったorz。1日20組限定らしかった。
 12時、日本大正村浪漫亭の駐車場。明智には2010/4/4に乗り潰しで訪れていた。その際に日本大正村があることを知り、ずっと気になっていた。日本大正村浪漫亭は拠点となる建物だった。
 まずは腹ごしらえ。2階にあった「かわかみ」。名物の唐揚げ丼を外して、飛騨豚ヒレ味噌カツ丼ご飯大。正直おいしくなかった。もしかしたら、大正時代に寄せていたのかもしれない。幸先の悪いスタートだった。
 1235、観光案内所で4館共通チケットを購入。700円だった。1つの施設は300円なのでお得だった。
 細い石畳の路地で小さな川を渡った。この先にいろいろな建物や施設があるようだった。
 1245、日本大正村役場。古い木造で、昔の役場。中に入れたけど、特筆するようなものはなかった。
 1250、絵画館。古い木造で、大正村記念館になっていた。中には少しだけ日本大正村の説明があった。昭和59年に始めたそう。かなり時代を先取りしてたんだな。村長は高峰三枝子司葉子を経て、今は竹下景子らしかった。
 1255、大正ロマン館。建物は新しめで、それっぽく再現したよう。共通チケット使用。受付のおばあさんは親切だった。各部屋がテーマごとに分かれていた。いきなり高峰三枝子。知らんし。栃錦は驚いた。地縁があるのかわからなかったが、村の理事だったらしい。山本芳翠という洋画家のことは知らなかったが、絵は面白そうだった。私は一体何を見せられてるのだろうか?山城についての説明があった。やけに内容が細かくて逆に頭に入らなかった。2階は地元の名士が集めた楽器。
 1345、旧三宅家。江戸時代の農家。茅葺き。焦げ臭いなと思ったら、囲炉裏で薪に火をつけていた。
 1355、逓信資料館(旧郵便局)。古い木造。無理矢理郵便局関連の展示を集めたような感じだった。
 14時、日本大正村資料館(旧銀行蔵)。共通チケット使用。受付のおばあさんは親切だった。玩具、教科書、楽器、レコード、蚕、新聞など。楽器とレコードはさっきのコレクションの一部。私は一体何を見せられてるのだろうか?お客さんのおじいさんが「これこれ」と言って懐かしがっていた。おじいさんじゃないと楽しめないのでは?奥に大正の館があったが、瞬殺。
 あまりにも寒かったので、一度車に戻ってダウンジャケットを取りにいった。
 1445、喫茶天久。京都から移築したとのこと。喫茶店を通らないと大正時代館に入れなかった。喫茶店にはおばあさんが3人いた。喫茶店らしくコーヒーの匂いがした。カウンターのおばあさんは親切だった。共通チケット使用。大正時代の明智大正天皇の説明。
 日本大正村浪漫亭に戻り、お土産を買った。明智はどこも展示が古くて説明不足だった。明智に来たのに明智のことがほとんどわからなかった。どこの施設もおばあさんがやっていた。町起こしに若い人は参加してないんだろうか?あと各施設の名前が似すぎてて何がなんだかなあ?大正をフューチャーするのはいいけど、ちゃんと見せ方とか考えて展示内容を更新していかないと。それとも大正で止まってるから仕方ないのか?
 1520、駐車場。次にどこに行くか調べた。瑞浪や土岐に行きたかったが、いまいち惹かれる所がなかった。近くの温水プールを探した。確実にあるのは2週間前の松川だったが、同じ所に行くのもなあ。新城にありそうなので、頑張って向かうことにした。
 1545、出発。ナビは新城まで1時間半を示していた。山の中を走った。突如県道403号線は薄暗い一車線の山道となった。ヤバイんじゃないか?不安を抱えながら走った。国道に出た時はホッとした。
 そのまま行くと、設楽町という所に出た。そこに田口という地名を見つけた。ここにはかつて豊橋鉄道田口線の終着駅があった。この田口線は山の中を走る飯田線から分岐して、地図の上では本当に山しかないような所を通っていた。山の中にしては結構町は開けてるなと思った。駅跡に向かうと、一車線のグネグネの下り坂で谷に降りた。なんだこれは?本当にこんなとこにあったのか?川に出た時に川沿いの道は工事のため通行止となっていた。ここではダムを作る工事をしていた。路駐して歩いた。
 1655、三河田口駅跡。川沿いの渓谷にわずかな平地があった。周りはとんでもない山に囲まれており、よくこんなとこまで線路を敷いたもんだと思った。駅跡にはホームが残っているはずだったが、工事できれいに平地となっていた。かろうじて駅跡を示す説明看板が2つ立っていた。それによると、三河田口駅の先には森林鉄道が伸びていたようだった。だから田口まで延伸したのか!この看板もいずれダムの底に消えるんだろう。もう少し早く来るべきだった。
 田口線の遺構を探すことにした。途中で国道から離れて、川を渡る狭い一車線ギリギリの橋を渡ると、なんだか橋自体が廃線跡のように思えた。橋の先には雰囲気バリバリのトンネルがあった。これは!でも、通行止だった。おじいさんが1人立っていて、こちらを不審そうに見ていた。私はUターンして再び橋を渡った。
 1725、道の駅したら。廃線跡にありそうな道の駅だった。もしかしてと思ったら、田口線の車両が展示されていた。きれいに塗装されてライトアップされていた。大事にされてることが伺われた。
 暗くなったので田口線の探索は明日に回すことにして、温水プールを目指した。国道は結構な山道だった。よくこんなとこに田口線を作ったもんだ。途中で鳳来寺山に入った。田口線は鳳来寺の参拝客の輸送も目的にしていた。鳳来寺は明日回るつもり。ずっと暗闇の中で不安な山道が続いた。対向車がいるのが救いだった。
 1805、鳳来ゆ~ゆ~ありいな。本当にこんな山奥に温水プールがあるのか?温泉にジムや温水プールが併設されていた。入場料は530円。良心的だった。もちろん25m。照明が暗くて、不安になった。一人だけが泳いでいた。水に浸かると結構暑かった。これは不安な要素だった。泳いでたら暑くなるからなあ。泳いでたらちらほらと人が来たけど、皆さまご老人でした。時間制限がないので、クロール40往復連続。休憩。20往復連続。3000m。2時間で切り上げて、ブログを打った。
 2120、出発。近くの道の駅を目指した。ファミマで朝食を購入。
 2145、道の駅鳳来三河三石。小さめ。静かそう。ひたすらブログを打った。